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【顔の話】/ティールブルージャケット無印

 ゲーミング椅子の下で寝袋に詰まって寝ていた湯沢ヤンは、変な音を聞いて起き上がった。
 音は作業台からした。先程まで触っていた少女人形の頭からぼそぼそと音がする。
 湯沢は人間より小さな頭部を眺めてひとつ唸り、台の隅に安置した、作りかけの人間の顔を覗き込んだ。
 本来の仕事で作っている「顔面」が喋っているのかとも思ったが、そちらはシリコン表皮の固定待ちだ。喋る動作で多層シリコンが剥がれた跡はない。
 どちらも、ドールボディなり、人工真皮アダプタを装着した人の顔なりに接続しないで喋るはずがないのだ。
 何だ、これは。夢か。
 
 湯沢は、人形から人間まで顔面ならお任せ、顔面専門の人工体造形家である。彼の作品は、大変精緻だと評判が良い。
 趣味も人形いじりで、今日も人形に瞳を入れようとしたが、作業途中で急に眠くなった。連日の精密作業で存外疲れていた。
 夢の中で、作業台アームに固定した少女の頭部が喋った。
 小さな声に一生懸命耳を傾けると、やがてごく僅か聞き取れた。

 __ほしい
 
 具体的な内容は聞き取れない。
 湯沢は目を醒まし、暗い部屋で起き上がった。
 作業台の窓辺側の黒い遮光カーテンを開けると、曇り空の一部が黒い。
 黒が吸盤ステップで窓に張り付く人間だと気づくまで間ができた。
 暗黒塗料で顔を塗り、両目も暗黒眼球だ。目出し帽、全身黒ずくめ。片手に何か握っており、
 
 カスっと音がして窓に丸い穴が開いた。
 
 黒軍手が雑に突っ込まれ、作業台の際に置いた標本紙箱を掴んで引っ込んだ。中身は特注の宝石眼球だ。
 湯沢は窓を開けようと手を伸ばしたが、強盗は四肢の残りを離し、五階の窓から飛び降りた。
「ああ――だめ――!」
 開けた窓から、相手が地面に着地して走り出すのを見た湯沢は、電子紙端末を取って部屋の玄関から出、通報と追跡を始めた。
 箱の内容固定に使った紛失防止粘土タグが反応する。
 絶対逃がさない!

☆★☆

 ルースケース内に仕込んだGPSの位置情報は、住宅地の中を突っ切るような妙な移動を繰り返す。泥棒が乗り物に乗った形跡はない。走れば少しは追える程度で移動している。
 湯沢は長距離は得意なほうで、都市部で年に一、二度開催されるマラソン大会に生身扱いで出場し、ほどほどの戦績を収められる程度には速かった。
 どこか故買屋か転売屋の所に収まれば、泥棒の足も止まるだろう。腕に自信は無いが、今日明日中にどうにかする。
 自分が何の用意も無くフルマラソン走りきって死ぬ思いをする前に止まってほしい。彼は信号で足踏みしながら頭上を見上げた。黒い影が忍者よろしく通りの空を斜めに横切る。
 奪われた宝石眼球の価格自体は、(特注でかなり痛いが)比較的廉価なものだ。問題はその用途である。
 住居兼工房を置いてある、今日強盗に遭ったマンションの、ふたり居る管理人のうち片方の実家の寺から依頼された、変な仕事だった。祈祷だか供養だかする人形に、宝石眼球を入れて返してほしい。
 ところがなかなか人形が寺宛てに到着しないので、作業に入れず案件停止状態で置いていたやつだった。
 眼球代自体は貰っているので、トラブルが無ければ問題無い話であった。だが弁償するとなると話は別だ。納期と懐を直撃する。
 何度目かの信号で足踏みをしながら、息も上がってきた湯沢の手元の端末画面で、GPSの位置情報が停止した。確実に止まった。一丁目先の割と大きなオフィスビルにいるようだ。
 信号を渡って少し走り、湯沢は次の信号を渡らず止まり、古びた飾り気の無いオフィスビルを見上げた。
 天華貿易運輸。社屋前には自前の系列警備会社か傭兵を置いている。系列のEC企業が売っている物(主に一般的な消費財)は大変安価で利用者も多いが、起きるトラブルが大きく揉めるとしんどいという噂をよく聞く。湯沢は使ったことが無い、あまり縁の無い会社だ。
 走るのを止めて上を見ながら歩いていると、社屋と隣のビルの隙間に黒ずくめの影が入っていくのが見えた。と、ふらふら歩いていたので社屋に寄っていってしまい、立っていた目つきの鋭い警備員の背中に正面からぶつかってしまった。
「あっす、すみません……」
「失礼、きをつけて」
 睨んだのではなくそういう目をしているんだな、という感じの優しい声がして、歩道の人の居ない方に誘導される。
 湯沢自身も小柄な体格に見合った線の細い少年風の顔を装着しており、ぱっと見胡散臭さとは無縁の外見をしているが、あまりこの辺でうろうろしていると怪しまれるだろう。
 少し向こうまで歩いて覗いた端末の、GPSのフラッグが少し動き、どうやら社屋と繋がっているらしい構造が表示された「隣のペンシルビルの」最上階(四階)で完全停止した。
 見ていた端末画面の隅に、マンションの管理人室のIDと、【名越】という管理人の苗字が表示され、テキストメッセージが入った。
『なごやです。今お忙しいですか? 一時間くらい前に通報されたって今警察と会社が来たんだけど通報しましたか? ご無事ですか?』
 今かよ、と呟いて、湯沢は天を仰いだ。これから適当なチェーン系カフェにでも入って作戦立てて取り返そうと思っていたのに、とんぼ返りしなければならない。
『しました。帰った方がいいですかね』
『戻ってくれると嬉しいです。現場が外だっていうから部屋の中から出て見るか、壁を六階まで登るか降りないとならないんですが、警察も会社も、高所対応人員設備全部出払ってるらしくて、井筒さんがお部屋の中から見たいって』
 井筒というのはたまに巡回と称して訪れる私服刑事ふたりのうち、年かさの方だ。若い方が仁藤。
 会社というのは、人員を極限まで削減された警察から下請けを請けてこの船上の街を警備する、船主所有の警備会社のことだ。二人ひと組で巡回しているのを時々見かける。
 警察の他に、そこの社員が訪れている。合計四人に、そして常駐管理人がひとり。
『五人も入ったらギュウギュウだ』
『まあそこは、ジャンケンでもしてもらいましょう。いや無事ならいいんです、お帰り、気をつけて。警察連中には俺の方から番茶でも出しておきますんで。お待ちしています』
 毎朝エントランスの掃除ついでに機械猫と猫じゃらしで遊んでいる、スウェットのパーカーとズボンに便所サンダルを履いた、上背のある巻き毛の長髪男の悪くない顔を思い出し、湯沢は仕方なさげに息を吐いた。
 帰ろう。ビルを見上げていても解決しない。
 
☆★☆

 湯沢がマンションに帰ると、六階からエレベーターが降りてくる。
 管理人室は無人だった。
 しばらく待つと、首を傾げながら戻ってきた私服刑事ふたりと警備員ふたりがエレベーターから降りてきた。
 最後に降りてきた管理人がよっと手をあげ挨拶する。気安すぎて少し気分を害した湯沢は、ふと背後に気配を感じて振り向いた。
 常駐ではないバイトの管理人が背後に立って、よっと手を挙げた。
 見覚えのある学生。東海林(しょうじ)という。
 湯沢が例の宝石眼球を人形に入れる仕事を請けた、そこの寺の孫だ。
「……困ったな。しょうちゃん来ちゃうとお部屋どこもみっちりだぞ、俺ら全員図体でかいから」
「ぼく帰ろうか?」
「バイト代出ねーぞ。湯沢さん戻られたし留守番してて。おかえりなさい、どうもすみませんお忙しいのに」
 いつもよりずっと饒舌に場を仕切る管理人に気圧されながら、湯沢は頷いた。
「エレベーターに入りきらないから、俺と井筒さん、湯沢さん。仁藤さんと会社の人は後でお願いします」
 携帯端末がジッと震え、テキストメッセージがいくつか着信した。いつの間にか自分が管理人ふたりの会話グループに招待されている。ふたりとも体内通信の回線を持っているらしい。
 東海林が傍に寄ってきて背中をつついたが、湯沢は「後で」と口だけ動かしてみせた。
 
 現場そのものは湯沢の作業机と窓の外の際で行われた小物の奪い合いだった。
 室内に特筆すべき異変はなく、六階の大家の部屋(+湯沢宅屋上に相当するルーフバルコニー)も侵入や使用の形跡がなかったため、ただの泥棒ではないと警察は考えているようだ。
 比較的高価ではない(廉価でもない)宝石眼球ひとつにわざわざ壁をよじ登ってくるなら、眼球の出所か使用目的が問題である。
 点検用の外壁梯子は反対側で、六階の屋上まで通っているので、外壁梯子を使って五階に降りるには六階を経由する必要があり、無人の六階を無視して五階に直接来るかどうか。六階の部屋を住居に使っている大家より顔面作家の湯沢の方が高価なものを扱っていると思われていれば、直接の標的になり得る。真意は捕まえなければ判らない。
 井筒がさらに言うには、大家の職業柄、外壁警備装置がどこかに設置されていないとおかしい――
「それなんですけど、こないだアプリアップデート後に『外壁部に現れた全てのものを索敵誰何無しで迎撃する』って不具合が出まして、リコール対象になったんです。俺は落ち葉掃除中に休憩して、壁にもたれて煙草に火つけたらビシビシ細かいもんが当たって、煙草落として服が焦げた位で済んだんだけど」
 六階の窓辺で鳩を射殺した騒ぎになり、夜勤後で寝ており寝ぼけた大家が物音に驚いて窓から顔を出したため、両方の頬を撃ち抜かれ綺麗に穴が空いたという。
 その後傷の応急処置をして出社したら治療を申し渡され、メンテナンス期間が長引いて大家は不在になった。
 そこから今日まで、修正パッチがまだ出ておらず、管理人室では周辺住民にも危険を及ぼす可能性があるため、装置丸ごと電源を切っていた。
「それって運が悪いと、大家さんも不慮の事故で死ぬやつですね」
「当たり所悪いと死にますね。あの人今、生体部品タイプの戦闘外殻だからちょっと柔らかくて。横から綺麗にほっぺたと歯と歯の間をゴム球が抜けたんですが、ずれたら歯だけでなく頭部骨格シェルが直接やられました」
 名越が井筒に説明をする言葉の端々に、苦々しさが感じられた。巡り合わせが悪すぎた。
 湯沢もだいぶうんざりした。彼は完全に被害者であった。
 
☆★☆

 だいぶ雑な現場検証が一応終わり、あとは犯人逮捕後に実況見分で人が来る位だろうということになった。死人が出たり部屋が焼けたりしたわけではないのが不幸中の幸いだ。
 それでも東海林の実家の寺から請けた仕事が長引いたり完遂できないのは困る。管理人室に持ち込んだ大きなホットプレートでたこの無いたこ焼きを焼きながら、三人は半ば諦めた感じで宝石眼球の奪還を検討していた。
 絞り出し型のパンケーキ生地をたこ焼きプレート半分にどちゃあっと絞り出した湯沢は、GPSのログを眺めて長考している名越と東海林を横目に、生地で満ちた半球内に割ったチョコレートを突っ込んだ。と、名越の喉からひとつ唸り声が絞り出される。
「この、ペンシルビルの裏と隣の物件、なごやか不動産――俺の実家の持ち物なんで、裏口につけてくれれば俺が行けなくはないんですがね、そこから先が怖くて行けない」
「えっ有(あり)さん、怖くてってどこまで行くつもり」
「ペンシルビルの屋上。とうっと跳んで。アレなんだっけ、あの気味悪い虫みたいなドローン……目々連放出すんの。跳んだ後がだめ。できない」
 湯沢は溶けていくチョコレートを眺めながら頬杖をつき、焼ける生地を睨んだ。
「空き巣じゃないですか、それ」
「空き巣がとっさに持ってった感じのものを故買屋に売って、それがその四階のどこぞに格納されてるって止まり具合でしょう。それ。目には目をって言うじゃん」
「有さんそれまずいよ、迂闊な事あったら大怪我じゃ済まないでしょ」
「まあ君らよりは戦闘能力はあるよ。普段やらないだけで」
「よその物件に踏み込めないの、どうしようもないハンデだと思うよ。ぼくが行くから」
「学生さんはダメ。一発退学になっちゃう」
 たこ焼きピックでパンケーキボールに生地の端っこを押し込みながら、名越は東海林を黙らせた。
「私が行かないとならないとは思うんですが、さすがに空き巣や強盗の経験は無いんで……」
「えっ、顔面作家の前は何されてたんですか」
「いやずっと顔面屋だよ? 死んで外見データがフリー素材になった人の顔面を違う人に上手いこと装着する仕事だから、顔面コピー機材操作屋さんとも言うけど。機械で全部やるにはまだまだ精度に限度があって……」
「この中で押し込み強盗、空き巣、説教強盗、強奪、隠密行動、破壊行為の経験がどれかある人」
 体調崩して捕まってお袋の養子になる前なら、と名越が軽く手を挙げる。と、少しだけ換気で開けていた管理人室の戸口に人の気配がして、開いたドアから紺色のドカジャンの腕が「はい」という女性の声と共に挙がって突っ込まれてきた。
「ただいま。みんなの大家のお帰りである」
 ぬっと突っ込まれてきた、黒いキャップを目深に被った頭がゆっくり三人の方を向く。全く黒い顔面。黒いレンズのサングラス。
 喉の奥で悲鳴を上げた湯沢が、残り水の入ったステンレス計量カップを掴んでその頭に投げつけた。
 大変小気味のいいこもった金属音が響き、キャップの人物は額を押さえた。
「いてえ!」
「顔! 大家さん顔! マジ真っ黒」
「ちょっと姐さん趣味わっる……」
 息を切らして投擲のフォームのまま固まっていた湯沢は、我に返って慌てはじめた。
 一方で計量カップをぶつけられた大家・薬師ルリコは、ごめんごめんと管理人室にあがりこみ、キャップを取って、おそらく施術のために五分刈りになった頭を晒して会釈した。
「すみません驚かせて。あんまりしょっちゅう顔面ぶっ壊すってんで会社が嫌がるんで、フェイスアダプタつけたんだけど、病院にあった、アダプタ経由で着けられる顔の在庫が暗黒顔面しかなくて。そのうちまた行かなきゃないんですわ。お騒がせしました」
「薬師さん聞いてよ、五階に強盗はいったんだけどそいつが、暗黒顔面しててさ」
「あーそれ説明書きに入ってなかったな。そりゃ驚くわ。聞いてたら多少は遠慮した」
 ドカジャンを脱ぐ薬師に手拭いを要求された名越は、そそくさとタオル入れから薄手のタオルを取り出し、放った。
 薬師は受けたタオルを頭に被り、上からキャップを目深に被り直した。丁度野良仕事から帰ったか、夏場に野球スタジアムから帰ってきた観客のような外見になる。
 彼女は空いたスペースにやれやれと腰を下ろし、真っ黒でよく見えない口から声を出した。
「これで少しはマシだろう。で、なんだって? 私に何をしろと。今ならこのご面相だ、だいたいやれるよ?」
「天華貿易運輸の隣のペンシルビルの四階にある、宝石眼球を取り返したい」
「あーあの性悪暴力故買屋か。時々会社で弁護士さんの護衛に行くがね。あの家賃滞納ヤクザがどうしたって?」
「えっ。天華貿易運輸の関係会社じゃないんですか、あれ」
 薬師は、えっ、と小さな声をあげた。
「今から行くのに何も知らんのか」
 首を少し傾げ、喉の奥でううんと唸って、彼女は三人をまず制止した。
「ド正面から行くならやめなさい。むしろ転売されて買った奴を追跡してボコって係留池に投げこんだ方が処理的にまだまし」
 ペンシルビルの四階のテナントは、性質の悪い故買屋で、天華貿易運輸の支社長の、大陸から来た遠い親戚がやっているだけの鬼子だという。
 元は建物同士に通路があったが最近取り外されており、天華貿易運輸自体もなるたけ関係を持ちたがらない札付きのヤクザ者だそうだ。
「暴力沙汰になったら本当に面倒だから。特にそこの湯沢さん。さっき聞こえたけど、顔面屋なんて、公式にはこの船にひとりも居ない筈だから、あなたに正体あるならどこの誰だかバレるよ。手を出してこなくても入管に匿名でチクられたら、なんぼ入管が仕事しないって言ってもね。今あいつら、情と損得で仕事すっから、ロックオンされたらかなり面倒では?」
 湯沢は何か言いたげな顔をしたが、焼けたチョコ入りポップケーキをかじるだけで反論はしなかった。
「でもさあ、通販されたら手が出せないと思うんだよね俺」
「通報しとけば通関で止まるよ。私がしとこうか。なんなら検疫に愚痴って部署が違うって怒られてもそれはそれで」
 のんびりと話す薬師と名越を遮り、東海林が突っ込んだ。
「薬師さん、ちょっと待てないんです。ウチの寺の人形供養の仕事が絡んでて、人形が発送された」
 あれかい、と闇の奥で面倒そうな声がして、あれです、と東海林が頷く。
「夜中の二時に恨み言延々述べて家中歩いてくるよりは、胸にラバーダック突っ込んで啼きながら防音施錠した仏間跳ね回るほうがマシだって聞いてたやつか」
「はい。今度は夢に出て目が欲しいってワガママ言い始めまして、おうちの人が寝不足で車で結構な事故したって。自動運転あるのに誤動作繰り返して、車屋さんもわかんなかったやつ」
 薬師は、ああーという濁声をあげて天井の隅を仰ぎ見た。
「そりゃおうちの人怒るな。じゃほとんど時間がないんだな」
「無闇に焼いてもまずいらしくて、その、条例的に」
「焚き火に突っ込んで焼いたらゴムタイヤみたいな臭いするしな」
 東海林と薬師が諦めの境地でかぶりを振って、ひとつふたつ頷いた。
 薬師が瞬時にやる顔になったのを、名越がとがめる。
「薬師さん、同じ会社同士で相対したら正体ばれるんじゃなかったっけ」
「天華の裏だろ? あの一角だけは我々が追っ払われて長いんだ。昼間じゃないから会社の人間とは遭わない。プライベートマスクしてたら警察以外には誰だか判らない。正面から突入しなきゃいい。
 有君、隣と裏の物件の屋上を今すぐ押さえといて。家に帰って目々連の良い感じのやつ取ってくる。あと、できればゲームか機械、ドローンの操作上手い奴この中で誰か。私アダプタ装着直後だからまだ脳がぼんやりしてて、クレーンゲームみたいな作業無理」
「姐さんクレーンゲーム下手だしね」

☆★☆

 薬師は自分の車で取って返し、かなり大きな目々連(雀蜂)入りの機材運搬箱を提げ、黒ずくめに着替えて戻ってきた。
 できれば素手で持ちたくないと気弱な独語をしながら、名越がたまに使っており敷地内に停めてある、なごやか不動産の社用車の助手席にそれを放り込もうとする。
 背後から、なごやか不動産のツナギに着替えて現れた名越が声をかけた。
「俺運転していくよ。急な点検作業なのに社員が社用車使ってないとおかしいでしょ。留守番にしょうちゃん置いてくから、万が一の連絡係して貰う」
 少しサイズの大きい、名越の予備のツナギを着て現れた湯沢は、全てが真っ黒な薬師の姿を見てヒッと声を上げたが、気を取り直して会釈した。
「大丈夫? ほぼほぼよそんちに泥棒に入るようなもんだけど」
 薬師のかけた声に湯沢は軽く頷いた。
「泥棒はしたことないです。でも元々、死人の顔がフリー素材になったらそれ使って顔替える仕事してたんで多少の事は」
「ああ顔面屋だもんね……それ以上は聞いたらあかんやつかな」
「客の個人情報の深掘りはしないでください。お業界の話になります。空き巣くらいで泣きません。逆に警察に通報の仕方がわからなくて、ねえ、今日みたいな話に。むしろ大家さん会社員でしょう。無理はしないで……」
 薬師は黒い顔面の奥で笑った。
「うん、天華の親戚だってんで賞金もかからんし、適宜やってダメだったら寺とお客に一緒に謝ります。ところであなた腕っ節というか四肢の出力はあんまり無いでしょ」
「無いですね、残念ながら顔と手以外は生身です」
「了解、大体想定通りだな」
 出発後、薬師は道中、ふたりに段取りを説明した。
 
 ・社用車と自社物件(敷地含む)以外はほぼ移動できないという精神的ハンデのある名越は、ペンシルビルの隣の五階建て雑居ビル駐車場で運転手として待機。必要あれば呼ぶ。
 帰り以外にも脱出するような事があったら拾う。
 ・湯沢と薬師は、雑居ビルの屋上に出る。蓄電池の点検と称してマスターアカウントがあるので屋上に出る。
 ・細い一方通行道路を隔ててペンシルビルがある。まずビル屋上の警備状況に対応、しかる後薬師が移動する。多分ペンシルビルの屋上の警備はまともにされていない。外から見たら三階まで空きビルの物置に見えるから
 ・ペンシルビルの屋上に、業務用エアコンの室外機と通気口ダクトの大きな入口がある。この穴の警備状況を確認後、目々連(雀蜂)を全部投入する
 ・湯沢が遠隔操作にあたる。物が四階にあることまでは目星がついているので探す。薬師は戻って周辺警戒。
 ・蜂がルースケースを見つけて持って帰って来られれば終了。帰宅。

「通風口からダクトに警戒網が張ってあったら、運搬担当の操作が若干難しくなるけど、何も無ければ一直線だな」 
 襲撃さえ受けなければどうにでもなる。そう言って薬師は社用車の後部座席で蜂の設定を確認し、以降は終始無言でいた。顔面アダプタの接触が悪いせいか、直した歯が痛かった。
 
 現場に到着し、段取りは湯沢の待機まで程なく進んだ。
 数分彼から人が離れる事になるので、出来る限り姿が見える物陰に待機させ、箱から出した操作機器一式を準備させる。
 薬師は、雀蜂の紙包みを大袈裟かつ嫌そうにつまんで運び、屋上の際で耐切創手袋をはめてから中身を掴み出す。続いて直径3センチほどの球体をひとつポケットから出し、ペンシルビルに向けて投げた。上手いこと屋上に転がり落ち、中継中のアイコンが視界の右隅で小さく瞬く。
『こんな遅くに何をしているの?』
 私物の装備から何がしか供出すると、薬師宅に同居する【教授】と呼ばれる大学教授の端末体や彼女の移動ラボを必ず経由して動作するよう設定されている。
 薬師はこの【教授】を戦闘オペレーター代わりに使っているので、眉も動かさず経緯を説明した。
『家宅不法侵入では……? 今何をしてるの』
『私自身は例の故買屋の屋上にいる。この件は目々連の吊り上げ運搬試験だ。誰かが思いつきで盗ったもんを売ったせいで、無辜の市民が三件仕事で泣きを見る話だ。ウチもマンション五階の強化ガラスを防弾防爆にしないとならなくなった。買った馬鹿ヤクザには買った代金泣かせりゃ、反社の内輪もめで済む』
『剣呑ね。委細了解しました。ひどい話ね。でも司法を待てないの? 会社は巻き込まれたくありません』
『待てない。災害か事故の折にビルパネルごと倒壊させてもいいなら待つ。
 船主のくせに外患一歩前の会社様に地権貸してるのどこさ? そもそも天華そのものが普通の運送屋や貿易商じゃねえだろ、見抜けなかった上層部様を今呼びな、正座で並べて説教だ』
『このくそ悪たれめぬけぬけと痛いところを。わかりました、目々連の吊り上げ運搬試験を開始します』
 しばらく動きが止まっていたが、やがて湯沢にサムズアップしてみせた薬師は、特に何のトラップもない屋上へ、細い道路一本分を飛び移った。
 警報装置の類も特になく、少し離れた所の屋上に至るドアには触れる必要はない。防犯カメラは道路側に向いていない。
 先程放り込んだ球体を今度は通風口のダクトにそっと押し込み、警報装置を確認する。何もない。ただ、ルースケースを押し出すには少し隙間が足りないか。出ないようなら掴み出す。
 先程並べた雀蜂が飛び立ち道を渡る。後は湯沢の操作に期待するだけ――
『    』
 耳の奥で警告音がした。とっさにしゃがんで姿勢を低くする。背後から何かが飛んできて頭上をかすっていった。
 湯沢はといえば、『隠れてます』とだけテキストを残して、小柄な身体でどこか物陰に隠れているらしく、元いた所にはいない。階下の名越に連絡して来て貰うようにとだけ返信した。
 『上手上手』とテキストが別のアカウントから着信した。心当たりのないそれは、賞金首のモルガン・コティヤールを名乗る鍵付きアカウントだが、元が誰だったかはわからない。
 多分ほっといたスパムのひとつだ。後で全部ブロックしなければ。
『だいぶ練習したからな』
『おひとり?』
 湯沢の存在は知られていないようだ。
 ❤フリーです❤とスタンプで応えて、薬師は姿勢を低くしたまま少し物陰に移動した。地面に尻がつかんばかりの姿勢の低さで、蟹歩きか四つん這いのような歩き方をしたので、速度を出すのは股関節がきつい。
『何の用だ、今忙しい』
『マンションにもお家にも居ないんで腹いせしたら上手いこと釣れてさ。遊ぼ』
『あれお前か! ガラス代にしてやる』
 構ったら長引いて大騒ぎになる。視界の隅に名越が表示され、隣のビルの屋上の湯沢の側で止まる。あっちは少しならほっといていいだろう。三人が本当は何をやっているかなど、ビル用蓄電バッテリーを固定した台の隙間から今勢いよく這い飛び出して足に斬りつけてきた男には関係ない。多分。

「薬師さん何してるんですかね、いきなり変な動きしだしたんですけど」
「逃げろとか止めろとか言わないで俺呼んだんでしょ? 作業続けて」
 隣のビルの、同じく蓄電バッテリーを固定した四つ足の台の下に這い込んだ湯沢と、その側で点検工具の入ったプラ籠を置き彼を隠した名越は、点検作業顔でバッテリーのスイッチ蓋をあけた。
 湯沢の見ている画面では、雀蜂が順調に進行していた。
 ビル間取り図の割と真ん中に大黒柱よろしく立っている柱の一部をぶった切って補修し、部屋状の空間にした場所でGPSが止まっている。
 空間の天井パネル部分に、換気扇ではなく換気口が空いているだけの、盗品庫と思しき場所があった。湯沢は換気口に貼られた金属製メッシュを複数の雀蜂に攻撃させ、侵入口をあけた。
『上手上手』
 薬師のスタンプがポップする。大丈夫かと送ると、しぬと返ってきた。
 想像通りの空間に侵入すると、次は換気口を広げて、ルースケースを吊り上げて出さなければならない。事前の説明だと、必要な接着液体糸は尻から出るという。
『蜘蛛かな』
『射出ない。じわっと出る』
 蜂の毒針の代わりに液体糸の注射針を仕込んである。可能な限り接着して編隊で飛べるはずだが、ルースケースひとつに対して五匹つけばギュウギュウで、飛ぶ余裕がなくなるから三匹程度にしろと説明されている。
 猛烈な勢いで金属がぶつかり合う音がし始めた。音を目視で眺める名越と、見張りの蜂越しに見ている湯沢は、ほぼ同時にあることに気づいた。
「あの人、薬師さんの不在中にたまに来る女の人だよね……体格の感じとか……」
「あの顔、前に私が作りました。アダプタ用の顔面、データとセットで五種類、元の顔がひとつ。男性です……よ?」
『客の個人情報は後だ! ガワがヒトなら何でもいい奴だ、気にするな』
『本土から人形供養に回ってくる化け人形の供養邪魔するんですか、誰ですかその人! 東海林さん家に何か恨みでも』
『知らん、今、む無理!』
 何度かの金属音の末、甲高い唸り声と、戦闘外殻の硬質タイプ頭部がコンクリートに叩きつけられるいがんだ音がした。どさっと重い物が放り出される音が続く。薬師が組み付いて相手を投げたようだ。真っ黒く比較的小さい影が立つ。
 ぽかんとして眺めていた湯沢に、薬師から着信した。
『蜂とケース、通気口から出すか? 落としたらまずいよね』
『そこまで考えてなかったです』
 雀蜂の編隊が、無事通気口までルースケースを運んでくるが、全員がうっかりしていた。隙間から落として衝撃で蓋が取れたら、勢いで中身が飛んでいってしまう。
 いつも持っているダクトテープをびーっと引き出す小さい音がして、屈んで男の服を掴んでたぐり寄せ、何かしながら搬出の是非を問うてきた薬師に、湯沢は『出せるけど、床に落ちたら蓋取れます』とだけ送った。
『良い子だ、そのまま。受け取ったら戻るから、落とすな』
 通気口に黒い影が近づいて、雀蜂に薬師が認識され、ルースケースはその手に無事渡った。
 後は今居る現場から全員さっさと退去するだけだが、四階屋上から道を挟んで五階屋上への移動はさすがにしんどいようで、湯沢に黒い顔面を向けた影は、ペンシルビルの裏手にあるコンビニに向かって飛び降りた。
「蓄電池の点検終了しました。異状報告ありましたけどセンサーの誤作動ですね。じゃ帰ります」
 帰り支度をする湯沢の頭の上で、名越が会社に対してアリバイを作っていた。

☆★☆
 
 三人がマンションに帰り着く頃に、僅かに周囲が白んできた。もう少し待つと、海側窓から見える水平線が赤く光るだろう。
 管理人室は煌々と明かりがつけられており、東海林はというと、畳スペースのこたつにやりかけのレポートを広げ、機械猫と一緒に丸くなって寝ていた。
 宝石眼球の無事を確認した湯沢は、大きく安堵の溜息をついた。
「正しくお探しのものでしたか?」
 薬師は、フラッシュライトと手鏡で真っ黒い口の中を覗きながら彼に声をかけてきた。
「ありがとうございます。――どうしたんですか」
「顔の接触悪いみたいで、出発前から直した筈の歯が痛くて。やり直しって言っても来週以降になりそうでね……」
「出勤までにお時間あれば、見るだけ見ますよ。アダプタの接触やずれ位までは直せます。そこから先は医者の範疇だけど、私でよければ」
 さすがに斬り合い殴り合いしてるのに痛いのはしんどかった、と笑う薬師に内心呆れつつ、湯沢は黒い口の中を覗いた。歯の形はきちんと出来ている。医者の腕は悪くないが、本当に顔の在庫がなかったとみえて、アダプタの型番に僅かに合わない顔が接続されていた。
「顔の在庫無かったって本当ですね。コーヒー飲んだら、顔ずれ歯痛のパッチ当てましょ。早く直しにいってくださいね」
「すみません……あと湯沢さん、差し支えなければちょっと協力してほしいことが」
 黒い顔の目元口元が、愛想笑いの形をとった。
「あの客の個人情報ってやつですか。口が滑ったや」
「そうです、その口の滑った分、全部、元の顔まで教えて貰うのに幾らくらい考えますか。あの野郎ストーカーよりしんどいから、金払ってでも個人情報押さえたい」

 湯沢が口にした金額に苦笑し、薬師は、半年もありゃ貯まるかなと答えた。
 東向きの窓が朝日で朱色に光った。
 
 
【完徹】

(軽い気持ちで投げ銭をお勧めします。おいしいコーヒーをありがとう)