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バカになれ!!

七大戦お疲れさまでした!!
初めてブログを投稿させていただきます。医学部6年の中村彰吾です。
医学部には2年生から学士編入という制度で入学し、陸上部には5年生から入りました。

以下、プロフィールです。

出身:北海道七飯町
学部:医学部医学科
自己ベスト
5000m:15’13”5(UB:16’15”35)
10000m:34’05
ハーフマラソン:69分50秒(UB:77分25秒)
フルマラソン:2時間39分31秒(UB:2時間46分31秒)
好きなキャラ:うさぎ(ちいかわ)
経歴:函館中部高校→大阪大学工学部→東京大学大学院新領域創成科学研究科→第一三共株式会社(研究開発)→北海道大学医学部医学科2年次学士編入学

経歴が紆余曲折過ぎてプロパーの北大生ではない感じですが、北大陸上部に籍を置かせていただいています。

みんな書いているので、まずは昔の陸上人生を回想します(長くてすみません)。

中学時代:北海道の地方の公立中でしたが、当時北海道では陸上強豪校と言われている学校でした。短距離・長距離ともに全国大会出場・入賞が毎年複数人おり、自分は高い競技力があったわけではありませんが、全国中学駅伝で北海道代表で走ることができました。

高校時代:特に指導者がいるわけでもなく、放任主義な部活だったので自由にやってました。それでも、他校に進学した中学時代の友人と競争しながらモチベーションを保っていました。高校時代は5000mでギリギリ16分切れず、大学では絶対5000m16分を切ってやる!という思いで大学に進学しました。

大学時代:北海道人のアンビシャスな精神からか、何故か地元から遠く離れた大学に進学しました。1回目の大学の陸上部はサークルの雰囲気が強いところでした。入部当初の陸上部は週4の練習、練習の出欠管理もしておらず、練習メニューも各パート長が単独で作成し、主要対校戦前の集まり以外は定例のミーティングもありませんでした。学生自治の色が強いのが特徴的だったので、学生主体の組織で好まれそうな「強いものが正義」という雰囲気で、個々のランナーの競争意識が原動力となっているような部活でした。練習をさぼっていても速ければ対校戦に抜擢され、練習に真面目に取り組んでいても勝てなければ評価しないという結果主義の方針は、後で振り返ると自分を大きく成長させてくれたと感じています。

雪の降らない地域で年中走れたのもあって、5000mも3年間で54秒更新できました。しかし、3年の2月にハーフマラソンの自己ベストを出したときに腸脛靭帯をひどく傷めてして、なかなかすっきり走れるようにならず、卒後しばらく経つまで陸上から遠ざかることになりました。

大学院時代:大学院では他大の院に進学しました。学部時代にケガで陸上から遠ざかったこと、大学院のキャンパスが本キャンから遠く離れていたのもあって、陸上を辞めるつもりでした。入学して半年ほど経ったころ、進学先の陸上部の大学院チームの主将から連絡をもらいました。「京大の~君(私の同期)から、中村さんの話を聞きました。院生チームで箱根駅伝予選会を出ようとしていますが、参加標準記録を切っている人数が足りなくて困っています。良かった出ていただけませんか?」。この連絡がきっかけでやめようと思っていた陸上を再開する決心をし、陸上部に入部しました。当時の大学院チームは各部員のキャンパスが互いに離れていたこともあって、集合は年1の箱根予選会のみでした。完全に自主練メインで、土曜はたまに駒場の学部生の練習に混ざるというスタイルでした。運良く大学院2年間で2回も箱根予選会に走ることができたのは、良い思い出です。

社会人時代:私が就活していた2010年は就職氷河期と呼ばれてた時代でしたが、運良く第一志望の会社に研究開発職で就職できました。履歴書に陸上の自己ベストを書いたのですが、面接官が会社の陸上サークルの部長だったようで、私の自己ベストをとても評価してもらえたようです(入社後に聞いたら別に陸上の記録で評価した訳ではないよと言われましたが)。芸は身を助くを実感した瞬間でした。

社会人時代は会社の陸上サークルに入りつつ、土日は主に国立大学陸上部のOBで結成された陸上クラブに所属し走っていました。クラブのリーダーは競技力・指導力ともに優れていて、完全に趣味で走っていたファンランナーのような私でもフルマラソン2時間39分の記録を出せるほどまで、かつての競技力を取り戻せることができました。

編入勉強:理由は端折りますが色々あって会社を辞めて医学部に進学することにしました。医学部編入は年に何校も受験可能ではありますが、北海道に帰るという目的もあったので北大を第一志望にしていて、運良く北大医学部からも合格をもらえました。今でも北海道に戻ってきて良かったと思っています。

北大時代:入学後はコロナ渦まっただ中で、陸上部に入るか迷った結果、編入の先輩からオファーがあった医学部の陸上部に入りました。そこから、ちょっとずつ昔の競技力を取り戻していくものの、4年生の後半になって「やっぱり競技意識の高い練習パートナーがほしい」と強く思い、北大陸上部の門を叩きました。
陸上部に入ることで年間を通したモチベーションの維持に成功し、5年次では大学ベストを大幅に更新できました。最終学年となる今年は17年ぶりの5000m15分台を狙いたいと考えています。

経歴だけで長くなりました。最後に一言、私が陸上をやっていて思い出に残っている言葉があります。「バカになれ」です。1回目の大学の陸上部で2度聞いた言葉です。

1度目は1年生のとき、かつて日本選手権で5000m, 10000mを2冠した実業団選手が大学の陸上部に練習指導に来てくれたとき、彼が放った言葉です。

「おれもまさか自分がここまで速くなれるとは思ってなかったよ。でも自分が本気になって、速くなるためにできることを全部した。練習も食事も睡眠も、私生活全て。ここまでやるのほんましんどいけど、本気で自分なら速くなれると信じてやりきった。最後まで自分を信じたバカが勝つ。バカになるんや。」

2回目は私が4年のとき、七大戦の前の集まりで同期の主将が放った言葉です。「大学生になったらいくらでも他に楽しいことがある。そんな中、僕らは大学生になっても陸上をするという選択をしたバカやと思う。でもそんなバカだからこそ本気でバカになろう!バカになって七帝優勝しよう!」(七帝=七大戦)

今でも陸上に限らず、ちょっと無茶なことをしようと思うときに大事にしている言葉です。この年齢(今年38歳になります)にもなって、大事な時間を陸上競技に費やすことに迷いが生じることもありますが、これらの言葉がその迷いを払拭させてくれます。

ここまで長い回想を読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

来年の七大戦は主幹の北海道開催ですね。来年こそは北大陸上部の男女アベック優勝を祈っています!
本気でバカになって、自分とチームを信じてやり切りましょう!!




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