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夢を見る感覚 他人の話を聴く感覚

私にとって夢を見る時の感覚と、他人の話を聞く時の感覚は似ていると、少し思う。それははっきり見えない何かを、はっきり認識できない何かでもって受け取り、その感覚を自分の経験や知識で言葉にまで手繰り寄せるような行為なのだが。

だからたまにやってくる他人の話(相談とかちょっとしたこと)を沢山聞く日は、夢を取りこぼすようになる。まるで他人の話を聴くことで、夢に使っているエネルギーが消耗しているような感じで。

それは体力的に消耗した感じはない。けれど、聴く話によっては、後から考えても仕方のないものを考え続ける自分が現れたりする。それに付き合っていると、消耗する。

面白いと思うのは、話をしている当の本人が目の前にいる時は、それほど消耗しないのだが、本人が姿を消してから私の中で反芻する時に消耗するのだ。

そんな時、私はエーテル体の交換をする。交換「する」ことで残響のように残った他人の話が綺麗に流されるのだが、それを「エーテル体の交換」と名付けたのだ。だから、私のしている「交換」が色んな人が言う「エーテル体」を交換しているのかどうかは知らない。そこまでの定義づけに意味を感じてないのもある。

ただ、私なりに「エーテル体の交換」という事を「する」ことで、見えない空間や思念の残響からの影響をリセットできると感じるから、それでOKとしているのだ。

とはいえ、エーテル体を交換して残響などを綺麗にしても、エネルギーそのものは消耗しているのか、やはり他人の話を沢山聞いた日は、あまり夢をみない。

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