2024年、夏、豊橋で
こんにちは、北大陸上部中長歩パート長を務めている4年の野呂雄太といいます。
七大戦の意気込みというテーマで書く機会をいただいたので、書かせてもらいます。
まず、軽く自己紹介します。
陸上を始めたのは高校の時です。
それまでは野球をやっていました。中学では陸上部がなく野球を続け、何とかスタメンで守備はそこそこ、下級生の頃は下位打線、上級生になってからはちょこちょこ上位に加わるくらいな選手でした。長距離はそこそこ速かったので、なんとなくその自分で勝負してみたく、高校からは陸上を選びました。高校から陸上をやると、初めのうちは、なかなか経験者の同級生に勝てませんでしたが、3000mscに挑戦してみたら単純な走力では敵わない同期に勝つことができて、専門としてやることにしました。
個人では目立った成績は残せませんでしたが、チームで近畿高校駅伝に出場できました。ほかにも、奈良だったので、ジョグで東大寺や春日大社に行ったり、素敵な仲間に恵まれ、楽しかったです。陸上を選んでよかったと思いました。
大学に来て、浪人明けであまりやる気がなかったけど、高校時代に先輩の応援に近畿インターハイに行ったときに高橋佑輔さんを見て衝撃を受けたことを思い出しました。
彼が北大で陸上していることは知っていたので、とりあえず会ってみようと思って、体験に行きました。先輩たちが温かく迎えてくれ、またここで七大戦の存在を知り、高校の同期が多く他の七大学で陸上を続けていたので、七大戦でまた会えると思い、続けることを決意しました。
そこからは、いろんな出会いや別れがありました。中でも、初めは数人いた同期がモチベを失い、どんどんやめていってしまって、中長距離の男子が僕だけになってしまったのは寂しかったけれど、その時、特に2つ上の先輩たちが手を差し伸べてくれて、そのほかの先輩や後輩とも、たくさんいい思い出ができました。競技の方も本当に少しずつではあるけど成長していき、楽しくできていました。
(やめていった同期とも、今でも飲める仲間です。笑)
ですが、男子の同期がいなかったことは、ほぼ必然的にパート長を務めなければならないことを意味します。
その立場をやるにあたってリーダー性も競技力も、何一つ持ち合わせていなかったけれど、任された以上は覚悟を決めて取り組みました。しかし自分より持ちタイムのいい後輩が何人もいる中で前に立つことは苦しく、だからこそ頑張らなければと思って空回りして、人生で初めて疲労骨折もしました。
この立場を経験できてよかったけれど、正直しんどい時は何度もありました。
こんな自分と仲良くしてくれる大切な先輩たちにそんな些細なことで弱っている姿を見せたくなく、そのために今までのように楽しく話ができない自分を嫌悪し、また昨年大敗した七大戦をもう一度繰り返したくない焦りなど、いろいろなものが渦巻いていました。
同じ目線で向き合ってくれるはずだった同期はもうすでにやめてしまっていたので、ずっとそんな悩みも辛さも心の奥にしまいこんで、長くて厳しい北海道の冬を、耐えるしかありませんでした。
しかしそんな中でも、そんな自分を気にせず楽しく取り組んでくれる仲間や後輩の姿に、自分は救われていたのかもしれません。
七大戦はそんな今年1年間の、今までの4年間の、集大成の場として臨みます。最後終わったとき、どういう結果になって、どう思うのかはその時になってみないとわかりません。
陸上部に入ることは自分で選んだことだったけれど、うまくいくこともいかないこともたくさんあって決して平坦な道ではありませんでした。が、任されたことやおかれた立場から逃げずに向き合ったことで、いろんな経験ができ、周りに合わせて動くことしかできなかった自分を変えてくれたと感じます。
最後の七大戦では先輩や同期・後輩をはじめとして、今まで支えてくれた人たちに恩返しがしたいです。競技においてはなかなかうまくいっていない自分ですが、最後こそ、いい結果を残します。上に書いた自己ベストを大きく塗り替えて、入賞目指して頑張ります!
まだまだもっと書きたいことはありますが、長くなってしまったのでこのあたりで。
さいごにこれを(ここまで)読んでくれている、中高生の皆さん、七大戦ってのは、面白いですよ。自分はなんとなく、高校時代にやってみたかったけれどできなかったこと、を表現できる場であると感じています。
もし興味あったら、見に来てみてはいかがでしょうか。そして何より、来年以降は皆さんと一緒にグラウンドに立てることを、心待ちにしています。
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