ペリー来航の地は
以前より訪れたいと思っていた場所についに来ました。
ペリー来航の地は浦賀?
その謎は神奈川県横須賀市にある開国橋近くにあるペリー記念館で解けました。
歴史の教科書にはここまで詳しく載っていません。
浦賀や下田でペリーや黒船が有名ですが、どんな歴史があるのか詳しく見るため記念館に訪れました。
まずペリー提督がやってきたのは浦賀沖
1853年7月8日に浦賀沖に到着して停泊、6日後の7月14日に久里浜の地に日本初上陸し、幕府宛に開国を求める「国書」を戸田伊豆守氏栄(とだいずのかみうじよし)に渡すことに初めて成功した外国船ということでした。つまり、約1週間の間、浦賀沖に着いたものの、上陸させて貰えなかったのです。
ペリー提督が初上陸したのは久里浜
日本が受け入れ態勢を整えた場所がまさにペリー記念館のあるその公園で、そこに「応接間」と呼ばれる場所を作りペリー提督率いる一行を迎え入れたのでした。
実は「応接間」と呼ばれた場所は浦賀ではなくて、久里浜という地名。彼らを迎え入れる場所としてちょうど良い広い場所が川を挟んだ隣にあるそこだったのでした。戸田伊豆守氏栄が浦賀奉行所なので浦賀が歴史に残っているのでしょうか。歴史って不思議で面白いですね。
待ってことを進める
当時、外国と取引があったのは唯一、長崎のみでしたが、そこで国書を渡しては江戸幕府まで遠すぎる、ということで自ら江戸をめざして浦賀にやってきたわけです。ですが、ペリー提督は急がずにじっくりと待ってことを進め、無理に開国をせまらなかったのでした。今まで何隻も交渉に失敗している外国船ができなかったことをペリー提督はやってのけたのでした。それに対して鎖国をしていた日本にとって大きな気持ちの変化が感じられます。
いよいよ新しい時代の幕開け
国書を渡したらすぐに船に戻りその後、東京湾をぐるりと航行して、8月16日に江戸湾を去っていきました。船から日本を眺めて、次回のためにしっかり見ておいたのでしょう。
翌年1月に幕府の返事を聞くために再度訪れた時は、浦賀を過ぎて横浜本牧の地まで入り上陸し、日米和親条約を結び、後に下田、函館の開港に成功したのでした。
鎖国をしていた日本にとって、それは新しい時代の幕開けの第一歩。とても歴史の勉強になりました。その時から、まだ170年しか経っていないんですね。
浦賀城跡の東叶神社
もうひとつ、近くにある東叶神社は勝海舟が咸臨丸(かんりんまる)に乗り込む時、無事にアメリカ航海できるよう祈願した断食の井戸があるということで、行ってみました。
行ったらなんと、源頼朝や小田原北条氏にもゆかりがありとても興味深かったです。城跡なので、山になっており上まで行くと息があがりますが階段なので、足場は良かったです。
西叶神社へ
東といえば西もあります。今回は行かれませんでした。西と東をつなぐ渡し船があり、風情を感じられそうです。今度来た時にはぜひ渡し船に乗りたいと思います。電車や徒歩でまわっても十分行けると思いました。
ペリー記念館
入場無料。ペリー提督率いる黒船来航がよく分かりました。2階の床にあるすごろくは子供向けですが、とても分かりやすくて大人も楽しめる。ぜひやってみて!わたしのオススメ。
公園になっていて遊具で子どもを遊ばせる親子や、自転車で遊びに来ている小学生もいました。制服姿の中高生が通ったり、犬の散歩だったりと、そこそこ人がいて、広場は決して広くはないですが、なんだか少し前の懐かしい風景、のんびりいい感じでした。
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