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リソースとの再会

三森みささんのパーツワーク回に倣って、私もパーツたちを絵にかいてみた。
強烈なパーツはとりあえず後回しにして、好きなことを思いっきり楽しんでいる自分をリソースのパーツとして絵にする。これが思いの他良かった。


リソースとは

リソースは安心や幸福感を与えてくれるものという認識だ。私のリソースには安心系のものと、ワクワク系のものがある。カウンセリングの中で重要なのは安心系のリソースだが、日常ではワクワク系も大事だ。それぞれのリソースについて、安心とワクワクの比率をなんとなくイメージしている。半々くらいなのか、どちらかに偏っているのか。安心が強いものを、カウンセリングでのリソースとして使っている。

パーツを認識する

リソースのパーツを人の形で絵にしたのがとても良かった。例えば、布団の中にいることが安心系のリソースだとして、布団をイメージするのではなく、布団の中で思いっきり安心している自分をイメージする。その子は何歳なのか?どんな服を着ているのか?布団以外に好きなものやお気に入りの場所はあるか?それはどんな布団なのか?よだれを垂らしながら眠っているとか、どんな夢を見ているとか。

イメージの世界では姿かたちがはっきりしなくて、ぼやけていることが多いが、絵を描くとなると服も姿勢も表情も決まっていないと描けない。私には、描きながらの方が詳細をイメージしやすかった。

服装や髪型は描きながら決めていく。すると、ないはずの記憶(幼少期の服装とか、履いてた靴とか)がよみがえってきたり、関連する素敵な記憶を思い出したりする。

最初はとりあえず6人描いた。それぞれ名前をつけてあげて、年齢もメモしておく。この時点では、パーツを見つけただけで、対面や会話はしていない。想像するだけでも心が温まる。

リソースに会う

6人のうち2人は、関連するトラウマによりリソースとして純粋に楽しめないので、その2人にはしばらく待っていてもらうことに。これは心理士さんと相談して決めた。その2人に「待っててね」と伝えに行く作業を、誘導してもらいながらカウンセリングの中で行い、残り4人は自宅で会う・繋がる練習をすることになった。


心理士さんからの注意点

  • 会えたら「何か私に伝えたいことはありますか?」と聞く

  • その子と会うと(繋がると)体のどこが、どんな感じがするかを覚えておく

  • 自分でやるのはリソースのパーツだけにする


パーツワークと言えど自分の心と向き合う行為は、身体の状態もよくないとできない。一日の中で最も心と体が落ち着いている時間に、1日一人のペースで取り組んだ。
愛おしく思う気持ちがこみ上げてきたり、かつて排除したことを申し訳なく思って涙があふれたりした。

  1. 会いに行く。その子は身体のどこにいるか?もしくは身体の外(思い出の場所など)にいるかも?

  2. 挨拶する。「私に何か伝えたいことはありますか?」と聞く。

  3. 会話したり、その子を眺めたり。思うまま、自由に過ごす。

  4. 胸の中心が温かい、内側からほぐれる感じ、満たされる、嬉しい、ワクワクする、走り出したい感じ、など身体感覚を言語化して覚えておく。

  5. 「今日は出てきてくれてありがとう。また会いに来ます。」と伝えて現実に戻ってくる。身体の中に、そのパーツの居場所を用意してあげても良い。

予想外の子

パーツワーク初日から、予想外の子が登場した。宿題になっていた4人のうち、誰からやろうかと思っていたけれど、さて、パーツワークやるかーと思った時に、ふと2歳くらいの私が庭にいるイメージがあった。
その子はリソースの中では一番幼くて、私の一部というよりは私そのものだと直感的に思った。挨拶してから、その子が庭で遊ぶのを見守り、身体感覚を味わっていると、愛おしく思う気持ちが湧いてきた。この子を大切にしたいと思った。気付くとその子はいなくなっていて、消えてしまったかと思ったが、身体の感覚をスキャンすると胸の中心にいた。木製の扉があって、ノックしてから開けると、その子の好きな空間が広がっている。そこに行けばまた会えると思った。胸の中心が温かくて、心の穴が埋まったような、満たされた感じがした。

悲しい話、再会

予想外の子はもう一人いた。小学生の時に熱中していた趣味だ。何年生の時だったか、母があまり興味を示さなくなったからやめてしまった。母が私のプレゼントした作品を持て余していて、雑に重ねられ、埃まみれになった作品の山を見ながら「もう置く場所がない」と言われた映像記憶がある。確かに好きだったし楽しかったけれど、当時すでに他者評価のなかで暮らしていた私は、両親の気をひけないどころかもういらないと言われてあっさりとそれをやめてしまった。つまり、そのリソースを私の中から追放してしまった。
おまけに、やめてしまってからも自分の部屋に残しておいた(本当は大切な)作品たちを、中学生になってから自分で捨ててしまったのだ。その時期から解離はしていたと思うけれど、もはや自分の好きなもの・大切なものという概念が崩壊していた。(この話、トラウマになっている可能性があるので後日扱うかも)

パーツワークやろうか、と思った時に、小学生のその子がリビングに表れた。まじか!と思いつつも、挨拶して、しばらく眺めた。かつて排除したこと、自分で作品を捨ててしまったことを思い出し、すごく申し訳なくなって涙が出てきた。直感と思いつきで「すっっっっごく大切にするから作品をひとつ作ってくれるかな?」とお願いした。「いいよー」と言って黙々と作業を進めるその子を見守り、完成品を受け取って胸の中にしまった。その作品をその子の居場所になる部屋にして、また会えるように扉を付けた。

宿題だった4人は順調に進め、とりあえずパーツワークは終了した。トラウマが絡むパーツに一人で勝手に取り組むのはリスキーだし、日常のフラッシュバック対処とセルフケアで手いっぱいだ。

身体の変化

このワークを終えてから、体の中に安心できるスペースができた。予想外の2人と宿題の4人は、みんな横隔膜より上にいて、2歳の子を中心に心臓や鎖骨の周りにいる。腹側迷走神経は横隔膜より上、背側迷走神経は横隔膜より下を主に支配しているので、これはすごく良いことではないかと思う。調子のいい時には、身体に意識をむけることもできるようになった(トラッキング?マインドフルネス?)。
イメージの世界の話で完結するのではなく、身体にも変化があったのが嬉しいし面白い。

得意なこと、好きなもの、やりたいこと

リソースのパーツに出会えてわかったのは、これまで「趣味」としてきたものは全て父や母の反応が良いものだったことだ。
悲しい話だが、生まれ持った好みや得意なことの中で、両親が喜ぶものしか趣味として成長しなかった。親譲りの趣味は、遺伝的にそれが好きな訳ではなく、親と同じものを好きになることが家庭内で非常に歓迎されるからだと思っている。
これまでの私は、両親の反応が悪いものは切り捨てて、私の中から追放してしまっていた。このパーツワークでその子たちを迎えに行くことができた。

生まれ持った好み、得意なこと、興味のあるものを再発見したことで、ぼんやりと将来の夢が見えてきた。叶うかわからないけれど、トラウマ治療が終わったらやってみたいことができた。将来、幸せそうに暮らす自分を想像できたのは初めてかもしれない。

おわり。