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創作の独り言 難しい言葉

言葉とは

 言葉、というより言語という広いもので捉えると「自分の気持ちを正確に相手に伝えること」と紐解くことができます。表現の難しい伝承を後世に伝えるのも、言語による伝達は非常に円滑にすることができるでしょう。

 ではそれを使って、空想の産物を書き連ねるというのは、なかなか面白い試みでしょう。本来とは少し異なる使い方をしているとは思いますが、それでも「書き手が持っているイメージや思考を伝える」という意味では共通していると思います。
 意味的には似ているかもしれませんが、実際に蓋を開けてみると小説の文面と、口語体は全く異なるものが使用されています。そこにある空気感や言葉の使い方、全てが独特で小説ならではの世界観が広がっています。

 文体にはジャンルでこそ種類がありますが、どれも「小説としての空気感」が漂っています。
 そんな中で一つ、しばしば議題に上がることといえば「難しい言葉」でしょう。私も気をつけているのですが、背伸びしようとするとどうしてもこの「難しい言葉」に逃げがちになってしまいます。

 実はこの失敗、小説初心者ほどよくやってしまうらしいです。私も実際現在進行系で犯しまくっていることなのですが、できるだけ留意していることと、理由について独り言を流していきましょう。

1.難しい言葉は扱い自体「難しい」

 難しい言葉と一口に言っても、実際のところどういうものを表すのでしょうか。ここでは「漢字検定一級で扱うような語彙」としておきましょう。漢字検定一級では、日常生活で使用しないような漢字に加えて、国字、当て字などが乱発されます。
 それに加えて、各分野の概念を扱う言葉も大量に出題されるまさに日本における漢字能力の最高峰を担うに相応しい問題群です。

 ここでは漢字検定がいかにすごいか、などは一旦おいておくとして、これらの漢字を勉強したからといって「語彙力がついた」と判定していいのかは考えものです。
 「語彙力」についてはまた別の機会に独り言にしたいのですが、ここでは「適切なタイミングで、簡潔な表現を選び抜く能力」とだけにしておきましょう。そのため、ただ大量の語彙を頭の中に叩き込むだけではこれらの能力がつくとは言えないことは明白です。

 これらの言葉は、使い方が非常に難しいと言えるでしょう。そもそも、日本語の語彙量は膨大で、細かく使い方が決まっているものが多いです。大切なのは、「言葉を受け取った人間がどのようなイメージを抱くか」ということを頭に据えておくことだと私は常々頭においています。
 難しい言葉はそれだけ、「抱くイメージ」が付きにくく、どのようなタイミングで選び抜くのかが非常に困難です。そのため、全くもってイメージがつかない言葉を無理に使うことは逆効果になってしまいます。

 それを見た人がどのような情景を想像するか、小説を書く上で大切なのはまさにそこであり難しい言葉はその想像が難しいのです。人の目に触れられない言葉はどのように人の情景を引きずり出すのか想像できません。
 これが「他の人が知らない言葉を使う難しさ」であり、言葉そのものの難しさとはまた別の話になります。

 ではそれに対して「言葉自体が難しい」とはどういうことなのでしょうか。一言でいうと「概念的な言葉」は飛び抜けて使用が難しい類に入ると思います。

 これは私の経験則なのですが、概念的な言葉、例としては学者言葉のような難解な表現は、「間違って使用している」という実感そのものが持てないため、自分では上手く使えていると思ってしまいます。
 そもそも、概念的な言葉は、それらが使われる文脈を理解した上で使用しなければなりません。学者言葉になるとなおのことで、小説という一貫した文脈の中で組み合わせて使用することになるので、「この言葉が合っているか」を考えるところから必要になります。
 当然ながらそれを考えることは困難を極めることになります。言葉そのものの意味が難しい上、そこに文脈が絡めばもう地獄絵図であると言えるでしょう。

 一言で難しいと言っても、その中にある難しいは種類があり、複雑に絡み合うことで地獄のハーモニーが作り出されるのです。

2.でもなんで使っちゃう?

 不思議なことにこれほど難しい羅列なのにも関わらず、なぜ小説初心者ほどそれをしてしまうのでしょうか。

 それは、難しい言葉が持っている妙な「説得力」でしょう。当然ながら、それらの言葉はあまり流布していないため、表層的にも知っている言葉に対して優越感のようなものを抱いてしまいます。
 優越感だけならまだしも、それらの言葉には不思議な説得力を持っています。言葉が正確に理解している人が少ないからこそ、「あ〜、こういう使用方法をするのね」と受け取ってしまう人が多いと考えてしまうからなのかもしれません。

 実際私が感じたのはそんなところでしょうか。難しい言葉をさらっと使うことで感じる優越感、そして謎の説得力。だからこそ便利だから使ってしまうが、一方で十二分に使い切れていない難しい言葉は分不相応に気づいて頭を抱えることの繰り返し。
 そこを乗り越えるか乗り越えないかはまた難しい話です。小説と向き合えば向き合うほど、その深淵の奥深さに畏怖すらも覚えることでしょう。しかしだからこそ、深い闇に挑みたくなってしまう。そんな気持ちが今の私の心境でしょうか。

 今でも注意しないと分不相応な言葉を使ってしまいがちです。この記事の中でもそうでしょう。なんとなくこの人の言葉分かりづらい、と読み返すたびに思うのは悲しい気持ちになりますが、それでまた同じことを繰り返すのはナンセンスです。

 自分にできることからすすめるには、まず自分の立ち位置をよく理解することが大切だと、私の心の備忘録にとりあえず書き留めておきましょう。

結論

・難しい言葉を使うには、「言葉そのもののイメージ」と「言葉自体の難しさ」の2つを乗り越える
・なぜか難しい言葉には説得力がある
・分不相応な言葉を使っている自覚を持つところからスタート

 

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