見出し画像

Necromance

 週刊少年ネクスト・ロマンス五月号。コラム掲載、甦りし日々と凶悪殺人犯・五月病の足跡を辿って。

 なぜ彼らは集まったのか。嫌な奴もいれば、嫌な奴にはなるまいとした奴もいた。一緒にラーメンを食べに行ったり河原町に古着を見に行った奴も居れば、女の子の前で格好をつけたいのかなんかいつもと態度が違うなって感じた瞬間からあんまり楽しく遊べなくなった奴もいた。終わるのだろうか、終わるのだろうな、今は悲しくないが、いつかは寂しくなるかもしれないな。もっと早く仲良くなっときゃ良かったね、てか高校卒業してもまた遊んでね、絶対ね、って言えなかったの、正直ダサい。一緒に撮った写真も全部消した。幸せって思うことを拒んでしまって、本当にごめんなさい。Desire drive爆発。

 真冬と、流行病がピークを迎えたとニュースキャスターがテレビで言っていた。僕らは修学旅行に行って、スキー場に閉じこめられた。それなりだったねと誰もが言っていたし、実際覚えていることなんてそんなにない。そんなふうに行事で盛り上がるということはあまりなかった。高校の世界の全ては、イヤホンと、体育館裏で過ごす昼休みにあった。ほしい服の話、好きな音楽や映画の話、AV女優の話、五限の授業の話、人間関係の話、将来の話、恋愛の話。いつか失恋の話をしたとき、身を寄せあって馬鹿に騒いだことが嬉しかった。だから湿っぽい話はしたくなかった。落ち込みたくもなかった。でも、どうしても彼らの顔を見ることが億劫で、楽しめなくなってしまうのが嫌で、一人ふらふらと学校をサボることもよくあった。挨拶が苦手だった。返事が来なくなる瞬間のことを思うと胸が苦しかったし、だから友達が増えるとその分だけおはようとかばいばいとか言わなきゃいけないのが怠くて、みんなそういう不安に耐えながら上手くやってるの普通にえらいなと思っていた。挨拶ができない日はサボることに決めていた。そういう時はいつも音楽を聞いていた。誰も聞いてなさそうな音楽が好きだった。ありがとうハヌマーン。一方で、自分を気軽に面白いと思ってくれる人間が素直に好きだった。両方の美味しいところを味わおう、二兎を追って二兎とも得てしまおうなんて思っていたけれど、理想的なバランスみたいなものを不自然に生み出そうとしてしまったせいでいつか自分で壊してしまった。

 一人でいれば悲しくないなんてことはない。でも誰かといて悲しくないなんてこともない。ずっと悲しい。忘れられない。誰かとおなじ集合の中にいる。でも、そうやって同じ円の中に集まっても、円の中で空いた隙間を埋めることはできない。どの円の中にいても同じだし、円の中でどの位置にたっても、絶対に隙間は空く。でもその隙間こそが、自分が持ちうる自分だけの領域であり、自分が自分たる証左だから、それはむしろ望まれた孤独。つまり、Desired live在りし日の記憶と音楽と、カスも残さずに燃えてしまった実態。いま、湧き上がり、呻いて醒める夜の底で(bubble bubble)膨れて弾ける音。拝啓、生きられなかったあなたのための安息の円の中から。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?