善意に押し潰されそうになる時がある
人から何かをしてもらった時
私はたまに「嬉しい!」と単純に思うことができない時がある。そしてそんな自分にも悶々としたりもする。
それはなんでなんだろう?と
ちょっと考えてみました。
というか考えさせてください。
整理して、吐き出して、このモヤモヤとした黒い渦を身体の外に出してしまいたい。。。
という訳で始めます。
ひとつは何かをしてもらったら
何かをしなきゃと思うから。
お返ししなきゃな。とか。
感想しっかり伝えなきゃ。とか。
頂いたものには
それ相応の御礼をしなきゃ!
となるから。
そこに頭を使い、時間を使うことがしんどい時がある。
仕事も育児も家事もあって、日々雑事に追われてるのにさらに雑事(とは言えないけど)が増えた気がしてしまう。
でも。
本当に嬉しい時はそのお返しを考えることも嬉しいものです!
そう。
だからこの、人の善意に押し潰される時ってのは。
その善意の中にあるその人自身の感情が見えちゃった時。
例えば、子供のお洋服のお下がりを頂いた時。
「もう要らないけど、捨てるのは罪悪感があるから使って」
というその方の気持ちがのってるものある。
それはつまり不要なものだけど、ゴミ箱には入れられないという。その人の都合も含んだ贈り物の場合がある。
「これ便利だから使ってね!」と頂いたものは、我が家の一定の場所を取り、使い方を調べたり習得する手間が増えるという面もある。
子育てに奔走する私にその時間と場所を提供することを一瞬で強制するのだ。
きつい。と言わせてくれ。ここだけでいいから(笑)
善意というものに包まれたその人の心の声。
それは受け手の私にしかわからない、実は送り手ですら気づいていない心の声なのかもしれない。
だって喜んでもらいたいのもきっと本心だから。
だから始末が悪いのだ(すみません)
善意で包めば大概良いことにる。
良いことに見える。
でもその奥にチラッと見えた
その人の心の声。
それが大概その人自身の為だったりするのだ。
それだ!
あんまこれ要らないな。
って思ってるのに断れない。
なぜなら善意に包まれてるから。
だから受け取る。
それなのにその中には善意じゃないもんが入ってるやん。
それが割ときつい。
あ〜。
正体が分かってスッとした。
自分も誰かに何かをしたくなった時の自分の下心にまずは意識を置くこと。
そしてそれをちゃんと手放してから、一呼吸おいてら行動に起こすこと。
肝に銘じておきます。
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