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あのたび -バイク転倒-

 「ミツオさん、ごめんなさい」
 そう謝ることしかボクにはできない。

 ミツオさんと初めて会ったのはラオスの首都ビエンチャンだ。ボクと同様にいろいろな人にラオスがいいと薦められやってきたのだという。

 しかしその感想は「思ったほど良くはない。初めて嫌いな国ができそうだ」とのこと。34歳という年齢の割に見た目は若く少し背が低いため、半そで短パンに帽子をかぶった姿は少年探検隊といった感じだ。話を聞けば約10年ほど前から世界各地を旅行しているという。
 日本で働き、貯めたお金で旅行へというサイクルを続けている人は多い。中には風俗で働いて短期で稼いで旅行へという女性もいる。

 ボクの行く10年も前にあのインドネシアを旅行をしたというミツオさん。1998年インドネシアでは長期独裁政権のスハルト大統領が失脚。その前後にはインフレや暴動が発生し、首都ジャカルタの大通りには戦車が押し寄せていたという。

 そして彼は旅の技術はもちろんのこと食べ物と遺跡に関する知識が豊富で、例えばベトナム美味しいもの紀行なんか語らせると終わりがないくらいである。ちょうどボクはベトナムを通ってきたところなので、食い逃した数々の名物がいかにウマイかという話をよだれを垂らして聞いていた。

 他にも暑い時は銀行へ(クーラーと冷たい水が無料)とか、首都へ行ったら大使館へ(日本語新聞がある。ネットのない時代には貴重な情報源。トイレもきれい)とか、観光案内所へ行けば無料で地図が手に入り安い宿も教えてくれるとか、朝の市場には安くてうまいものがあるとか、いろんな細かい旅行の技術を教わった。

 その後北へバスで行くルートが重なり、世界遺産の街ルアンパバーンでは、ちょうど水かけ祭ソンクランの時期で宿の値段が急騰していたのでツインルームをシェアして安く泊まることもできた。

 ミツオさんにとってはボクに出会ったことが運の尽きだった。

 バイク一日レンタル5$。二人乗りでシェアすれば安くすむ。トラックの荷台にほろと座席を付けただけの乗合バスで行くと一人往復3$。

 二人乗りは少々不安ではあったが、ルアンパバーンから約1時間というクアンシーの滝へ行くことにした。ココは街から30キロと少し遠いので行くつもりもなかったのだが(実際ガイドブックには載っていない)、ベトナムで会った京大生に

 「滝へ行く途中の子供たちの笑顔は忘れられない」と言われたので行くことを決定したのだった。

 ボクは二輪バイクの免許もなく国際運転免許も取得してこなかった(時間がなくて)。日本では原付(スクーター)に乗ったことがあるだけで二人乗りの経験は皆無だ。ちなみに国際ライセンスがなくても東南アジア諸国ではバイクを貸してくれることもある。警察に見つかると罰金を取られるらしいが。

 まあ大丈夫だろうと進みながら、民家で道を聞くために止まった時、ミツオさんの足がマフラーに触れ右足ふくらはぎを火傷させてしまった。これは最初に注意すべき点を怠っていたためだ。実際ボクも免許取りたての頃に新しく買った原付のマフラーで大火傷をしたことがある。これから滝で泳いで遊ぶというのに傷口があっては雑菌なども気になる。

 道も最初だけ街中なので舗装されていて楽だが、途中からは完全な砂地でアップダウンやカーブが続き、運転しているものにとって精神的にはかなり疲れる道のりだった。車の後方を走ることになればモウモウと立つ砂ぼこりの中でサングラスもない状態だ。

 約1時間の行程のあとで到着した滝はツーリストプレイスと化しており、白人が大勢はしゃいでいる。中段にターザンロープを吊ったところがあり、子供の遊び場としてはなかなか刺激的で心ゆくまで楽しめた。

 問題は帰り途だった。
 行きと違い道は覚えている。早く帰ってシャワーを浴びたい気持ちもありとばしすぎたのが悪かった。

 右へわずかにカーブしながらの登り道、頂点に達しようかという所で前方にも突然バイクが現れた。ぶつかる!と思った時、ブレーキを引くとあっけなくスライドし道端に転倒した。

 バイクでブレーキをかける時はハンドルをまっすぐにしカーブ前に十分減速すると習ったことを今更思い出してももう遅い。怪我の痛みよりも転んでしまった精神的ショックの方が大きい。脇を歩いていた現地の人が草をちぎって傷口に擦り付けてくれたのが果たして良かったのかどうか。

 ボクは体数カ所程度のすり傷で済んだ。後ろに乗っていたミツオさんは苦悶の表情で起き上がれない状態だ。右手のひじから先全てが擦過傷のようになってしまっている。足の方もひどそうだ。それよりも腹部の痛みはどうやら肋骨にひびがはいってしまったようだ(その事実はボクに心配をかけないように道中隠していた)。

 なんとか手を引いて起き上がらせ、バイクも不安定ながら走らせることができた。道はまだ半ば、とにかく帰って傷を洗い病院へ行かなければ。

 焦る気持ちがもう一難を呼ぶ。
 ぼろい木の橋を渡る際、壊れて空いていた穴に前輪を突っ込みバランスを崩してそのまま土手下に転倒。なんとかバイクを引っ張りあげ路上に出たはいいものの、さらに運の悪いことには水かけ祭ソンクランの期間中で、どこからともなくキレイとはいえない水をバケツいっぱいかけられたりするのだ。変な病気にかからなければいいがと祈るのみである。

 バイクの運転を甘く見ていたボクが悪い。日本というよく整備された道しか走ったことのないボクには、タイヤが滑ることなど考えられなかった。

 宿に到着後、治療費も出しますからと申し出たがミツオさんは譲らなかった。自分が選択した結果だから自分に非があるのだという。
 二人乗りは思った以上にバランスが取りづらく特にカーブは厳しい。実感した。

 バイク修理代46$、治療費20$+薬代2.5$が2人分。高くついたツアーとなった。その後通院のため、二人で一週間この街で休養しながら同じ部屋に寝止まりすることになった。田舎の病院のためもちろんレントゲンなどない。傷口を消毒して縫うだけだ。ミツオさんは寝返りを打つたびに痛みに目が覚めるというのだから骨に何かしら異常があることは間違いなかった。幸いなことに水&バナナフリーで食べ放題という宿なので朝昼食の心配はせずとも助かった。

 このあとミツオさんはメコン川をスピードボートで上ったりタイ南部の島でダイビングをする予定だったが、全ての予定をキャンセルして帰国する羽目となった。

 「せめてバンコクまでの飛行機代出しますから」と言えないボクは駄目な奴だ。

 それを察してか、
 「まだこれから旅は長いんですからお金はとっておいてください」と言えるミツオさんは、やはり旅慣れた人間ができた人だ。読み終わったという綾辻行人の『時計館の殺人』もいただいた。そして、背負うだけでも腹部に痛みが走るという重いバックパックを持ってキツイ山道を南へ引き返して行くのだった。

 住所もメールも連絡先も何一つ言わなかったし、ボクは聞けなかった。

 すでに20年たつが、転んだ時の傷は浅黒いあざとして右ひじと右ひざに残っている。おそらくずっと消えずに残るのだろう。

ラオスルート

(つづく)


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