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中也とオレ

中高の頃は戦前の文学にどっぷりだった。

今や心許ないが、中也、朔太郎、基次郎などの有名どころのいくつかは諳んじれたものだ。

彼等の詩は、目で読むだけでなく、言葉として音を実際に口に出してこそ、その真価がわかるというもの。

中でも「在りし日の歌」は、今もその文字面を遠目に眺めるだけで胸骨の中を握りしめられるような感覚を覚える。

帰郷前の新宿在住後期は、中也の住んでたあたりにオレも暮らしていたらしい。怪談で有名な明治の落語家の三遊亭圓朝の旧居とも近い。

上京前の青二才の頃から酔っぱらいのダダイスト詩人に憧れるなんざ、あまり精神的にもよろしくないガラスの10代を過ごしたわけだけど、不思議なご縁で時代は違うが、ご近所さん。世が世なら神楽坂にでも肩組んで一緒に繰り出したいところ。

そんな妄想しながら飲んで帰りの、夜も深いとき「頑是ない歌」をひとり呟くのをまん丸お月さんだけに聞かせるのも、これまたもったいなかんべかなと思うのも己のみ。

つまるところ、そこから「書を捨てよ町へ出よう」となるのには、オレは間に合わなかったんだよな。

http://www.tokyo-kurenaidan.com/chuya-tokyo3.htm


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