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夏の鉄道乗りまわしの旅 第4部

前回に続き、中学2年のころに執筆した旅行記のデータを発掘したので、ひっそりと公開します。
約9年ぶりに見返すと修正したい点だらけですが、中学生の自分に敬意を表し、友人の名前を匿名に差し替えること以外は手をつけずに掲載しました。

第二日 後半

東大宮─大宮─新宿─新潟─長岡─直江津─富山─猪谷─高山─下呂─美濃太田─岐阜─尾張一宮─岐阜─大垣

もう時間が迫っている。私たちは駅へ向かいつつ、木造建築が密集する通りへと入っていった。

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高山の伝建地区は、私の期待を裏切らなかった。非常に密度が広く、往年の雰囲気を十分味わうことが出来る。金沢の東茶屋街に匹敵する規模もある。
町並みに溢れる観光客を抜き去り、私たちは足早に駅へと向かう。私は歩きながら必死に撮影を試みるが、ベイロ君は時間を気にして足を緩めない。非常に慌ただしく、残念である。

再び川を渡ってきた道を戻り、三十分ほどの余裕を持って駅へと帰ってきた。それならばもう少しゆっくり出来たのではと思うかもしれないが、慣れない街では余裕を持って行動するに越したことはない。万が一乗り遅れたら大事である。
売店で飲み物や食料を調達する。食料というのは「おやつ」のことで、明日へ向けて各々一つずつ買った。私はここでも本を確認したが、私の好きな軽井沢の作家の著作はなかったので断念する。その場しのぎの本を新品で買うのは少々もったいなく感じた。
それともう一つ、私はまだ高山駅でスタンプを押していない。いくら探しても見当たらないので窓口で聞いてみると、
「駅にはありませんが、駅前の観光協会にあります」
とのことであった。私はこのような有名な駅にスタンプが無いことに驚いたが、国鉄が分割民営化された以上、スタンプを置かない方針を打ち出す会社があっても不思議ではない。

教えられたとおりにスタンプを押して、ホームへと向かう。
ところが、窓口に長い行列が出来ている。不思議に思って、列にいる中年の女性に尋ねてみると、
「特急券の払い戻しに並んでいるの」
ということであった。それはすなわち、特急「ひだ」が二時間以上遅れていると言うことを指す。特急列車は二時間遅れると料金が払い戻される。
どうやら普通列車の私たちは列に並ばなくて良いようだから、窓口氏に言って入場させてもらう。一見ボクサーの亀田興毅似の強面駅員だが、列車の乗り場等を親切丁寧に教えてくれた。全く、ここに来てもJR東が情けなくなる。
人がホームにどんどん増えてくるが、ホームに乗車位置を示すものが何もないから、並ぶことも出来ない。早く来た私たちが座れなかったらどうしようなどと思ってしまう。隣のホームから、客を満載した「ひだ」が唸りを上げて発車していった。
普通列車は定刻通り入線してきた。ドアは私たちと離れたところに止まったが、周囲の人の動作が首都圏と違い緩慢としていたから、先陣を切って乗り込むことが出来た。
十四時四十八分、高山発。ここから次に降りる下呂までは、飛騨川に沿って一時間十分ほどの道のりである。
引き続き山道を進む。既にこの区間の地図帳はないから、少し味気ないがしょうがない。

五分ほどの遅れで十六時五分頃、下呂着。既に日が傾いてきた。
下呂は全国的に有名な名湯であり、数多くの旅館やホテルが林立する大規模な温泉街を有す街である。時間の制約があるから温泉に浸かることは出来ないが、せめて足湯で疲れを癒そうというのが私の提案であった。
ひとまず例によって観光案内所で地図などを調達してから駅舎の写真を撮る。スレート葺きであるが、立派な三角屋根を従えて個性を主張している駅舎である。
ここでも一応土産屋に入る。店先には少年野球チームの合宿と思われる集団が居座り、野球部上がりのベイロ君が顔をしかめている。ベイロ君自らも小学生から少年野球に親しみ、中学一年生の中程まで野球部に所属していたが、指導方法が肌に合わないとして今は科学・生物部にいる。
ここで私は迷った挙げ句、十センチほどある大きなさるぼぼを購入した。千円ほどの出費である。ここでもベイロ君は新渡戸稲造を見て恨めしそうな顔をしていた。
足湯の前に、まず温泉街を見に行くことになった。しかし、駅の反対側に向かおうとした私に、ベイロ君が待ったをかけた。方向が違うというのだ。
救いようがない方向音痴の私も、今さっき地図を見たばかりだから自信がある。今一度地図を見ながらベイロ君に説明すると、どうやら納得してくれたようだ。
線路の下をくぐって少し歩くと、広い川原を持つ川に出た。この川の両岸にホテルが建ち並んでいる。

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「いでゆ大橋」と呼ばれる下呂大橋からの眺めを十分楽しんだ後、対岸の温泉街へと向かう。観光案内所で入手した「足湯マップ」によると、この先に多くの足湯があるはずである。
橋を渡った先には無数の温泉旅館が建ち並び、多くの観光客が道路を闊歩している。橋の正面は緩やかな坂となっており、中心に水路が流れている。その水路の両側には緑の柳が一列に植えてあり、温泉街らしい風情が溢れている。水路と柳の組み合わせは城崎温泉以来私の好みとなっている。
一通り写真を撮った後、ベイロ君を先頭にして見当を付けた足湯へと向かう。足湯はいくつもあるが、旅館宿泊者でない人が無料で浸かれるところだとかなり絞られてくる。
ところがいざ行ってみると、足湯の周囲になにやら派手な置物が大量に配置されており、なにやらけばけばしい。これでは風情などあったものではない。こんな所を好むのは成金くらいであろう。私は引き返すことを提案し、最後の砦と位置づけられた駅付近の足湯へ向かうことにした。
気を取り直して水路に降りてみる。水の中に足を入れている人もいるが、生活排水が混ざっているかもしれぬ。多数の旅館に囲まれている中、そう考える方が自然である。

ちょうど今日は下呂温泉「いでゆ夜市」とやらの開催期間らしく、水路の欄干に絵を描いた灯籠が並んでいる。私はそれらをじっくり見ていたかったが、ベイロ君とK君に言わせれば急ぐ必要があるらしい。もし同行者が皆私と同一人格であったならば、既に行程はバベルの塔のごとく崩壊しているであろうなどと密かに思う。
この後私は川原にも降りてみたが、結局急かされて駅の方向に戻ることになった。
対岸も温泉ホテルが並んでいるが、私たちは地図で見つけた「モリの足湯」という喫茶店併設の足湯に向かった。石で作られた湯船の周りを木の長いすで囲んであり、なかなか良い雰囲気である。先客がいないのも良い。
そう思ったのも束の間、足を湯につけた私の顔は苦痛で歪んだ。温かいはずの湯は、四七、八度はあろうかという熱湯だったのである。温泉卵でも作りたい人にはお勧めだ。
これではほんの十秒ほどしか浸かっていられない。私が足を入れたり出したりと工夫をしているうちに、ベイロ君とK君はどういうわけか一分ほど足を浸けて平然としている。いったいどういうことだろう。
諦め気味になって家にメールなど打っていると、女性の二人連れが入ってきた。言葉からして関西圏からの旅行と思われる。考えてみれば、下呂温泉に来る観光客において、大多数を占めるのは中京、関西圏なのである。
多少話をしてみたところ、ここだけが特別泉温が高いということである。加水していないのは結構なことだが、そんな悠長なことを言っていられない状況に私はある。
熱さに耐えかねて関西の観光客が去った後も、私たちは時間を見つつ浸かっていた。ベイロ君がすごい形相をしているので思わず動画を撮る。髪が汗で濡れている。
そのうち彼はすっかり耐性ができてしまったようだ。ここで誰からか、耐久勝負をしようという提案が出た。そんなのはご免であるが、成り行き上参加することになった。
結果は予想通りで、まず二十秒ほどで私がリタイア。K君も一分ほどで降参である。
こうなれば後はベイロ君の独走であるが、まだまだ行けると二分経過。こちらは心配になってしまうが、本人はまだすました顔である。
そうこうしているうちにそろそろ時間となった。四分ほどで区切りを付けてベイロ君は挑戦を終了したが、本人はまだまだ行けると息巻いている。尊敬に値すると私は思う。
しかし靴を履いてからツケがやってきた。すっかり血行が良くなって真っ赤になった足に、歩くたび靴が接触してサラサラと非常に痛むのである。特にベイロ君が気の毒な事態になっている。

駅に戻った私たちは、まず駅前の美しいトイレで用を足してから、自動販売機で飲み物を買った。今回の旅行で飲んだお茶はこれで何本目であろうか。考えてみれば、今回の旅行のメンバーは揃ってお茶しか飲んでいない。茶には利尿作用があるという。

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ホームに上がると激しい雨が降り始めた。間一髪である。中京地区の雨雲がこちらにやってきたらしい。ホームには温泉地らしく、「天下の三名泉 下呂温泉」という石碑と湯が湧き出る盆がある。
やがて雨は視界が不明瞭になるほど強くなってきた。駅員が列車が遅れて運転していることを繰り返し知らせている。やはりN君の祟りなのであろうか。
十分ほど遅れて列車がやってきた。窓が曇っている。

十六時四五分頃、下呂発。私たちはボックスに三人分の空きを見つけて座る。相席は五十代ほどの男性である。
列車はのろのろと運転を続ける。徐行運転を強いられているらしい。高山本線は単線だから、対向列車との交換で十分ほど停車するようになる。憎いことに、こちらの列車を待たせて「ひだ」が追い抜いていった。特急だから仕方ないとは思うがあんまりだ。
次第に窓の外が青く薄暗くなってきた。K君が真上を向いて居眠りを始めたので、ベイロ君と写真を撮る。
ついに私の本が尽きた。だのに列車は以前徐行運転を続ける。空腹を感じ始める。
私とベイロ君は、この後の策を練り始めた。もちろん名古屋に寄る時間は無い。しかし名鉄には乗りたい。
考えた結果、この後岐阜から東海道本線で十五分ほどの尾張一宮まで行き、名鉄特急で引き返すということになった。大垣からのムーンライトに遅れては大変だから、余裕を持ったスケジュールである。これで名古屋での味噌カツは幻に終わった。
もう外は真っ暗である。どこからか列車は息を吹き返し、十九時四十九分、美濃太田着。一時間ほどの遅れである。
岐阜行きの時刻までまだ少しあるので、えさを調達すべく橋上駅舎へと上がる。ちなみに「えさ」というのはK君語で、訳すと「食事」となる。
だが時間が時間だけに、コンビニはシャッターが降りていた。鵜飼いをデザインしたスタンプを押して、ホームで列車を待つ。
列が長いので心配したが、キハ11に乗り込み着席する。久しぶりのロングシートである。

美濃太田から岐阜までは「日本ライン」と呼ばれる木曽川に沿って走り、高山本線でも指折りの景勝区間と言われる。ちなみにこの愛称は、風景がヨーロッパ中部を流れるライン川に似ていることから命名されたと聞く。
私はこの区間の車窓を楽しみたいばかりに高山での観光時間を二時間削減したのだが、非情にも外は漆黒の闇が広がっている。誠に無念である。だがその闇の中故に、JR東海キハ11のめざましい加速性能が際立つ。
キハ11は国鉄が民営化されてすぐにJR東海が製造した気動車である。車体は白く、「東海色」と呼ばれる緑と橙の帯が入っている。
車体こそは全国のローカル線で活躍する標準仕様の軽量車体であるが、エンジンは前述のカミンズ社製で、キハ48に比べて車体が軽くなったことでより一層力強い加速を見せてくれる。
しばらくはK君と加速のすばらしさに酔っていた私だが、今回の旅行初となる眠気に襲われた。ついに目を閉じる。

しかし私が眠る前に、列車は岐阜駅の高架ホームに滑り込んだ。時刻は予定より一時間十八分遅れの二十時三十五分を回っている。
ひとまずホームから降りるが、この先の行程は決まっていない。尾張一宮まで行って折り返すことは決まりつつあるのだが、往路を名鉄にするのかJRにするのか、また食料をどこで調達するのかと言うことを考えなければならぬ。
私は夜行に乗らなければ食事は取れないことから、食料調達に関しては慎重になるよう提案したが、ベイロ君に「理解できない」という趣旨の発言をされる。強い口調なのでおや、と思うが、空腹から来たものだと断定し、大人の対応をする。K君がほっとする。
電光掲示板周辺を何度か彷徨ったうち、東海道本線の快速に乗ることにする。
二十時五一分頃、岐阜発。車両はJR東海の最新型車両で主力形式の313系である。
十分弱の乗車で尾張一宮着。今回初めての私鉄となる名鉄の駅に踏み入れる。
予定では名鉄パノラマカーのμ(ミユー)シートに乗る予定であるが、予定変更のせいで乗車時間が短くなってしまった。私たちは今一度乗車するか否か考え直すことになったが、次の特急まで時間が無い。K君の「乗ろう」という一言で、私たちは動き出した。
「μシート」とは、JRで言うグリーン車のようなもので、名鉄の特急列車に連結されている。東の宇都宮線や高崎線に連結されているグリーン車を想像してもらえばよい。乗車にはグリーン車と同じく「μチケット」が必要となる。ただ、東のそれと違って、どこまで乗っても一律三五〇円となっているから、ちょっと贅沢、というような気分で気軽に乗車できる。しかも指定席となっているから、宇都宮線のように、高額のグリーン券を買っておきながら立たされるということもない。やはり首都圏在住者は損をしている。
私たちは大急ぎで「μチケット」を三枚買うと、急ぎホームへと上がった。
ところでこのとき、私たちは思い込みをしていた。事前調べによって、乗る予定だった名鉄特急は展望席付きの「パノラマスーパー」ということが分かっていたから、ついつい同じ車両が来ると思っていた。心配はしていたが、心のどこかでそう期待していた。私鉄大好きK君はなおさらである。反対に、あまり興味のないベイロ君はすました顔をしている。私は中間に位置している。
やってきた車両を見たK君は愕然とした。高照度の前照灯で私たちを睨め付けながら入ってきた車両は、まさしくK君の忌み嫌う2200系だったのだ。
ショックを引きづりつつ、私たちは「μ特別車」と書かれたドアに乗り込んで行く。なんだか気分がよい。2200系は展望席こそ無いが、名鉄の誇る最新型である。
そして車内へと踏み込んだ私たちは、目にした光景に衝撃を受けた。

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無数に設置された照明に照らし出された、眩いばかりに明るい車内。車内には静寂が漂い、特別感を盛り立ててくれる。そして前面の妻面では、光り輝く画面が情報を映し出していた。
私たちを乗せるとすぐに、音も立てずに列車は走り出した。二十一時十四分、尾張一宮発。
間髪を入れずに検札が来る。まるで私たちが乗るのを知っていたかのようである。私がそのことを話すと、
「指定券情報が行ってたんじゃない?」
とK君が推理した。ごもっともである。
座席にはチケットホルダーが付いており、既にμチケットが差し込まれていた。名鉄名古屋から尾張一宮までの切符である。尾張一宮で空いた二人分の座席に、新たな二人組を乗せたということだ。ただ感服することしかできぬ。ちなみにベイロ君は一つ後ろの席に孤立している。
K君はそのチケットも頂くつもりのようだ。私はそこまで欲しくなかったが、
「ヨーデーはいいの?」
とK君に言われ、結局鞄にしまった。
乗車時間が短いから、車内の隅々を観察し、記録する。本当にきれいな車である。K君も感嘆するばかりだ。ついには、
「これに乗って良かったね」とまで言い出した。私も同感である。ベイロ君が車内で先ほどのチケット代を集金する。
液晶に「笠松」という駅名が映し出された。K君が笑い出すので何事かと思うと、小学校にそういう名前の先生がいたと言う。そういえばと私も思い出し、カメラで写す。笠松先生は何かとおかしい先生であった。
ご満悦の私たちを乗せて、明るい列車は闇の中をひた走る。

あっというまに名鉄岐阜着。十分ほどの乗車時間であったから、何とも名残惜しい。岐阜駅は頭端式ホームである。
余韻を残しつつ、改札へと向かう。ベイロ君とK君は切符を持って帰るため窓口へ向かうが、私は名鉄の乗車券を持っているから一人自動改札へと向かう。直前になって少し後悔の念が過ぎったが、切符は無機質な自動改札機へ吸い込まれた。
国鉄、もといJR岐阜駅へは少し歩く必要がある。といっても時間にして五分ほどで、空中道路が整備されている。道すがら私は本屋を探すが、それらしい看板は見当たらない。途中で二人に夜景の撮り方を講義する。
ついに東海道本線で大垣へと向かう。時間が時間だけに本数は少なくなっている。
ホームではK君が家に電話するが、その姿がなんとも滑稽なのでカメラで記録する。

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二十一時五十一分、岐阜発。新快速の車両は再び313系であった。もちろん扉には化粧板が貼ってあり、蛍光灯はグローブで覆われている。首都圏の使い捨て車両とはえらい違いである。住んでいる地域だけでこんなに格差があっていいのかと思う。毎回のことだが、首都圏に住んでいるだけで本当に損している気分になる。
途中で席が空いたので座ると、さすが転換クロスシートは快適である。東のロングシートではまだ座れていなかったかもしれぬ。通路越しにK君にカメラを向けると、しかめっ面をしてピースをしてきた。

大垣駅のホームに降りると、
「新快速、まぁいぶぁら行きが、発車します」
という気合いの入った放送が聞こえてきたので思わずK君と大笑いする。まるで歌舞伎である。ベイロ君は聞き逃したのか、解せない顔をしている。二十二時三分、大垣着。
入場券を買ってホームへと行くと、既にそれらしい人々が多くいる。私たちは交代でトイレへ行った。
これといってすることがないから、ホーム先端で入線を待つ。暇つぶしに白いテニス帽のK君を撮る。
発車3分前になって、件の列車はようやく姿を現した。田町の189系、国鉄色である。腐ってもと言っては失礼だが、夜行列車なのだから早めに来いと心の中で愚痴る。他の人が車内へ引き上げる中、先頭をしっかり撮影してとりあえず私たちも車内へ。乗り遅れては仕方がない。
我々の一夜の城、四号車へと移動する。私は車内放送を録音したい一心だから焦ってくる。ようやく席へたどり着いた途端、列車は動き出した。二十二時四十九分、大垣発。
放送を録りながら車内を観察する。車内の仕様はほぼ「えちご」と同じだが、乗車率が若干低いのとエアコンが静かなので、環境はだいぶ良さそうだ。席はK君が窓側で私がその隣、通路を挟んでベイロ君といった配置だ。ベイロ君の隣は女性の一人客で、乗り込んですぐにテーブルを出して伏せてしまった。
放送が終わったところでイヤホンがないのに気付く。少々慌てて探しに行くと、慌ててレコーダーを鞄から取り出した空席に転がっていた。幸いにも白いからすぐ見つかった。車内にはまだ空席が目立つ。
待望の夕食といく。購入したのが遅かったから、ツナマヨおにぎりと「ウインナーカツやきそばロール」なるパンしか調達できなかった。おにぎり主義の私は少々不満である。野菜ジュースは今日一日で定着したようで、各々好みのものを買っている。

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可も不可もない味のパンを食べ、いよいよおにぎりを頬ばった私は失望した。ツナの量が少ない上に、水気が皆無と来ている。日頃からセブンイレブンで高品質なものを口にしている私は、心底がっかりした。
ベイロ君はすぐにうとうとし始め、昨晩ほとんど眠らなかったK君は「今日は寝てやるぞ」と意気込んでいる。寝るのに意気込みが必要とは思わないが。二人とも顔にタオルを被せて光を遮っているのだが、K君はタオルの上から眼鏡をかけてずれないようにしているのがひょうきんなので写真を撮る。私も谷村新司の「風の暦」を聞きながら瞼を閉じる。
日付が変わって最初の停車駅である豊橋で車掌が交替し、お休み放送が流れる。三時台の停車もあるようだ。録音してから、私は眠りについた。(最終部へと続く)

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