最近読んだ本と、Next Actionが部屋の掃除になったという話があって、ついでに篠澤の布教もしたい

概要

著者が先日バカの壁を読んで得た知見の紹介と、部屋の掃除をするに至った経緯を記します。


知見の紹介

皆さんは、著・養老孟司のバカの壁を読んだことがありますか?

先日、筆者は様々な経緯からバカの壁を読んだのですが、数日経過した今の時点で印象深い知見を以下に記します。
あくまで、自戒も込めての知見ですので、後段の話の参考程度にして斜め読みで全然問題ありません。

  • 知見1. 「[何らかの概念]を知っている」と軽々しく言うものではない

    • 強い興味・関心を伴う観察か、実際に身体的動作を伴うその[何らかの概念]に触れた経験のいずれかが無い限り、「[何らかの概念]を知っている」とは言えない

    • つまり、インターネットに流れるブログや動画などの情報を見聞きしただけで「[何らかの概念]を知った気になっている」ことに(読者であるあなたではなく、あくまで筆者が自戒として)自覚的になるべき

    • 本当に1人の人間が「知っている[何らかの概念]」はそう多くは無いという前提に立つべき

  • 知見2. 「本当に正しいことが存在する」と思い込んではならない

    • 世界は曖昧性に満ち、事実と認識が異なるという前提に立って、その時々で判断を下すべき

    • 100%事実であると言い切れることは存在せず、単に確率が極めて高いことを事実と称していると考えるべき

  • 知見3. 考えて生きることは本来苦しいことなので、誰かのせいにしたり何かに依存して苦しさを紛らわせる必要はない

    • 一元的な考え方の宗教や思想に依拠する生き方は生きることを楽にする代わり、お互いに異なる事実を信じているために争いの原因になる。ので、何か1つに強く依存する生き方は避けるべき

    • 特に、知的労働は他人の考える行為を代替する重荷を背負うような生き方なので、楽をせず苦しみを負い、考える覚悟が必要

  • 知見4. 個性は発揮するものではなく勝手に発揮されるはずのものであり、目指すべきは勝手に発揮される個性同士が平和に暮らせる世界である

    • 脳にしたって肉体の一部なので、持って生まれた以上の個性など存在しない

    • インターネット主流の時代だからこそ、身体が発揮する個性にこれまでの生活以上により意識的に目を向けてやらないといけない

      • つまり、酒もタバコも大いにやる筆者のその耐性も個性と呼べるし、こうして誰も読まないであろう記事を書きたいと思う気質も個性と呼べる

という風に、小難しい感じの知見を並べ立ててみました。
まぁ、要するに思考停止してんじゃねぇという知見を得ました。

「部屋の掃除をしよう」に至った経緯

で、思考停止してんじゃねぇという知見から、なぜ部屋の掃除をしように至ったのか?

答えは単純で、生きる上で考えることを減らそうという理由です。

筆者は、勉学は得意でしたが、その理由は実家棲みだった2年前まで生活におけるあらゆることを親がやってくれていたからです。
ほぼ介護と言っても良い。食事は勝手に出てくるし、経済面も全部管理してくれたし、何より筆者が余計なことをしようとするとストップをかけてくれました。
なので、勉学以外のことで頭を使わなくて済んでいたのです。

これが良く無かった。
今、筆者は一人暮らしをしていて、急に生活の全てを自力で考える必要が生じました。
経済面も余裕がなく、精神的にも追い詰められ、タバコの本数も酒の量も増え、その時々で何となく欲しいものを買い集めて積み上げて生きていました。

当初は「がらんどう」だった一人暮らし用の部屋がだんだん狭くなり、生活の基本動作含めて頭がめちゃくちゃになりました。

なので、まずは単純な生活に最低限必要なものだけが部屋に存在する状態を目指そうとし、Next Actionは部屋の掃除に行きつきました。

余談

実家の親が悪いという訳ではありません。手厚く生活をサポートしてくれていた点については、とても素晴らしい親だったと思います。
家計については決して口出しさせて貰えなかったのですが、これは筆者も信用を得る方向で行動できていたらどうにかなったのでしょう。
とにかく、過ぎた話なので過去のことは良いのです。

また、筆者には現実逃避する癖があります。
本来はその思考リソースが生活に向けられるべきで、生活における思考での成功体験を積み上げて大人になるべきだったんでしょう。
これを、大人になった今から自力でやりつつ、仕事までやらないといけない。多分、他の人間よりも難しい人生が待っているのだろうと思います。

それでも、元々は他者との交流を好む気質であったので、これから人間生活を学び、大いに成長できると考えています。

最後に

何でも上手くいってつまらないから、自分に向いていないアイドルを目指した二次元の女の子がいます。
そうです。篠澤広です。

筆者と似ている所としては、人生の前半をイージーモードでクリアし、後半でハードモードにしている点です。
筆者と異なる所は、イージーモードとハードモードの受け入れ方です。
篠澤は、イージーモードをつまらないと言って自身の意思でハードモードな人生を選び取りました。(正確には、もっと別に理由があってアイドルを目指しているのですが、親愛度10のネタバレなので割愛します)
筆者は、何にも考えずイージーモードからハードモードに選び取る感覚もないまま突入しました。

だからこそ、篠澤が眩しかったんです。
ままならない人生。ままならない人生が、生きている実感を与えてくれる。
筆者もこれになろうと思いました。
今日や明日ではどうにもならない分厚い壁を、今まで見てみぬふりをして溜め込んだものを捨てる勇気を手掛かりに少しずつ破っていく。

生きることと向き合いながら、他の人のために働く。
人間はどこまで文明を発展させても、おそらく生きることが簡単になることはないでしょうし、そうでないと人間足り得ないんでしょう。
それでも、現代人同様に生きている実感をどこかに求めるであろう未来の人類のために、少しずつ出来ることを積み上げていきたいと筆者は思っています。手始めが部屋の掃除、本当に小さな一歩です。ままならないね。

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