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葬列


少し考えればわかるだろう? 人の命なんか儚いものでさ、油断して死を意識せずにのほほんと生きていれば、突然死を迎えて驚いて、後悔するってことになるのさ。いつ死んでもいいと覚悟して油断せずに暮らしていれば、いざというときに堂々と人生を全うした気持ちで成仏できるというものさ。

1.

岩手県一関市に厳美渓という渓谷がある。そこでは、谷の上にある店舗から渓谷にある休憩所まで小さなロープウェイのようなもので団子を運ぶ「郭公だんご」が名物となっている。

僕は団子が空中を走る光景を、近くの橋の上から眺めるのが好きで、たまにうまく運ばれないのを見て「ああ、勢いがつきすぎてお茶が溢れた。団子がひっくり返ったな、下手くそ」などと一人で呟いて、はしゃぐのだ。

この郭公団子からさらに秋田県側に向かうと僕の母の生家がある。代々集落の山あいに建つ寂れた神社の神主をしている。母は神主の娘である。

生家では母の弟があとをついでいる。叔父には息子ふたりと娘ふたりがいるが、息子は、ふたりともからだが弱く、長男は7歳で、次男は45歳で死んでしまった。

これは、その長男が死んだときの話である。

2.

その日、電話が鳴った。玄関に置いてある電話に出たのは母だった。

「はい、ワタナベです。あら、どうしたの?うん、うん、あらぁ、そうなの、可哀想に…あ、そうなの、わかったわ。あとでまた電話すっからね」母が通話相手としばらく話してから電話を切ると「和代さんだった。秀平が死んだんだって。土曜に通夜だってさ」と言って父を見た。

「葬式はいつだ」父が聞くと、母は割烹着を脱ぎながら「日曜だってさ」と言って、座布団に腰をおろした。

「そりゃ大変だ、和代さんには青森で世話になったから、行ってあげなくちゃな」
和代というのは伯母のことだ。僕たち家族は、2年前まで青森市に住んでいた。その頃に母が子宮筋腫の手術のため入院することになり、その間、伯母が、まだ幼い僕と妹の世話とあわせて家事の手伝いに来てくれたという恩があるのだ。

「秀平くんがどうしたの、一関に行ぐの?」と僕が母を見ると、母は僕を一瞥してから無言のままテーブルの上の箱からタバコを1本取り出して火をつけて吸い込んだ。母の煙草は「しんせい」で、日々ストレスに感じることが多いのか、かなりのヘビースモーカーだった。

母はしばらく天井を見つめてから、ふうぅと白い煙を吹き出して「秀平が死んだんだってさ」と言った。

「ふうん」

幸いにも僕は、それまで人の死を知らずに済んでいたから、死ぬということに対しては、ドラマや映画での死という軽い印象しかなかった。ただし、一方では、その大概は創作であろう怪談話に怯え、恐ろしい幽霊になる要因である死とは恐ろしいものだという意識もあった。

当時の僕は従弟の秀平にも彼の兄弟にも会ったことがない。母のために家族で一関に里帰りする際にも彼らに会うことはなかった。

僕たち家族は、土曜日の朝に一関に向けて出発した。当時は半ドンだったので、父は土曜日の午前を休み、僕と妹も小学校を休んで出かけたのだった。

3.

秋田市から一関市に向かう場合、父は横手市まで下って、そこから、当時「日本のチベット」と言われた和賀(湯田)の峠を越えて岩手県の北上市に出るルートをとった。

僕は山間を走るこの峠道が好きだった。和賀は切り立った谷間を道が走り、眼下には和賀川を湯田ダムでせき止めた錦秋湖が広がる。空気は真夏であっても、いつも冷たく清冽で、僕の心を癒やしてくれた。ただし、当時は舗装されていないから、車はガタガタと大きく揺れるし、晴れた日にはもの凄い土埃が舞い上がるので、窓を開けてはいられない。

僕がこの土地に愛着があったのは、当時の怪獣ブームの影響も大きい。山間の秘境といえば、怪獣が現れる聖地のようなものだ。秘境に現れる地底怪獣や古代怪獣、そして飛来した巨大隕石から現れる宇宙怪獣…いずれも男の子の冒険浪漫心をかきたてる設定だった。

3.

僕は死体を見たことがなかった。だから、それをごまかすように秀平の遺体のある部屋の隣で、従弟の嘉邦と馬鹿な話をして遊んでいた。その嘉邦も6年前に急死している。従兄弟たちの多くは僕より年下だが先に死んでいる。

「あらら、硬くなってるから手足を折り曲げるのは可哀想だわ。ちょっと脚を抑えててね」親戚のおばさんが遺体の脚を曲げるとバキッという鈍い音が聞こえた。


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