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あのたび -ペルニの豪華客船-

 水曜日にモニからエンデへ戻ってきた。その日の深夜、正確には木曜日の午前1時にティモール島への船がある。ティモール島はほぼインドネシアの東の端で、オーストラリアのすぐ北だ。

 宿は取らず港に行きクパン(Kupang)行きの一番安い三等チケットが83000Rp(≒1200円)。しかし船が来るまで暇だ。屋外に板に囲われた水浴び部屋らしきものがあったので、少し借りて体を洗わせてもらった。夜まで屋根のあるコンクリートの床でリュックを枕にして寝る。

 国営ペルニの大型船の航行周期は2週間。久しぶりに港に船が来るというので多くの人が集まってきた。暗くなると屋台なども出始めちょっとしたお祭り気分だ。そこでナシイカンを食べる。3000Rp。

 しかし午前1時を過ぎいくら待てども船は来ない。寝ている間に出港などされてもたまらないので起きているが限界だ。海外の交通機関が遅れるのは当たり前だと思っておいたほうがよい。1分刻みで正確に運行する日本の電車の方が異常なのだ。

 結局船が来て出発したのは朝5時。予想以上の超大型客船であった。なんと5階建てである。自国で製造したものではなくオランダかドイツあたりの中古船だろう。一等や二等なら個室があるのだろうが、三等は大部屋で自由席、先にとったもんがちの奪い合いだ。なんとかベッドを1個確保した。床は汚い。疲れて寝て起きると、歯ブラシに小さなゴキブリがたくさんたかっていた。歯磨き粉の残りすらおいしいえさになるのだろう。

 長期旅行で節約したい旅行者は、移動はいつも一番安いチケットを選ぶ。快適さよりも価格である。どうせ乗っている時間は同じ。着いてしまえば快適だろうが不快だろうが関係ない。そういった席は地元民との席の奪い合いになる。最悪席が無いこともある。

 でもこの大荷物を持ったインドネシア人の民族大移動は不思議だ。休暇旅行には見えない。島を越えての引っ越しか出稼ぎか。こんなに多くの人数がなぜ島を移動するのだろうか。外国人旅行者は皆無。ボクくらいではなかろうか。

 昼になるとメシが出た!監獄のような凹凸のあるアルミのトレイにごはんと肉と野菜を載せられる。うまくはないが腹を満たすには十分だ。乗船チケットの裏にマジックで印を入れられる。ひとりで何杯も食べるという不正を許さないためであろうが、そんなにたくさん食べたくなる味でもない。夜はゆで卵がついてちょっと嬉しかった。

 ティモール島のクパンに着いたのは翌日0時。いやこんな深夜に港に降ろされても困るよ。そこからバイクで宿まで送ってやるよと10000Rpでふっかけてくる。5000Rpまで下がるが深夜は危険なので断り、そのへんのベンチで朝まで寝る。蚊の襲撃がひどかった。

 朝、港近くのパサール(地元民向け市場)へ行き焼き魚を食う。さすが港近くで旨い。3000Rp。これまでずっとレストラン的なお店で食べてきたが、モニであった青年にパサールをすすめられたからだ。

 次は宿探し。英語のガイドブック・ロンリープラネットであったLAVALONは宿を閉鎖してカフェになっていた。がEast Timor情報が割とあった。

 ティモール島まで来たのは、東ティモールへ行くためだ。20年前のこのとき、東ティモールという国はインドネシアから独立してまだ1年ちょっと。世界で一番新しい国だった。それまでずっとインドネシアと内戦をしていたらしく治安はあまり良くないらしい。ましてや旅行者が入国できるのかどうかもわからない。おそらく入国できるだろうがそれ以上の情報は全く無い。当時はネットもスマホも無い。不安だ。しかしその不安に挑戦して、ボクはあそこへ行ってきたんだぜと自慢したいがために行く。おそらく日本人のほぼ誰も知らない国だろう。

 カフェの情報によれば国境の町アタンブアで何十ドルか払えば30日間の東ティモール入国ビザがもらえるとのことだった。その頼りない情報を信じて、この日はクパンで1泊した。

インドネシアルート


(つづく)


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