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なんと!欧米列強の植民地支配に終止符を打ったのは「日本」であった

第二節:白人の侵略に屈しなかった唯一の民族「日本」


植民地支配を受けず、かつ植民地支配をしなかった国は、日本、タ

イ、ネパール、エチオピア、スイスのわずかに5カ国だけでありま

した。

◎タイ・・・東から侵略を目指すフランス、西から侵略を目指すイ

ギリスの緩衝地帯として辛うじて独立が保たれました。

◎ネパール・・・イギリスの侵略を受けながらも、イギリスに対す

る積極的な戦争協力によって辛うじて独立を維持しました。

◎エチオピア・・・本来はヨーロッパの植民地になっていたはずで

あるが、風土病の蔓延により、辛うじて植民地にならずに済みまし

た。

◎スイス・・・1291年の建国以来、長きにわたって周辺諸国か

らの度重なる侵入を受け、周辺諸国の承認によって正式な独立国と

して認められたのは、実に建国より350年以上経った1648年

のウエストファリア条約でした。

さらに永世中立が認められたのは、それから約160年後の181

5年ウィーン会議でした。

列国の承認が得られるに至った要因の一つには、スイスの周辺諸国

がフランス、ドイツ、イタリア、オーストリアという、まさに植民

地支配を推進してきた国々であり、スイスはこれら列強の緩衝地帯

となっていました。

このような条件を考えれば、スイスの独立は極めて特殊な事例であ

ります。

日本以外の国は、断固たる意志ではなく、事の成り行きでたまたま

独立を維持できたに過ぎません。

日本は、白人(欧米)の植民地支配に対抗し得る、世界で唯一の存

在でありました。

一、植民地争奪戦を終わらせた日本

欧米列強の植民地支配に終止符を打ったのは極東の小さな島国「日

本」でありました。

圧倒的軍事力で迫る白人列強の植民地主義勢力に対し、日本はとて

も小さな島国とは思えない力で立ち向かいました。

日清戦争、日露戦争、大東亜戦争(太平洋戦争)、どれをとっても

日本が初めから勝てると思えた戦争はありませんでした。

大東亜戦争の最後には力尽きたが、それでも日本の戦いぶりは世界

を驚かせました。

日本の強さの秘訣を3つあげます。

①洗脳にも動じない大義に生きる武士道精神

②分断にも屈しない和の団結精神

③侵略にも怯まない死を恐れない特攻精神

1894年 日清戦争

オランダはインドネシア、イギリスはインド、フランスはベトナム

を植民地化しました。

このまま行けば日本はいうまでもなく、アジア全域が白人の植民地

となることは必定でありました。

日本はアジアを守るために、まず隣国朝鮮を近代化しようと試みま

した。しかし朝鮮の宗主国である清はそれを認めず、ついに日清戦

争が勃発しました。

日本は勝利し、朝鮮の独立を達成しました。

1904年 日露戦争

ロシアは以前より満州を事実上占領し、朝鮮まで勢力を伸ばそうと

していました。

日本自衛のためには、ロシアに勝利するしかありませんでした。

しかし、当時の日本がロシアに勝てる見込みはほとんどありません

でした。それでも苦戦の末に勝利した日本は、ロシアを満州から撤

退させ、朝鮮への侵略を防ぎました。

この勝利によって日本は自存自衛を達成し、アジアに対する白人の

侵略を防いだのでした。

日本の勝利は植民地化されたアジア諸国に勇気を与え、同時に日本

は、欧米列強と肩を並べる大国と見られるようになったのでした。

1941年 大東亜戦争

日本は明治維新から一貫して、白人の侵略に対する自存自衛の戦い

を続けてきました。

人種差別撤廃と植民地主義廃絶を主張する日本は、欧米植民地支配

からアジア各地を解放すべく戦いました。

日本は最後には力尽きましたが、ほぼ全ての植民地は独立を果た

し、その国々は今なお発展を続けています。

二、日本が貫いた崇高な精神

日本の戦いは、決して侵略ではなく、あくまでも自衛のための戦い

でありました。

日本が戦争に負けた理由を3つあげます。

①白人の策略を見抜けなかったこと

②日本に資源が乏しかったこと

③近隣国である中国と朝鮮が日本の真意を理解できなかったこと

それでも日本人が貫き通した武士道精神は、世界に大きな衝撃を与

えました。

対戦国のアメリカでさえ、死をも恐れない大和魂に恐れをなし、そ

の後のGHQ政策に大きな影響を与えました。

どの視点から見ても日本の闘いは侵略主義を打ち砕こうとするもの

でした。

1945年3月26日、硫黄島守備隊の市丸利之助中将(戦死して

特進)は、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた

「ルーズベルトニ与フル書」をしたためました。

市丸中将は、自ら死を目前として、たとえ硫黄島が奪われ、

我が身が土に還ったとしても、人が人として生きることの大切さを

この「書」にしたためることで、死して尚、日本の描いた壮大な理

想、悠久の大義のために戦い続けようとしたのです。

今回はここまでとします。

ここまで読んで下さり有難うございます。

よろしければコメントなどお待ちしております。

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