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創作の独り言 手書きとワープロ

 私は手書きとワープロ打ち論争について、時折考えることがあります。
 今回の独り言は小説から少し離れますが、小説というアイデアと文字の世界においてこの議論について考えることが面白かったので早速独り言を垂れ流していきましょう。

1.私は「ワープロ派」だけど……

 この議論をするとき私は「ワープロ派」としての立場を持ちながら話すことにしています。正確に言えば「半々」くらいと言えるでしょうか。基本的にはワープロですが、手書きをする際には習字で語られるように「止め」や「はね」、「書き順」などを意識して書きます。
 その他、漢字が持っている元来の意味についても着目することが多くあり、ワープロ派と手書き派の中間くらいを常に意識しています。

 そんな中ですが、私は現状「ワープロ派」としての自分を支持したいと思います。
 私にとって何より、こと小説を書く上で重視しているのは「速さ」です。タイピングスピード自体はそこまで早いわけではないのですが、それでも手書きと比べると圧倒的に素早く文字を綴ることができます。タッチタイピングができる人であれば言葉で話すより少し遅いくらいのスピードで文章を打てるので、思考をそのまま表現することができるのが「ワープロ」が好きな理由です。

 「手書き派」の人はよく、「手で書くことで頭に入る」や「熟考できる」という意見を上げることが多いのですが、たしかにこれらは十二分にわかるのですが、私としては混雑した自分の思考を一先ず徹底的に表現する方にウエイトを置いているので尚の事速さを重視しています。

 小説を書いている人に多いと思うのですが、私は「何かを常に考える」という癖があります。そのため、運転中など本来集中しなければ行けない状態でも大量の思考のレイヤーが重なり合うようなことが頻繁にあります。
 だから思考が渋滞して「何を考えていたんだろう?」という風になることが多いので、ある程度の速さがあるタイピングに頼っています。

 私はこの手のエビデンスについて全くわからないのですが、液晶で見る情報と紙媒体で見る情報では圧倒的に紙のほうがいいという話を聞きます。けれどここ最近では「その間にある差って実際どこまであるのかわからない」ということも聞きますので、これらについてはもう少しメタ分析が明瞭になってきてからじゃないと議論できないでしょう。
 なので、現状は「自分の思考の型にあう方でいい」ということに結論が落ち着いています。

 そんな圧倒的タイピング有利の状況ですが、決して指を使って書くということは無意味ではないとは思っています。

2.手書きは「その人」を実に明瞭に表す

 これは多く人の文字を見てきた人が一様に言うのですが「手書きの文字は性格が出る」といいます。
 私は昔塾講師のアルバイトをしていて、結構いろいろな人の手書きの文字を見てきたのですが、すると垣間見える性格に出会うのです。

 なんとも言葉での表現ができないのですが、書く文字によって十二分に性格が浮かぶのは確かで、初見の際にその人の文字を見て「こんな人なのかな?」と思うと大体その予想が的中します。
 格式張った書き方をする人は「真面目で杓子定規」、丸みを帯びた文字を書く人は「柔軟性に富、少し大雑把」などというイメージの付きやすいものはあるのですが、不思議なことに筆圧やクセ字の形などによってもこの性格が現れます。

 このことから、「文字を書く」という行動は自分が思っている以上に人柄が反映されるものだとわかります。しかしそれが即座にメリットとして考えられるかは難しいところです。
 そのため、少し逆の思考をしてみましょう。

 タイピングは確かに速度がありますが、速度があるすぎるのは一つ問題でしょう。
 私は手書きが持つ最大の思考の武器はその「ゆったりとした速度」にあると思います。

 思考のスピードを同じように吐き出すことができるというのは確かに重要なのですが、早すぎる速度で思考することは早熟なものであると同時に、いくらでも変容する可能性があります。
 この変化を受け止める時間がタイピングにはないというのはある意味で問題です。つまり、脈絡なく出現する大量の思考をその速度で表現していけば当然ながら、「脈絡がないもの」になってしまうことも考えられます。だからこそ、ある程度自分で振り返る力が必要になります。

 手書きの場合この速度がゆっくりと、熟考の余地があるというのは重要な点であるかもしれません。
 しかも手書きは書き直しに大きな時間を要します。そのため、一つ一つの思考の質も重くなるかもしれません。

 どちらも可能性の域を抜けないのは仕方がありませんが、少し考えても手書きにはタイピングにない素晴らしい点がいくつも存在していることがわかります。
 しかし問題なのは、これらの効果測定が困難な点が挙げられます。実際にこれらの効果を証明するためには広域なデータが必要ですし、日本語圏以外の言語に同様のことが言えるのかわからないというのは難しい議題です。

 つまり今後に期待、ということなのでしょうか。
 それにこれを語る上で「何についての議論なのか」という部分も明瞭にしておかないといけませんね。この独り言も今後に期待でしょう。

結論

・タイピングは速さが売り。思考と同じスピードで出力できるかも
・手書きは手書きで思考の質が重視されるかもしれない
・実際どっちが優れているかを考えるにはデータ不足らしい。
 

 少し短いですが今回の独り言はこれにておしまい!

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