見出し画像

ペットボトルは捨てた方がいい

お題:「ゴールデンウィーク」

 ペットボトルの処分には取るに足らない一手間がある。
・ラベルを剥がし、キャップを取る
・中身をゆすぎ、乾かす
 これだけだ。その後の処分については各自治体によりいくらか差異があるので注意するものとして、難しい点はひとつもない。

 しかし小さきお子様の時分には「なんでこんなメンドウな処理をしなければならないのか」と思ったものである。
 そんな多感な時期に社会見学で訪れたリサイクル工場には自身の価値観を揺らがされた。

「分別が不完全だと職員に手作業でラベルとキャップを外させることになる」
「そのせいで腱鞘炎を発症する職員も多い」

 この現実には小学生ながらショックを受けた。自分がテキトウに捨ててきたペットボトルたちがバタフライエフェクトのように誰かを手指を破壊するなど思いもしなかったからである。
 それから今に至るまで分別は徹底するようにしている。腱鞘炎に悩む工場職員さんの姿を思うと心を痛めてしまうのだ。だから今日も見知らぬ誰かを傷つけてしまわないためにペットボトルのラベルを剥がす。キャップを分解する。中身を洗って、乾かす。

 世の中にはその手間自体がストレスに感じる層もいる。この項は人生で初めてその層に直面したことの覚え書きとするものである。

 あの社会見学がなければ私も彼のようになっていたかもしれないから。



 最初にそれを観測したのは一回生のGWゴールデンウィークのことだった。
 予定もやる気も向学心も、ましてや恋人もない陰鬱な男どもが突発的に与えられた休暇を持て余すのは必然であった。
「じゃあ誰かん家ちでスマブラしよ」
 放課後の小学生みたいな発言だったが、大学デビューに乗り遅れた男たちはその提案に抗えるはずもなかった。ゲームだけならオンラインでできるはずだが、「友達の家で集まってゲーム」の価値は歳をとるほど増加傾向にある。
 彼の部屋が集合場所に抜擢されたのは、ただ単に大学からいちばん近かったというだけの理由である。思えばこれも彼の性格を反映していた。
 コントローラーを持って友人の家に集まるということはやはり少年時代のワクワクを想起させてくれるものだった。だがそのワクワクも部屋の片隅から発せられる魔力の前には儚く霧散していった。

「何これ!?」
「ペットボトル」
「見りゃ分かるよそんなの!」

 ここで想像していただきたい。飲み終えたペットボトルを部屋のすみっこに投げる、こちら側に転がってきたらガッと端に寄せる、という行動を繰り返せばどうなるか?
 それはもはや『ゴミの塔』としか言い表せないのだった。1本1本の外見は陳列された状態となんら変わらないはずなのに、無造作に積み上げるだけでまるでゴミ屋敷が濃縮されたような風貌と成り果てる。最低限ちゃんと生活している者であればひと目見るだけで怯むような、おそるべき建造物がそこに存在していた。

 ふだんは脱ぎ散らした衣服に埋もれて眠るようなだらしのない男たちですら、この光景の前には恐れをなした。底に溜まった飲み残しに気付き「きゃあ」と乙女のような悲鳴をあげる者さえいた。
「こんな家でスマブラなどできん」
 結局我々はそのような意見で一致し、スマブラ大会の会合は急遽片付け大会に変貌した。その恐怖のペットボトルタワーをみんなでおそるおそる解体しながら、各人の部屋の汚さを棚に上げて衛生観念の大切さを彼に説いた。彼はケロっとした顔をしてベッドの上から我々を見物していた。
「頭では分かってるけどさー、面倒なんだよね」
 そんなことを言って皆に睨まれていた。
 ややあって無事にゲームができる運びとなったが、それはそれとしてこの件の後に我々の中で彼の家に寄りつく者はいなかった。各人それぞれ人並みに潔癖であることを自覚させられたのである。


 それから二年。再びGWのことである。
 私はある飲み会の二次会に参加し、前後不覚となった。後から聞いた話によると、当時の私は泥酔の極みに達しており今にも路上で眠りこけそうなほどであったという。近場の誰かの家に泊めてやれ、ということになり、大学近くの店ということもありやはり彼に白羽の矢が立てられた。そうして私は問題のあの部屋に運び込まれたという次第であった。

 さて翌日、私は尋常ならざる異臭により目を覚ました。酒に弱い人間ではあったが、その日ばかりは二日酔いをかき消すほどの身の危機を覚えて飛び起きた。自宅ではない、固いフローリングに寝かせられている。そして見覚えのある部屋。昨夜の記憶はなかったが、なんらかの事情により誰かの家で一夜を明かしたと私は推測した。大学周辺で飲んでいたことからその近辺に居を構える者だろう。そしてベッドの上で寝息を立てているのは……。
 昨々年のことが克明に脳裏に蘇る。冷や汗が背に伝うのを感じながら、私は異臭のする方向へバッと目を向けた。
 そこにはかつてのペットボトルタワーをさらに成長させたものがそびえていた。体長は成人男性の腰の辺りまで迫っており、火山のような外観はゴミ山そのものである。山頂付近は比較的最近のものであることが伺えるが、下層は変色したものがいくつも確認できる。底の液体はどれも黒ずんでおり正視に堪えない。カラフルなラベルが積み重なって現代アートのような様相を呈し、筆舌に尽くしがたい光景になっている。窓から差すきらきらしたあさ陽射ひざしがその城塞をグロテスクに照らし出していた。

「まさか、片付けた日から今日に至るまでずっと貯め込んでいたのか……?」

 私は呆然とした。驚くべきことに、ここまでの惨状でありながら缶や酒瓶の類は見当たらず、ペットボトルだけがそこに存在していた。ペットボトルを捨てる手間だけが彼にとっては何よりも苦痛であることは伝わってきたが、それでも理解が追いつかなかった。得体の知れない恐怖に包まれる感覚があった。
 私は泊めてもらった礼も言わず、這々ほうほうていで逃げ出した。

 それからというもの、私は勝手に気まずくなり、勝手に彼から距離を置くようになった。時折、あのペットボトルタワーがどうなったのかが頭をよぎることもあるが、そのたびにおそろしくなるので極力考えないようにつとめている。

 放置したペットボトルのにおいをまだありありと思い出すことができる。今でも、飲み終えたボトルコーヒーの底に残った液体を見るたびにゾッとしてしまう。
 日常のふとしたタイミングで自分の中に怠惰な部分を認めると、彼の発言が頭に浮かんだ。
「頭では分かってるけどさー、面倒なんだよね」
 面倒ごとを後回しにしたい気持ちは痛いほどよく分かる。だからこそ、一歩間違えれば彼は私だったかもしれない、と強く感じ入ってしまうのだ。

 これからゴールデンウィークが来るたびに思うことになるのだろう。
 ペットボトルは捨てた方がいい、と。

 あと前後不覚になるまで飲まない方がいい、と。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?