「未来」
中長歩4年目の大竹梨華です。
まずは自己紹介と少し昔話します。
私は高校2〜3年の秋まで陸上競技部のマネージャーでした。
ダンスのために高校を選んだものの続かず、進学のためだけに生きていていました(首席)。そんな時、友人にマネがいなくて困っていると聞きました。知識と経験はゼロ。でも何となく、この場で自分を変えてみたいと思う自分がいて「誰かに捧げる道」に進みました。
週5回もあって記録業務だけ。これには満足できませんでした。
選手44人、個々と対話して競技の面とそれ以外での強みや弱みに向き合って、そんな彼らが物理的にも心理的にもモチベーション高くいられる環境整備、個人やチームの目標管理、メンタルケアの観点から離脱期間の補強に付き合ったり…「選手」を主語にいろんなことに1人で取り組みました。
選手たちに夢中になりすぎて、誰か一人でも練習しようもんならどこにでも飛んで行った結果、首席の座からは落ちました。
でも、選手第一で、先を考えて培ってきた力には本当に自信があります。
そこから視野を広げて「人や組織の管理や人材育成」に興味を持ち、
浪人して一途に神戸大学(経営学の名門)を目指しました。 …敗北😢
神戸大以外の候補も考えていなくてモチベが壊死する中、陸上を軸に調べていたら「えぐい人」がいたので北大(一応経営学科もある)にしました。
せっかくなら競技に挑戦しようかな!と今に至る。
選手となった3年間、本当に怪我か貧血ばかりでした。
月200km積めたらマシ。痛み抱えてるか貧血押し殺してるか、そんな日々。
3年の冬、やっと身体や練習の管理の面で自分に合うルールにたどり着き、それを徹底的に回して順調に積めるようになりました。
そんな私、どんな思いで自分と向き合ってきたか、お話しします。
誰しも困難に直面すること、あると思います。でも自分が辞めなければ競技人生は(相当大きな怪我を除けば)止まりません。逆もまた然り。
周りは元気に練習積んでる、自分だけ走れない。
陸上のこと考えるのも、メンストでランナー見るのも嫌。そんな日もある。
そんなときこそ「未来」を見て欲しいです。
今辛くても自分さえ辞めなければ、また元気に走れます。
辛いときに力になってくれる人、この部にはたくさんいます。
少なくとも私は「今」に囚われずに「未来」のためにできることを考えて、一人で躓いたらうまく周りを活かしてきたので、ここまで来られました。
常に「未来」を見ていたから、練習でうまくいかない日が続いても、落ち込むのは2日だけ。どんなに貧血が辛い「今」、怪我で走れない「今」、思うように走れない「今」があっても、走れた「未来」のためにすべきことは何か。自分が最終的に目指している「未来」は何か。
「今」(寝て起きたら「過去」)だけ引き摺っても何も変わらない。
いつまでも愚痴言っても、何も変わらない。
私のモットーは陸上に限らず「常に前向き」です。
泣いてる私に監督が放った「過去だけ見てても何も変わらへん。」という言葉。不破ちゃんだって常に前向き。そんな影響もあったのかな。
翌日(長くて2日後)には前を向いて、
じゃあ〇〇ために何が必要なんだ?ここ変えてみる?とまず考えてみる。
時には自ら深く調べてみる。それでやってみる。
それでも悩んだら、そこ得意そうな先輩(私の場合は後輩も)を頼ってみたり、言うまでもなく監督はフル活用。そしてまた自分と向き合う。
この「自分で考えて、躓いたら周りを巻き込むPDCAサイクル」は、陸上経験の浅い私ゆえかもしれない。でも試行錯誤がなかなかうまくいかなくても、むしろ楽しめます。
もちろん最初からそうだったわけではなく、1~2年目の夏までは自分に向き合えていませんでした。最初から誰かに聞いて与えられたものをやるだけだと、うまくいかなかったとき他責にできるし、何より自分が楽しめない。何かのタイミングでそう気づきました。
まず「自分はこうなりたい。こうしてみるか。これは解決できそう。でもここまだ気になる!」と考えて、人の意見を聞くと、自分に見えなかったとこが見えて新鮮な気持ちになる。おかげで自分の課題に向き合うのが楽しい。
時間と労力かけて、やっとうまくいったり、少し変われたとき、嬉しい。
まもなく、人生最後の北海道インカレ。
ここに向けても去年のインカレ明けからいろんな試行錯誤をしてきました。
「速くなる」以前に「速くなれる身体じゃないこと」が根本課題。お尻の怪我をしてシーズンオフが決まった10月くらいに5つの方針を掲げました。
継続して練習を積んで速く走れる、周りと競える、「未来」にしたい。
それを実現するためには「万全な身体」を作らなきゃいけない。
「今」走りたい気持ちをぐっと抑えて、走練習から離れ、ひたすら食事トレーニングとウエイトだけに励んだ時期もありました。
もちろん全て順調にいったかというとそんなことありません。いろいろ考えたのにうまくいかない、悔しい。そこからまた考えて修正する。少しうまくいったり、新しい学びと出会えると「楽しい」に変わります。
「北大陸上部の某部誌」に私の3年間は書きましたが、走れない1年目、3ヶ所骨折の2年目はもちろん、3年目も毎月怪我か貧血、難しい治療もあった。本当に辛さ8割の競技人生でした。
「この身体、競技向いてなかったな。もういい加減、辞めるか。」
2年目に3ヶ所目(大腿骨)の骨折が判明し椅子にも座れなかった時、
まず口にした言葉です。
それでも監督や先輩方と話しながら前を向いて、
弱い自分を何とか変えようと、何とか強くなろうと取り組んできた日々。
といろんな角度で考えて陸上に取り組んでいる時。
思い返してもやっぱり楽しかった。今ももちろん楽しい。怪我や貧血で走れなくても、この思考で未来の自分のために向き合ってきました。
リハビリや通院すら気になることはガンガン逆質問して「学ぶ場」でした。
いろいろ書きましたが、今思うことは
「あの時逃げなくてよかった。4回目のインカレを迎えられて嬉しい。」
この一言に尽きます。
力になってくれたPCやBC、後輩同期、6年目の先輩、卒業修了された先輩方には本当に感謝してもしきれません。
必ず最後のインカレで、それに報いる結果を出せるとは限らない。
「4年目」ですが「思うように走れた」のは足し合わせても1年くらい。
3年間元気で、ほぼ継続して積めていれば今頃…とも思います。
でも少なくとも大学から競技始めた人代表として、
去年と今年、この北大陸上部中長歩パートで出会えた、陸上チャレンジャーのみんなに、困難に出会っても「未来」に目を向けて乗り越えれば、その先を楽しめるってことを、示せたらいいなって思います。
これは結果や順位に関係なく、3年間を踏まえて私自身が最大限、最後のインカレを全力で走れば伝えられるんじゃないかと思っています。
あわよくば、チャレンジャーに限らず、思うように走れない苦しみ、怪我の苦しみを味わってきた人、全員に笑顔になってもらいたい。
2週間前に決まりましたが、3日目に歩かせていただきます。
短い間ですが、専門外の種目を最大限探求してきて競歩の魅力に少しずつ気づいてきました。後輩の練習姿やレースを観るの、すごく楽しいです。
競歩のことも、もっと探求して試行錯誤したい。
2週間で完璧に歩けるほど甘い世界ではない。本当に難しくて深い。
でもせっかく関われたので、今回完歩できなくても磨きをかけて、秋に必ずリベンジします(今回は秋の序章)。
3年間、正直レースでいい思い出はありません。全部辛い思い出。
でもレースこそ陸上の本質的な楽しみの一つなはず。
初めて継続して練習を積んで、怪我も貧血もなく、迎えられるレース。
どちらも自分の最大限を出して、結果がどうであろうと最後の道カレくらい悔いなく、楽しんで終わりたい。それができれば、私は7割満足です。
15分以上歩いた瞬間から、
恐らく部員、いや出場選手最長のトラック使用時間になりますが、温かく見守っていただきたく存じます。
男女10000m、男女10000mW、8名の応援よろしくお願い致します。
表彰台を目指して、最大限頑張ります!
大竹梨華
※引退感満載だけど引退は冬です
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