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『アクアの誤算』05

『悟りなる事象への誤認知認識』

62年、人間やってきまして一番誤解の大きかった真実実相が「悟り」とか覚醒とか目覚めとかの用語への「誤った観念と理想理念」

お釈迦様が悟りを開いて、あまねく衆生を救い放たんがために、仏教の礎を当時に説き、支持者が仏教を開花させました。
原初の釈迦の悟りがいかなる「発見、実感、真実への開眼」であったのか?
青年期には「聖人君子となること」として思い浮かべています。人間完成、人間性の完成、欲望の滅却、天国への階段を最上階まで上り詰めること・・・などと、憧れておりました。

神慈秀明会教団に19才から22才まで入信しておりました。
夏場には大阪に「夏季布教」にでかけて「信者獲得布教に努めました」
教祖は岡田茂吉様。盟主様と崇められていて、地上に天国を実現する「神」であると教えられ、一時期は信じておりました。

ただ、どんなに教科書(岡田氏の残した説法集)を読んでも御神前で祝詞をあげても、他者の幸福を願っても・・・私の人間性はかわっていない。とあるトキに気が付いて「らちがあかない」と悟り、脱退しました。

次は「幸福の科学」
個人大川隆法を主催、宇宙で最高の悟りを得た「神」でありと崇め奉り、献金、布教、研修会、書籍販売などに3年位「入り込み、入れ込みましたが、講談社への集団デモを見て、「ここは違う」と悟り脱会しました。

次はGLA(始祖高橋信次)の後を継いだ幹部の立ち上げた団体(今は解散)でしたが、研修会でフラダンスを踊らされて「ここも違うと見切りました」

その後は自学自習で、自己啓発・心理学・原初スピリチャルなどを学び、瞑想に耽り、自己改革を反省行で推し進め、神秘体験もこの頃が一番多かった。
守護者(守護霊)との対話も当時はできています。

霊的な目覚め・・・つまり死後霊界で更に学びを深めていく仕組みを悟っていました。

こうした、数々の経験の中にも「悟り」はなかった。
依然として「憧れ、人間智完成としての到達点が悟りだろう」と考えておりました。

それが・・・ある体感を境に一変してしまい、
悟りに都合のいい夢をもたせることができなくなりました。

次回、「見性編」


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