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山形マット死事件

 5月1日は、「山形マット死事件」の被害者である児玉有平さんのお誕生日でした。
 この事件は1993年(平成5年)1月13日、山形県新庄市の明倫中学校の体育館用具室に立てて置かれたマットの中に、複数の少年たちによって被害者の有平さん(当時13歳)が逆さに突っ込まれて窒息死したという恐ろしい事件です。
 亡くなる前にも暴行や下着を脱がされる、芸を命じられるなどの日常的ないじめを受けていたそうです。いじめの事実を多くの級友らが知っていたにも関わらず、学校側は「いじめの事実はない」と放置していたとのです。
 有平さんが、どれほど辛い思いをし、苦しみながらお亡くなりになったことか・・・
 この事件から30年以上が経ちます・・・有平さんが生きていたら45歳になっていたはずでした。
 私は、この事件についてテレビの報道や書籍等で見ていました。見るたびに、「事なかれ主義の教育現場」や「被害者の人権を蹂躙するかのように加害者ばかりを擁護する少年法」、「人の命を奪っておきながら少しでも罪を軽くしようとした挙句にのうのうと生きているであろう加害者たち」への怒りや悲しみの気持ちが混合した気持ちになりました。
 しかし、私は共感することも痛みを分かち合うこともできずに無力感しか感じることができませんでした。
 せめて哀悼の言葉だけでもと思い、これまでにも何度かご遺族様宛に手紙を書こうと試みたことはありましたが、見ず知らずの私のような者から連絡がきたとしても迷惑になるだけであろうと考え、胸の内におさめてきました。
 また、仮に手紙を書くにしても、どんなお悔みの言葉を用いても軽い気がしてしまい、自身の気持ちを表現する言葉など見つけられませんでした。そう悩んでいるうちに、私が手紙を書くことでかえって辛いお気持ちを蒸し返してしまう可能性もあるのではなどと思い、何もしないほうが良いのではないかという気持ちで過ごしていました。
 
 それでも毎年有平さんの誕生日が近づく頃になると、事件のことを思い出しては変わらぬ悲憤の気持ちが爆発しそうになりました。有平さんと面識すらない私が、事件のことを思い出すたびにそうした気持ちが湧き上がるのですから、御遺族の方々にしたらいくら月日が流れたとしても癒えることなんてないでしょう。
 それでも世間では、忘却や風化により過去のこととしてしまうのではないでしょうか。もしかしたら、御遺族の方々もそれを恐れているのではないか・・・時が経つにつれ、そう思うようにもなりました。
 そこで、御迷惑かもしれないという気持ちもありながら少しでも慰めになればと思い、4月末にご遺族様宛に手紙を出してみました。
 内容は、有平さんのことを忘れていないということや事件に対しての思いを一方的な言葉で綴ったものでした。
 それから数日後に御遺族様からのお返事をいただくことができました。
 力ない筆跡で「息子のことを思ってくれるのはありがたい」「生きていたら45歳になっていました」と書かれていたことから、「絶対に忘れてはいけない事件」であることを再認しました。また、御遺族の方々にとっては、あの日のままで時が止まっているということを察しました。
 
 有平さんは小学6年生の時の作文に、
「ぼくは、将来マンガ家あるいはアニメのスタッフになることが夢です。
~中略~
日本は今、経済大国です。でも、何か、貧しくてさびしいです。心が・・・。かたっぽ一万円はするくつをはき、たっぷりの肉を食べる現代っ子は、目先の欲にとらわれ、何か大切な、お金では買えないものを忘れてはいないでしょうか。
その忘れ物は夢です。その忘れかけた大事な忘れ物を届けるために、ぼくはマンガやアニメの仕事をしようと思います。」
(平成3年度 新庄市立沼田小学校作文集より)
と書かれました。
 
 物理的には豊かとされている国において心の寂しさを感じていた有平さんがマンガ家になっていたら、どんなキャラクターが登場してどのような物語を描かれたのでしょう?
 それと、有平さんが思っていた「現代人の忘れている夢」とは、どのようなことだったのでしょうか?

 現実ばかりを見つめているうちに夢を描くことをできなくなってしまった現代人。
 自分と異なる意見があったら相手を尊重できないどころか過剰なまでに責め立てる人たち。
 相手のことを理解できないのではなく理解しようすらしない無関心な者たち。
 人間同士に違いがあることを知っていながら優劣で判断しようとする差別主義者。
 自分の罪を見つめようとせずに責任逃ればかりする犯罪者。

 いじめをはじめとした社会の悪しき所業の根底には、人間の汚さや弱さがドロドロと渦巻いています。
 無論、みんなが夢を持っていないという訳ではありませんが、自由に夢を描いて語ることに臆してしまう風潮もあるかもしれません。
 有平さんの作文を読み、「現実を見つめて生きること」と「夢を描くこと」は反対のようで同じことなのかもしれないと思えました。
 夢を描けなければ現実を生きられないとは限りませんが、夢があるから現実を生き抜く強さや他の人への優しさをもつことができるのだと感じました。
 私の夢の一つは、有平さんが語っていた「大切なもの」を追い求めるために、さまざまな分野で活躍されている方々と人生や福祉について語り合いながら記事を書き綴っていくことです。
 有平さんの描きたかったマンガは有平さん自身の手でしか描けませんが、叶えられなかった夢を一緒に見続けることができたら本望です。
 
参考文献・参照資料:
①   朝日新聞山形支局 『マット死事件 見えない〝いじめ〟の構図』太郎次郎社、1994年 
②     児玉昭平「被害者の人権」小学館文庫、1999年
③   片桐隆嗣、北沢毅「少年犯罪の社会的構築」東洋館出版社、2002年

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