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ティールブルージャケット【#106】  西岡、西岡、西岡、西岡、ぼくも西岡

 島嶼部に巨大船を連結した、南洋の人工島。
 船のひとつ『☆あぐらいあ☆』の、島嶼部にほど近い場所。
 以前海賊の砲撃で破壊された病院の跡地がある広いソイルパネルの荒野に、小さな平屋と少し大きなガレージ、結構広い地下部をしつらえて住んでいる住人がいる。
 完膚無きまでの荒野だった場所が少し整備されてきており、広い目の畑ができて、貸し農園と間違えて覗きに来る訪問者がまれにある。
 その家の住人は家を空ける頻度が多いが、外を園芸用自動水やり機やら、警備用大型犬ボットやらがひっきりなしに移動しており、そのような訪問者を、外付けモニタに映したかわいいCGの女性や、若干いかつい男性の投影画像が相手をするという。
 季節が移り変わるにつれ、畑の植物が増えたり減ったりし、雨季の近いどんよりとした曇り空の朝がやってきた。
 周囲の色がほの青く明るくなる中、掃き出し窓に防犯シャッターを下ろした平屋の中で、住人である薬師ルリコは散らかった部屋を慌てて片付けていた。
 月の半分以上は連勤で現場にいるので、夜帰ってきてもせいぜい風呂に入って私用を少しして寝るだけで、掃除は月の後半に後回しにする。
 今月は梱包材の廃棄物や古くなった衣類、若干大きな分別もののゴミが多い。深夜早朝に起きて済ませようと思って早く寝たら、少し寝坊した。夜があけたら、地下の工事に人が来るのに、すっかり予定が狂った。
 来るのは会社の設備部(船体の民生区域のメンテナンスを主に担当する)と、家側の工事をする工務店だ。何か面倒なゴミとかあれば持って行ってあげるよ、と設備部から言ってきてくれたので、まとめておく必要がある。
 薬師の家だけ工事するなら、なごやか不動産に工務店だけ頼めばいいのだが、今回の工事は船体のほうにも関わるものなので、頼むと来てくれる須崎工務店にわざわざ設備部から一報入れてもらった。
 薬師宅の地下と船体側両方からの工事をする。
 多少散らかっててごめんねと言ってしまえばそこまでだが、ゴミ持って行ってくれるならまとめておく。薬師はそれで慌てていた。慌てていて、家の各所に監視カメラ代わり兼植物について輸入されてくる不快害虫狩りに放っている、キラキラスタッズをごてごてと貼った蠍を蹴飛ばしてしまった。
 視界の端に、【目々連:女囚三号 通信途絶】とメッセージが表示され消える。
 かけている眼鏡の視界の端に、蠍の売主・不動桜ハナ教授の使っているかわいい少女人形アイコンがポップした。
『薬師、女囚三号が通信途絶したんだけど?』
「ごめん。今蹴飛ばしちゃって再起動かかってる」
 教授は、他の蠍や昆虫型警備ボット【目々連】から送られてきた映像や稼働状況をチェックしたらしく、掃除しているのを察して苦笑した。
『慌てることないのでは? そんな汚部屋じゃないでしょう』
「あー……今月ちょっと産廃と廃品回収ネタが多くてさ。設備部が工事で出た廃棄と一緒に持ってってくれるって」
『確かにね。私のミニラボとカンオケ入れるからよろしくね』
「うんわかっ、はい?」
『あら? ……あらやだ、大学の事務局から契約書類行かなかった? 出しといてくれるって言ったのに』
 薬師は、以前戦闘外殻でみっちみちに武装した強盗をぶん殴ってブチ折れた複数本の金属管をダクトテープでくくりながら、会社貸与(私物化)の書類用端末をつつき、会社の書類・個人の書類・初見の書類のフォルダを漁った。昨日人事が上司の渋川経由で送ってきた、有給使用状況のおしらせにくっついて、【不動桜教授の私用】という書類が送られてきている。
 展開すると、いくつか契約書類が入っていた。文言から不動産関係、警備契約。私用とわざわざ明記しているということは、渋川は中を見ている。会社絡みのものは彼でピックアップした可能性がある。
 教授がまとめて薬師に送るつもりだったはずが、大学事務局が何を間違えたか警備部に送ったものと思われる。警備部代表のアドレスはもれなく、総務を経由して春日井麾下の秘書室と直接の上司・渋川ら上役連中がチェックするので、そこでどうにかなったのだろう。
「昨日人事が渋川さん経由して送ってきたこれか?」
『ちょっとやだ。確かに理事会案件が部をまたぐから渋川くんを経由はするけど、遅くない? しかもファイル名変わってるし。薬師、中身ちょっと見せて。個人部分まで会社に行ってないでしょうね』
 薬師は、鼻息だけで少し笑って、よっと金属管の束を肩に担ぎ上げた。
「いつ出したのか知らないけど、ちょうど休憩入れたいなと思ってたから、これ外に置きながら読むけどそれでいい? 教授も休憩いれるか、目覚ましにつきあってよ」
『よかった。個人分ちゃんとあるわね。理事会案件の契約書、どうなってるのかしら。今度から自分でちゃんと送ろう……』
「大方、総務ば素通りして春日井さんで振り分けしたと思うけどね。どうしたか聞いておこうか?」
『よろしくおねがいします』
 単管を担いで、ガレージ前に置きながら、薬師は、この若干間抜けなやりとりがあった旨と、教授の書類の行方を伺うテキストをまとめて、春日井と秘書室のアドレスに投げ、続いて個人用の契約書らしきものを開いた。

☆★☆
 
 薬師の家の敷地は、まだあけぼの会病院が地方の一病院だった時代にここにあった名残である。『☆あぐらいあ☆』の上にあった病院で、たまたま起きた大規模テロでの避難直後の空き建造物が、島嶼部本体に近く狙いやすかったために、海賊による砲撃を受け崩壊した。
 残ったのは発電所の出水口に近く、眺めも大してよくなく、治安も悪くはないが主たる市街からは相当遠い寂れた空き地だった。
 あけぼの会側も長いこと処理に困っていた曰く付きの空き地だったものを薬師が手に入れたのには若干の事情がある。
 『☆あぐらいあ☆』上にあった、海上ロケット発射設備工事用の物資集積拠点付近で起きた大規模爆破テロで戦闘外殻の身体を失いかけた薬師は、丁度「後は人間を入れるだけ」の状態で完成していた汎用生体部品製の人体に治験も兼ねて入れられ生還した。その時の報酬金の一部をこの土地と、地上地下建造物に代替してもらい、残りで税金払って残った僅かを、あけぼの会系列の投資会社おーぶねいっさんすにも籍を置く教授に預けて転がした(昔から頼んでいた分も合わせて、今の身体が二回付け替えられる程度になった)。
 当時、メンテナンスが無料になった以外は土地と家が残ってほぼ素寒貧になった薬師に、事情を承知している渋川が「生きてるなら職ほしくね? 当面の社会生命の工面ができるよ」と声をかけてきて、今、この家からあけぼの会警備部に通勤している。
 ここだけの話、当時会社ではこの土地を「賽の河原」と呼んでおり、薬師も最初は微妙に居住まいが悪かった。奪衣婆という単語を思い浮かべたし、揶揄ってくるあまり質の良くない社員が居たからだ。
 就業後パフォーマンスがあまりよくない彼女が思い詰めた顔で「ばばあじゃないもん……さすがにばばあってトシじゃないもん……」と言うので、理由を聞いた渋川が、相手が薬師で無ければ即座にハラスメントになるし、薬師ならやりすぎると下手人の命が無いとして、会社で賽の河原使用禁止令が出たというオチがつく。
 そのような地の果てに出来た家の敷地内で、教授は何をしたがっているのか、契約書を読み進めた薬師は、玄関ドアを塞ぐように座り込んで首を傾げた。
 船体内部の、民生区域(設備部がメンテナンスをし、警備部が警備をしている区域)の端っこ、国有地(発電所)に接した部分に大学が小さなラボを作り、教授がそこを使うというのだ。以前から、大学院の空き部屋を占有して勝手に使って怒られたという牧歌的な話を聞いていたので、そこはまあ上手いこと話がついて良いことだ。
 だがそのラボと、隣接しているとは言わないまでも非常に薬師の家の地下部分が近く、地下部分と隣接する壁面に穴をあけて出入口と隔壁をつけるというのだ。つまり薬師宅のだだっ広い地下から直接島嶼部に出入りができる。家の地下側には、あまり聞いたことのない機材が置かれるという。
 端末体管理安置ポッド、その名も「管OK(カンオケ)」。この商品名考えた奴のセンスは最悪だと思っていたやつがくる。薬師は存在を知ってはいたが、使われているところを見たことはなかった。端末体(人間寄りに世間体を繕えるロボット)などという高価かつ無目的と思われるものを常用している人間が周囲にいないせいもある。
 ということは中身もそのうち送られてくるのだ。契約書類に入っていた、地下倉庫設備の床面賃貸契約書や工事契約書等の内容を読み、ざっと暗算して妥当と判断した薬師は、「カンオケの中身の生活費は誰持ちだ?」と教授にテキストを投げた。
『私が自分で持つわよ、私の端末体なんだから』
「野暮を言うようで悪いんだけど、書いといてくれないか。なんか妙な事になったらやだから。電気代とかの頭割り分は後で決めるなら後でってしとけばいいからさ。その辺決めないでしんどい話になったこと、昔一件だけあるからな……」
『あーあれ。ひとんちに勝手に住み着いた知らないUMAと一緒にしないでくれる? はい、直しました。頭割り面倒臭いから電気代持とうか? カンオケの維持で生活部分がミジンコに見えるくらい物凄く増えると思うの』
 苦笑しいしい爆速で契約書を直し返してきた教授に、それ助かる・ありがとうとスタンプを送って、薬師は全ての項目を記入して、必要分を教授に返送し、立ち上がって家の掃除に戻った。
 
 警戒区域をわざわざ一般人の家までぶち抜いて自分のラボを置いて、必要時には隔壁を上げてその家と繋げるような工事をする。教授の真意を聞きそびれてしまった。薬師にはその必要性が理解できなかった。もちろん、上層部で話が通じているからそういう工事に至ったのである。
 普段は隔壁が下がっているのだから、この隔壁が動く頃には彼女の家は吹っ飛んでいる位の理解はある。偉方の考えることはわからんし、その位の理解で今はいいだろう。何事もなければそれに超したことはない。
 自動掃除機を動かし、洗濯乾燥機を動かし、車止めのカラーコーンを置いていると、設備部のトラックや工務店のバンが何台も入ってきた。
 大型車を誘導していると、つい先日苗を植えた箇所に直行の営業車でぎりぎり苗を踏み潰す直前まで入り込んで、カラーコーンとバーを踏んづけた奴が来た。設備部営業課3年目、西岡という男性社員だ。運転が下手だと聞いてはいたが、あれでは下手すぎである。薬師は慌てて西岡の車に駆け寄り、隣に乗って慄いている新入社員を宥めながら運転を代わった。
「舗装じゃない駐車場と運転アシストもバックモニタもない車、まじでダメなんです、すみません」
「えっ何どこから借りたのこの車? 総務と車輌課何考えてんだそれ。私ちょっとごねてコーン代出させるわ。
 よそ行く時は気をつけてね。ここ一応私有地だしできる対応はするから、やばいと思ったら無理して入ろうとせずに手前に停めて呼んでください」
 車から降りた西岡が、明るい営業氏の表情とは裏腹に薬師を凝視していたのがひどく気になった。薬師本人も顔から首にかけて、先日負った火傷が丸出しになっており、気にしているとは思ったが、先日来ずっと顔面の治療優先順位が低いまま社内をウロウロしていたので今更である。
 そんなに見ても穴開かないよ、と言うと我に返った感じになる。
 薬師は内心首を傾げて、彼の真意を心の棚に棚上げした。
 
       ☆★☆     
 
 その後工事は順調に進み、あまり家を空けられない薬師は、教授から言付かった差し入れの扱いや積み上がった自分の書類の処理、先日した火傷でメンテナンス期間が少し長引くのでその用意等でのんびり暮らしていた。
 設備部も須崎工務店も、残業があってもせいぜい夜9時で全員帰って行く。そんな中、西岡が辞めるという話が入ってきた。実家の事情で本土に戻るらしい。有給消化やらあるのだが、本体は引継ぎを既に終えて引っ越したとか近くするとかだった。後任は先日彼が連れてきていた営業の新入社員で塩谷エリン、設備部と工務店の連絡員をやる。
 彼女が正式に着任して業務開始する日にカンオケの設置があり、そこからは教授の端末体が留守を預かり、翌日からメンテナンスに入る薬師の代わりに警備部から人が送られてくるはずだ。
 あまり見られたくない物や無くなったらまずいものは隠しておけと渋川から言われている。それは当然として、家にある武装を使ったら買い取り申請のために正直に報告してほしいものがあるので、誰が来るのか知らないけどもちょっとよろしく、と武装リストと配置を街警二課に送ったら苦情が出た。武装の度が過ぎて街警では扱いきれないという。
 薬師は若干呆れ、これが扱えない奴を教授や隔壁の護衛に送ってくる気かと警備本部長と押し問答していたら、渋川本人が来ることになった。
 留守中の対応の手配を大体終えた夜、カンオケ搬入の件で明日の早い彼女は早々と就寝した。
 部屋着に使っていた古びたチノパンを、いよいよぼろくなってしまったので廃棄に回したおかげで、キャミソールとペチパンツ、今押し込み強盗にあったら間違いなく余計に怪我をしそうなシャレオツなやつを着て寝ることになった。
 ある時思い立ってちょいと色気を出して買ったもので、パジャマより薄いせいかどうにも寝付けない。
 微妙に寝付けないのと服装は関係ないだろう。薬師は、シャッターを下ろした掃き出し窓から地下直通のガレージまで養生されている床をぺたぺたすりっぱで乗り越え、玄関で犬よろしく丸まって寝た格好になっている大きな黒い警備用大型犬ボットを起こし、もふもふとして居間につれて行って、寝直した。
 エアコンのきちんと効いた居間の奥の、衝立のさらに奥のベッドの上で、うなされる自分の声で余計うなされる感じになっていた薬師は変な夢をみた。誰もいない夜、地下の工事現場にひとりで向かって、資材の奥から5人の、鴨羽色の作業着姿の集団を伺っている。自分が手にしているはずの銃を手が握っていない。これは夢だ、それはわかった。
 その集団が着ている鴨羽色のツナギがわからない。須崎工務店は各自自前の作業着だ。設備部はよくある薄緑色。
 鴨羽色なら警備部のドカジャンでは? 下のツナギは紺色だが?
 集団の様子を見ようとして少し覗き込むと、何かがはさっと落ちる音がした。集団が一度に全員こちらを向く。変な既視感のある若い男の顔。どこかで見たことがあるが、何度も見た顔ではない。あれは誰だ――
 ばたあん、と何かが倒れる音がして、薬師は飛び起きた。
 足元側の衝立が無い。よく見ると、寝てはいない熟睡顔の警備犬ボットが寝返って転がり、腹を上にして衝立にぶつかり下敷きになっていた。ということは、はさっという音は多分、衝立に貼り付けていたシール画鋲から、作業リストの記入された電子紙が落ちた音だろう。案の定少し離れた所の床に飛んでいっている。
 いつもの悪夢と寝不足コースに少し安堵して、衝立を置き直し、薬師はもう一度ベッドに寝転がった。
 
 ――あの顔は、誰だっけ。穴が開くほど人を見てたあの目。
 
 翌朝になり、ぎりぎりの時間にセットされてあったアラームの爆音で起きた薬師は、変な夢を見て寝直した位の記憶しかなく、慌てて身支度を始め、何とか時間の辻褄を合わせた。
 眠い目をこすりこすり、掃き出し窓のシャッターが上がるのを眺めてコーヒーを飲んでいると、外で重機の轟音がして、精密機器運搬用のばかでかいトレーラーが駐車を始めた。
 誘導しているのは渋川で、トレーラーに乗ってきたのは車輌課の誰かだ。ヨシムラなら誘導無しで畑に入らず停める。別の人だろう。
 誘導音が鳴り終わっていないのに、来客のチャイムが鳴る。薬師の眼鏡の端に表示された玄関モニタに、ADDと思しき大男と、後に続く設備部数人と塩谷エリンが映った。今日は須崎工務店側は休みだ。
『オハヨーゴザイマース』
「おはよーございまーす。今あけますー」
 冷蔵庫の中の麦茶ボトルの数が足りるかな。そう思いながら薬師はぺたぺたすりっぱで応対に出た。鍵は勝手にあくが、さすがに特三の面子だけではないので勝手には入ってこない。
「よろしくお願いしますねー」
 口々におはよう、おつかれさまです、作業始めます、と挨拶だけして、設備部は全員ガレージとトレーラー側に散開していった。
「ヤクシニ、顔面眠そう」
「寝られなくて夜中に起きたんだよね……ごめんね無理言って。送った武装リスト見てくれた? 無いと思うけど、襲撃とかあったらあれで応援くるまで耐えて」
 ADDは真意のわからない笑顔をして見せた。
「耐えるには微妙に足りないって、渋川サンが」
「うん、まあ、できれば全部さっさと撃破しろってやつ」
「だから微妙な数なんだ。ワカリマシタ」
「あそうだ、塩谷さんて工事もすんの? なんか普通に皆について地下入ってるみたいだけど」
「するみたい。元々本土のカンオケの代理店に居た人だから」
 ははあすげえな、と言いながら、薬師は工事に入った人数を数え、冷蔵庫の中の差し入れ麦茶ボトルが足りることを確認し、ADDに上がるよう促して、業務引継の書類を眼鏡に映し、渋川と、ADDの端末宛てに送った。
 居間に入ると、シャッターの上がった掃き出し窓をノックする音がして、外に渋川と、車輌課のミムラが立っている。窓を開けて、養生の上だけ靴でよいとそのまま上げ、少しだけミムラを待たせて業務引継をした。工事現場と地上部の保守、教授の端末体送付後は彼女の護衛。設備部に差し入れ。定時で交代する類の仕事だ。
「上司に自分ちの番させるかね」
 苦笑する渋川にコーヒーメーカーで落ちたばかりのコーヒーを注いだカップを出し、薬師は知らん顔で応えた。
「いきなり人んちの地下部分ぶち抜いてラボ入れたりする会社なんだから、警備の人員くらい出ないとね、割にあわんよ」
 わり、と言いながら首を傾げたADDとミムラは、渡されたコーヒーカップに口をつけて、お互い真意のわからない笑顔をして顔を見合わせた。
「大体、想定した侵入経路と使用機材とパターンきちんと解説してる、人が暮らしてるキルハウスなんだから。何で街警の若いの連れてこないのよ」
「いやそれが、その状態をドン引きされてな」
「何それ。知らんよ。渋川さんやってくださいね」
「そのつもりだよ。夜番にはベータが来るから」
「了解です」
 ラボユニットは島嶼側から挿入されるために移動中、隔壁は工事継続中、今日は教授の端末体とカンオケが送付されてきた。薬師がメンテナンスを終えて家に帰る頃には、起動を完了した端末体が留守番をしているはずだ。メンテナンスから早く戻れれば、まだ教授はカンオケの中で、特三の保守を再び彼女が引き継ぐ。
「その顔面と首そろそろ治るのかい」
 そう問うて、飲み終えたコーヒーカップを警備犬ボットの頭にバランス良く置かれたトレイに載せた渋川は、犬ってこんな事できるんだ、と呟いた。
「今回で外見は、特にこの顔面は治りますね。病院番と大学番のときに苦情がやっぱ出て、顔が先です。まだ何カ所か肉が剥げてるけど、そこはぼちぼちだそうで。人工筋肉入れてるけどこっちのほうが出力でかくて都合がいいもんで……あんまり換えたくなァい」
 腕まくりをした彼女の腕を眺め、換えなさいよ、と笑う上司に、やだいやだいとだだをこね、薬師は犬からコーヒーカップを3つ受け取った。
「今回のラボ入れが終わったら、船の主要部分の巡回始めるってよ。まあいい加減そろそろ爆発した廃墟からスラム位には戻ってくれねえとな、補強無い所が水漏れして地盤沈下みたいになる」 
 渋川の言葉に、そりゃ切実だ、と笑った三人は、時間を確認し、その足で解散した。ミムラとADDは機材搬出中のトレーラーを終了確認したら帰社、渋川は薬師の家に残り、薬師はメンテナンス入院のためあけぼの会病院へ向かう。一連の流れに問題はなかった。
 
 さてそれから、月末が過ぎ翌月上旬。少しだけ退院が早まった薬師は、何事も無く帰宅して、渋川らから工事現場の保守を引き継いだ。何かが邪魔をして、まだカンオケは自走コンテナから出されていなかった。理由は明日聞く。
 ここからは薬師と、敷地の随所に放った目々連、一頭増えた警備用大型犬ボットが二頭、保守にあたる。
 あたるといっても、夜間はほぼ自動化されているので、機械を騙すのが得意な奴が来たらアウトだ。それは薬師も教授も、警備部でも承知している。承知と実際は別なので、有事には家を吹っ飛ばしてでもカンオケと中身と隔壁工事現場を守り切るのが仕事になるが、それはその時考える事だ。
 通常の五割増し位大きなサモエドと、雑種大型犬の黒い犬(代理店の営業曰く「ウルフドッグって言っておけばご近所も納得して、大丈夫ですよ!」)が二頭とも居間で寝転ぶと足の踏み場が減るので、薬師は、設定中のサモエドを残して、黒犬を地下に向かわせた。
 着替えの暇も惜しんでサモエドの設定をしていると、視界の端に教授からの伝言がポップする。
 『引っ越しの支度をするわ! お引っ越しよ! そんなわけで留守です』
 ただのテキストのくせに異様にテンションの高い伝言を見て、薬師は少し笑って、犬の設定に戻った。
 設定を進めていると、ふと、屋外、家の周囲に敷いた玉砂利がじゃっという音を立てた気がして、彼女は顔を上げ、サモエドと顔を見合わせた。敷地を飛んでいる蝿型目々連を急行させる。
 近くに放り出してはいるが装着されていない小銃と、戦闘外殻潰しの象撃ち拳銃をそれぞれ支度して、薬師は最後の設定項目を終わらせた。
 これで黒犬並の指示の通り具合になる。何なら超能力かと思うくらい良い感じの働きものだ。
 もっふりふわふわ番犬が完成した。これはガレージ側出入口と玄関から居間と空き部屋、水回り、地下設備に行く簡易エレベーター(床下収納に偽装されており、床だけで降りていく、本来あってはならない仕様)をつなぐ通路に放つ。二交代で薬師を出迎え、必要あれば敷地内設備での戦闘を許可してある。
 そして滅多にない事だが、あまり壁際に寄って、窓に下ろしたシャッターや壁ごと重機関銃でぶち抜かれても嫌なので、薬師は、アイランドキッチンの陰に移動して、蝿型目々連のカメラ映像を確認した。
 家の周囲に人が居る。それも、設備部の人間が四人。
「……は?」
 設備部の人間なのに、装備が警備部の薬師(生体部品)とADD(生身)のそれに近く、私物だろうか、登録のない小銃と拳銃が確認できた。そして人間当人は、西岡哲治が四人居る。
 重機関銃は持っていない。考えすぎだった。
 西岡こないだ辞めたんじゃねえのか、と内心首を傾げた薬師は、考えるのが面倒だと西岡の正体について考えるのをやめた。全部不審者だ。西岡のままだと区別がつかないので、映像内のラベリングを赤・青・黄緑につけかえる。
 片手間で教授を呼び出すが、本当に引っ越し作業中らしく、呼び出しに応じない。仕方ないので、「不審者四名、装備その他は動画どおり。対応中です。カンオケはまだ設置前で、自走コンテナからでてないです。家の簡易エレベーターないし同梯子、ガレージの床を下げない限り地下には入れません。例外:島嶼側からの侵入」とだけメッセージを投げ、玄関のコートハンガーの裏に隠したブレーカーボックスを開けて、簡易エレベーターとガレージの床のブレーカーを落とした。どのみちすぐバレるだろうが、気は心というやつだ。後は全部地上でやる。
 ドアノブが静かにかつかつと音を立てた。自動鍵の他にアナクロな鍵が4箇所かかっている。このドアを脱けるのに一番早いのは、ラウンドソーでドアをぶった切ることだ。その気配がない。青と黄がガレージ側に回る。風呂場の方が侵入には楽だと思うのだが……。
 勝手にドアノブをいじると、投影型のグラフィックで誰何が投げられる事になる。設定は中年男性。自動音声っぽい音がして、銃声と思しき破裂音がした。赤か緑が撃った。
 撃つ奴があるかよ。薬師は小銃を構え、犬は銃声を察知して警察と警備部に自動通報を開始した。直後、ドアがとんでもない圧で数度殴られきしみ始める。破壊槌でも持ってきたのかという勢いだ。普通のドアだからそんなに乱暴にしなくてもいいだろう――薬師は、小銃を象撃ち拳銃に持ち替えた。戦闘外殻、それもパワータイプの奴がいると思われる。ドアが吹っ飛ぶか、穴が開いてシャイニング状態になったら即座に撃つ。
 数度の衝撃でドアがひしゃげ、ちぎれた瓦礫が玄関内に飛んでくる。躱して尚狙いを逸らさず、薬師は隙間から見える人影を撃った。轟音と共に、外に向かって重量物が地べたに当たる音がする。
 監視カメラ内で、緑が地に伏した。赤がドアの穴から小銃を突っ込んでくる。青と黄が慌てている。突っ込まれた小銃を左の小銃で横から撃ち壊し、右の象撃ち拳銃でごんごんと二発叩き込んだ薬師は、青と黄の反応を待った。だが移動しようとしない。このまま玄関を開けて出ればこちらの負けなのだけがわかる。
 気は心と、玄関に置いてあった梱包用のクラフトテープをドアの穴に貼り、薬師は少し戦線を下げようとした。
 と、背後に突如西岡がもうひとり出た。薬師は振り向きざまに彼を小銃の銃把で殴りつけたが、寸前でひっくり返って躱して跳ね起きてくる。跳ね起きた顔をド正面から平手で叩くと当たった。
「痛った! ルリコさんひどい」
 見覚えのある、背の高い女性がそこにうずくまってこちらを見上げている。誰だったか。隣の船の、久能医院の受付の女性だ。珍しく、機械から人に交代したという。
 多分、院長の久能夕顔医師と、この女性にしかわからない理由で就業している。それはさておきそんな女性がなぜ、西岡のアカウントを使って家に侵入できたのか。
 体内通信で耳の奥に着信がある。私用のアカウントだ。
 着信させると、聞き覚えのある男の声がする。
『俺だよ俺俺。あいや僕だよ、モルガン・コティヤール』
 薬師は息を呑み、肉声でなく通信品質で叫んだ。
『何だお前! 夕顔先生んとこクビになって押し込み強盗か』
『叫ばないでよ……ただでさえ声でかいんだからあんた……』
 さすがにクビと押し込み強盗は否定して、モルガンは受付嬢の顔で笑ってみせた。
『逆、逆。今お宅でご商談中の四人な、夕顔先生んとこに入った空き巣の西岡君なんだ。ちょっとやられたものがあって、遠路はるばる出張です』  
『この家にどうやって入った』
『教授に教えて貰ったよ。風呂場の通気窓。鍵と金具壊しちゃったから、後で夕顔先生に請求書出して』
『頑張ったな、助かったわ。ちょっとお前そこドア開けて外に出ろ。赤と緑にトドメ刺さないと起きてくる』
『そこまでする必要はないでしょ。ぼくが拘束しておくから、ルリコさん仕事しなよ。玄関から入ろうとしたら、きっちりシメとくよ』
 腰のボディバッグからダクトテープを取り出し、モルガンはにっこりして見せた。ボディバッグの表面に括り付けられた、でかい刃物の鞘が二本分見える。
 釈然としない表情で、薬師はサモエドを先にエレベーターに乗せ、ブレーカーを元に戻した。ガレージのシャッターが、上げてもいないのに上がっていく。侵入だ。
 モルガンは、すっと玄関から鍵を開けて外に出ていった。回線の生きている自動鍵が閉まる。
 薬師は、玄関前を顧みることなく家の奥に入り、通路つきあたりにぽっかり開いた穴の脇から下に向かって結んである降下用のワイヤーを掴み、頭から滑り降りた。
 
 ガレージ床面が金属のきしむモーター音と共に降下してきて、地下の照明がぴいんと音を立てて光る。床面に乗っているのは、警備部の装備に似せてあるが似ていないものに着られた、正体不明のごろつきだ。
 薬師は、降下してくるガレージ床から絶対に見えない所、床面停止位置の下に伏せ、象撃ち拳銃の弾丸を入れ替えて待った。実は、機械の配置の都合で、彼女が一人匍匐前進出来るくらいの隙間が開いて止まる仕様になっている。
 撃ったところで逃げづらいので、即座に下半身を狙撃とかそういうことはできない。だが、物盗りが露骨に狙うなら自走コンテナだ。今なら新品のカンオケと端末体が持って行ける。薬師は身体をそちらへ向けた。人の脚がふたり分降りてくる。良い感じだ。
 工事現場も同じ方向だ。いじくり回せば一網打尽にしてやる。
 先にガレージに放っていた黒犬は、侵入者を襲撃しようとするのを寸前で停止させたので、地上部分で待機している。
 サモエドは少しずつ包囲を狭め、侵入者から極めて近くの倉庫設備の箱と箱の間におすわりしている。生物ではないので息をせず、あまり気配がないのが特徴だ。
 侵入者ふたりは、工事現場に手を付けることなく、自走コンテナに回り、あちこち見上げたり見下ろしたりと確認を始めた。そのうち裏に回ってしまったので、薬師はガレージ床面の下からそっと這い出て、目々連(蝿)のカメラを頼りにタイミングを測り、サモエドより少し遠い位置に移動した。
 と、蝿のカメラに、地上のガレージからひょこっと女の顔が逆さに覗くのが映った。モルガンだ。
 さすがに飛び降りてはこない。
 構わず、犬を回り込ませコンテナ壁面に沿って動き、薬師は、コンテナの下の隅に何かのカートリッジをくっつけようとしていたふたりに小銃を突きつけた。
 殴りかかるひとり、黄ラベルを犬が背後から押し倒し噛みつく。
 薬師は、もうひとり、青ラベルが慌ててそちらを見たところを、頭を小銃で殴ったが、銃把がブチ折れた。
「えっ」
 戦闘外殻、ものすごく硬い奴だ。型番が脳裏をよぎるが正確には思い浮かばない。
 目の前の青ラベルが男の声を上げて掴みかかってくる。薬師は負けじと相手の服を掴んで投げたが、無力化はできない。
 地下で発砲はできればしたくない。倉庫だけなら遠慮無くやった。工事現場とコンテナに穴をあけたらと思うと、手が鈍るのだ。絶対当てる。絶対当てて、こいつが倒れる保証も無い。
 沢山当てる。象撃ち拳銃の総点数は五発だ。
 いくつか自走ケースの中の装備を召喚したとして、一番良いのは対物ライフルで吹っ飛ばすことなのに、工事現場のせいでそれができない。
 薬師は、投げられて起き上がってきた男と対峙しながら、内心冷や汗をかき始めていた。
 地上に残ったモルガンにやる気があれば、そして気づけば、簡易エレベーターの脇のワイヤーを伝ってくるはずだが、期待するものではない。高みの見物を決め込んでいたらどうする。
 薬師は、よく格闘技の訓練をされた拳や脚をガードしながら、投げて撃つ機会を覗った。しかしこの重量級の戦闘外殻は、いちいちこちらの骨格が壊れそうなほど一撃が重い。実際打ち所が悪かったら壊れるだろう。どうしよう――
 少しだけ弱気になったその時、薬師は綺麗に吹き飛ばされた。サモエドが取り押さえていた黄ラベルを離して薬師の前に立ちはだかろうとするが、それはまずい。黄ラベルの拘束は継続だ。
 彼女は起き上がる間も惜しんで象撃ち拳銃を抜いて、やむなく目の前の男を撃った。鎖骨の下、胸部に五発とも当たった筈なのに、身体に食い込んで先に進まないのが見て取れた。
 なんだその硬さ。どこで施術された身体だ、少しおかしいんじゃないのか……薬師は、近づく男をぶん殴るべく、熊撃ち拳銃を逆手に構えた。これを犠牲にしたら、小比類巻銃砲の社長にちくちく嫌味を言われるんだろうなと思いながら、這いずるように後ずさる。
 後ずさって、腕だけの一挙動で起き上がり、走って逃げようとしたが、あちらも脚が速かった。捕捉されてシャツを掴まれると、引っ張り合いになった瞬間布地が裂ける。正直そこを気にするところではない。いろんなものがピンチだ。警備部め何をしている、早く来い――薬師は背後から雑に蹴られ、うつ伏せに倒れた。
 足首を掴まれ、床の上を引き戻される。それからだいぶ長い時間が経ったような気がしていたが、頭の上で耳障りな衝撃音がし、声のような呼気のような変な音がしてくるまでそう時間はかかっていなかった。重い人体の倒れる音がする。 
 うずくまって衝撃に耐えようとしていた薬師の尻を、運動靴の爪先がそっとつついた。
『ルリコさん。僕に向いたこの立派なお尻どうしてあげたらいいかな』
『……あ? ああ……返品では』
『返品するのももったいないですな。暇ならこれからでも』
 おそるおそる起き上がって各所の無事を確認し、薬師はその場に座り込んで大きな溜息をついた。
「青たんできてる……できるんだ……」
 頭の上から布が降ってきた。モルガンが着ていた女物のジャンパーだ。
「着替えるまで貸してあげる。僕ちょっとあいつ拘束して捜し物するから、ね」
「そりゃ、ありがと……」
 そういえば、作業台の椅子の上に放り出していたシャツがある。薬師は首を傾げながら破れた布を脱ぎ、それを頭からかぶった。よく自分のものだとわかったものだ。 
 サモエドの拘束していた黄ラベルに緊急停止スティックを突っ込み、モルガンは彼のポケットや身体のあちこちをまさぐり始めた。
「こいつじゃなければそいつか、どっちもなければ売っちゃったかな……そんな簡単に痕跡無く売れる代物じゃあないんだが……」
 あった、と大きな声がして、モルガンは白い小さな箱を手にしていた。
「何それ」
「空き巣にやられたでっかいアレキサンドライト。たかそう」
 薬師は、そういえばとだいぶ昔夕顔医師と一緒にした仕事の事を思い出した。
「それ、買ったんじゃなくて、カネの代わりに曰く付きを貰ってきたやつだよ。あの人現金に拘りないから。何だったかな、夢に出て、後生の注文が小うるさいから連れて帰ったとか……」
「きもち悪ッ」
 だろうな、と笑って、薬師は、後頭部から大きなナイフを突き立てられ倒れ伏し、人工血液と機械オイル溜まりを作っている青ラベルを眺めた。
「とっさだからやっちゃった。ごめん」
「業を積むのも程々にしときたいんだけどな」
 面倒臭そうに立ち上がり、彼女は、倉庫の隅に置かれた園芸用品の中から、どう見ても使う機会のなさそうな斧を持ってきた。
「ルリコさん、そこまでしなくても」
「ド正面から取っ組み合いしてる誰が背後からでかいブレードで刺すんだよ。斧くらいしか使えるもんないだろ」
 やめろ、いややるで揉めていたふたりは、しばらくして教授のアカウントからのコール音に気がついた。
『何さ!』『誰さ!』 
『何でも誰でもいいです! 三つ向こうの船発出で賞金掛かってたわよそいつら。どうする? 今のうちなら対象者一部死亡で処理できるけど』
『そんな都合の良いことがあったな……そういえば』
『ここの船、薬師さんが食い荒らしたせいで、今割と治安がいいからねえ』 
 異口同音によろしくお願いしますと言って、ふたりは斧に視線を落として、安堵の溜息をついた。
「ねえルリコさん、泊まってっていい?」
「仮眠ならいい。始発で帰れ。」
 
      ☆★☆
 
 設備部と街警二課の夜番、警察から井筒刑事を召喚し、工務店に連絡をしつつ薬師は後始末をした。
 設備部が言うには、自走コンテナに変な細工をされる前に薬師が手を出したので、おかしなことにはなっていないけど、明日点検してから作業するので、工務店と教授に言っとく。工期延長かあ……
 「掃除しときますから」
 「よろしくねぇ」
 
                             【了】

(軽い気持ちで投げ銭をお勧めします。おいしいコーヒーをありがとう)