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【日々の雑感】「千と千尋の神隠し」を観て思い出したこと

こんばんば、ブリタニーです。

この前の週末「千と千尋の神隠し」をDVDで観ました。
ジブリは好きだけど、千と千尋はずっと観ていなくてたぶん。
15年ぶりくらい。
正直、公開当時はその良さがいまいち分からなかったんです。
神さまのことや細かいこと…なぜハクが魔法使いの修行をしているかとか、背景がよく分からなかった。
分からないなりに引き込まれるし、感動していたんですけどね。

今回は当時と違う感覚で観つつも、やっぱりすごく感動して。
むかしよりもしっくりきた場面もたくさんありました。
きっと宮崎駿は神さまの世界が見えているんだろうなぁ。

さて、皆さまご存知だと思いますが、
湯屋で働けることになった千尋は湯婆婆と契約書を交わします。
その際、湯婆婆は「千尋っていうのかい。贅沢な名だね。」と言い、彼女の名前を「千」にしてしまう。
湯婆婆は名前を奪うことで相手を支配する魔女だそう。

このシーンでふと思い出したこと。

私の亡くなった祖母は漢字一文字の名前だったのですが、祖父の兄妹は、名前の最後にわざと「子」を付けて呼んでいました。
(例えば「はる」という名前なら「はる子」)

理由は、貴方にはもったいない名前だから だそう。

私がそれを知ったのは、10年くらい前に祖父が亡くなって、初めてその兄妹に会ったとき。
今から60年以上前、きっと今よりも名前は家柄や育ちを意味するものだったんだと思います。
高貴な名前を持つことは、不相応と捉えられかねなかった。

祖母は北国の出身で、寂れた田舎に見切りをつけて家出同然で今の土地にやってきたと聞きました。
土地柄的にも他所者に冷たく、差別のあった時代だったと思います。
祖母は、言葉の訛りを隠して、出身を明かさないように周りの人の目を気にして過ごしていたそうです。
そんな辛い背景を、義兄妹は侮蔑心から「呼び名」で表していた。

気位が高かった祖母は悔しかっただろうなぁ。
私は、とても悔しかった。
知らなかった自分にも、何も言えない自分にも、悔しかった。
それでも祖母は、義兄妹の「名前を変える」という呪いに支配されないように戦っていたんだと思います。

千尋も、湯婆婆から支配されず、優しさと自分らしさを失わなかった。

ちなみに話を「千と千尋の神隠し」に戻すと、白龍のときの、ハクの表情や顔の動きは大型犬を参考にしているそう。
あの唸り声、動き方、たしかに!

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