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語源譚(3) right

キーワード:語源譚。ごげんよもやまばなし。その3。上の画像は「いらすとや」。

昔から、左右が分からない。いや、正確に言えば分かる。分かるが、時間がかかる。小学校1年生の教室を思い出し、前の壁に貼ってあった「右」「左」の文字を思い出せば、左右が分かる。だから、右がどっちか分かるまで、数秒かかる。このため、自動車教習所では結構苦労した。「次、右ね」「はい!」→思いっきり左に曲がる。を何度か繰り返した(そして怒られた)。

この左右が分からないというのは、結構有名な話らしく調べられている。実際、結構な割合で存在するらしい。谷岡・山下(2006)はWolf(1973)の成人対象のアンケート結果を以下のように引用している。

(左右の識別に関して)女性の38%, 男性の24.3%が「たまにある」以上の頻度で困難があると 回答し,両者の間には有意差が認められた。

谷岡・山下(2006) 「健常大学生における左右識別困難- 自己評価質問紙による検討 -」http://www.ed.ehime-u.ac.jp/~kiyou/2007/pdf/08.pdf

Psychology todayの記事によると(Ocklenburg, 2019)、実は、これ大脳の角回という部位が関係するらしい。角回は空間認識と言語処理と記憶を司る部位であり、その3つのハブとなっている場所である。そこがプレッシャーを感じると、左右を空間として認識していても、記憶と結びつかなかったり、言語としてすぐに出てこなかったりするとのことである。自分の場合は、記憶の箇所に問題があるような気がする。上記のPsychology todayは、左右の認識が困難なときには、両手の人差し指と親指でLの文字を作り、正しくできているほうがLeftだよというアドバイスを載せていたので、今度はやってみようと思う。

さて、そんな左右の識別が難しい私だが、実際何か問題があるかというと、たまに運転中に逆に曲がって家族に怒られることを除けば特段何もなく、平穏な毎日を過ごしている。で、話を英語に戻すと、英語のrightといえば、たくさんの意味があることで知られる。Wisdomで確認したら、23個の訳が与えられている。多すぎとも言えるだろう。なぜこんなに一つの単語に意味を持たせるのか。初学者であったら怒りで震えてしまうかもしれない。ぶるぶる。そんなrightの話。

語源

いつも通り、Etymonlineで検索。rightの語源となる印欧祖語については、以下のような説明がある。

*reg- "move in a straight line," also "to rule, to lead straight, to put right"

堀田氏のブログ(クリック)にもあるように、右は正しい(強い)、左は弱いと考えることもできるが、etymonlineのadj.2に以下の説明がある(和訳&要約済)。

この形容詞はもともと「右」という概念は含んでいなかった。この意味は、古英語の後期に、右手は2つの手のうち通常「強い」、あるいは「正しい」手であるという概念から始まったと推測される。1200年頃までには、この「右」の概念は、次に体の左側から、手足や衣服などに広がり、さらに他の対象にまで拡大された。

https://www.etymonline.com/search?q=right

説明の通り、右手が正しい手または強い手と考えられており、左手が弱い手と考えられることから「右」の意味を持つようになったとされている。つまり、 the right handの形容詞rightの「強い(正しい)」という意味が長い間に「右(の)」をも意味するようになったということだ。そして「弱い」を意味していた英語leftの古語 lyft が左の意味を持つようになったのではないか。

東西の類似点

なぜ自分はその考えが好きかというと、漢字の成り立ちに同じ思いを見つけるからである。もしかしたら、右という字の書き順を奇異に感じる向きもあるかもしれない。左という字と異なり、右は縦の線から書き始める。これは偏が手を表しており、口が器を表しているからである。詳しくはリンク先の漢字のなりたちの項目を見てほしい(クリック)。

これを見ると、やはり「手」が右と左という概念をもたらす「もと」になっていることが分かる。東西を問わず、普遍的に手が大きな意味を持ち、同じように語が発展したと考えると興味深い。

左右のない文化

さらに話は変わるが、「ことばの違いから文化を読む」(森光, 2010)では、左右の概念は使わず、東西南北を使う文化が紹介されている。相対的に捉える左右ではなく、絶対的な指標である方角、つまり東西南北を使う文化である。「右にある醤油とって」ではなく、「北の方にある醤油とって」となる訳だ。サピア・ウォーフの仮説では、言葉が考えを決めるとされている。左右という概念がない世界では、どのように世界が切り取られるのか、興味深い。ちなみに東西南北を用いる文化では、どこに連れて行かれても、どっちが東か当てられるなど、方角が感覚的にわかる人が多いという。それもまた、言葉が人間の感覚にも影響を与え、世界観を変える一例かもしれない。

*1 森光有子 (2010) 「ことばの違いから文化を読む」https://www.soai.ac.jp/univ/pdf/morimitu_kenkyu4.PDF (2022. 5. 20)

 以上rightについて、いろいろと思うところを書いてきたが、やはり身体性と結びついている語だけに、いろいろとあると感じた。以上、rightに関する語源譚でした。ではでは。

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