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あのたび -クルーと仲良くなると-

 インドネシアに入国するのは3回目だった。合計すると2ヶ月以上も滞在している。数字や簡単なインドネシア語なら話せるようになっていた。朝起きて、国営船会社ペルニ(Pelni)のオフィスへ行く。立派なオフィスで中はエアコンも効いている。

 カリマンタン島からビンタン島へのチケットは214000Rp(≒3000円)。こういった高額のチケット販売所周辺にはダフ屋がつきものなのだがそういった輩はいなかった。

 このポンティアナク(PONTIANAK)という町はカリマンタン島の西端の港で、旅行者が立ち寄ることはまずない。首都がジャカルタからカリマンタン島のヌサンタラへ移転するとのことだが、そうすると重要な拠点になる街かもしれない。

 街は基本はインドネシア系なのだが中国語の看板と中国人が多い大都会だ。カカオの香りがただよっているのが歩いていてわかる。朝はモレン(揚げバナナ)5個1000Rpで美味。昼は違う屋台モレン10個2000Rpまずすぎ。どこでも同じ味というわけではないようだ。夜はナシゴレン5000Rp。船の長距離船移動のためにスーパーで食料7700Rpを買い込み。水+ヤクルト8800Rp。マレーシアからずっと腹の調子が便秘気味だ。
 ヤクルトはインドネシアを新たな市場として開拓しようとしているようだ。

 翌日、朝は宿にテー(茶)と蒸しパンがある。宿代に含まれているようでうれしい。昼からは街歩き。

 世界でも珍しい木のモスク=木製のモスクがある。イスラム教のモスクといえばたいていは大理石でできた真っ白なものを想像すると思う。これまで見てきたモスクはそうだった。しかしこの木のモスクは外観が茶色。相当な古い建築物のようで、自重で多少潰れているようにも見える。ボクが行った時は中は使われていないようで、入るのも禁止されていた。もはや壊れかけていて危ない状態なのかもしれないが修復する様子はない。

 それから黄金に飾り立てられた王宮。インドネシアでゴテゴテと金色に塗られた建物は珍しい。内装もピカピカと金色だ。いや黄色かもしれない。行きは橋を歩きだったが帰りは渡し船に乗って戻る。1000Rp。

 昼はナシイカン2500Rp。スプーンを1500Rpで買う。以前もインドネシアの長距離大型船の乗ったのだが食事の配給はあるが箸などが無いという状態だった。今度はそんな自体でも大丈夫なようにマイスプーンを所持しておいたのだ。

 夜は川沿いに屋台が並ぶ。ガジャマダ通りは中国風の店が立ち並ぶ。ナシゴレン+テー5000Rp。ピザンゴレン2個1000Rp。コピ+水2500Rp。

 翌朝5時半にチェックアウトして港に行くも、目的の船ブキラジャ(BUKIT RAJA)は来ない。船は天候に左右されやすく遅れるのが当たり前なのだ。

 結局船は港に12時半着、14時出発。早起きはなんだったんだ。最下ランクの3等は自由席でベッドの取り合いである。自分一人分ならなんとか確保できた。マットレスのレンタル屋が3000Rpと行ってきたが拒否。1つ目の港で降りた客のものをこっそり奪って使用した。

 予定では船は50時間以上。長い。夜、船の中を歩き回りスタッフのクッキングクルーと仲良くなる。こんな船に地元のインドネシア人以外の日本人が乗っているのが珍しいのだろう。もちろん旅行者風の外国人はボクの他に誰もいない。旅行者は普通は飛行機に乗るからだ。

 夜ご飯は紙の箱にナシチャンプルだった。仲良くなったクルーのおかげで大盛り。さらにおかず+4品もつけてくれた。最高だ。
 しかし暇だ。甲板に出てもただただ海の波が見えるばかり。やることがない。給食室のような大量の食事を作っているキッチンを見に行くのが暇つぶしだった。

インドネシアルート

(つづく)


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