山本周五郎と淡路駅 本の森 失業と読書 と清掃作業員
今、冷房の効いた部屋で、tシャツと半ズボンでパソコンに向かっている。
今日、2024年9月28日、9月という月が終わろうとしている。
先日は、スーパーマーケットの清掃作業が夜間にあり、家に帰ってシャワーを浴びたのが、深夜1時だった。
街中には、大人達も時間を切り上げ、若者たちが屯して夜の街を闊歩していた。
ダイアーストレイツの「愛のトリック」邦題、の歌詞に深夜の時間帯に稼ごうとしているのは、タクシーの運転手と売春婦だけだと、言った歌詞があるが、清掃作業員も、そこには、含まれる。
タクシーの運転手も、売春婦も、清掃作業員も目的地ではない。大海に浮かぶ止まり木に辛うじて、羽根を休めている。
大阪市淀川区に淡路という所がある。当時、私が暮らしていたのは、隣町であったが、銭湯や映画館があって酒を飲みながら、散策していた。
その当時、サラリーマン生活から落ちこぼれて、無職の浪人生活を送っていた。十三の職業安定所へ通い失業給付金で食いつないでいた。
依然として、日本人の慣習には社会的な年齢を基準とし審査がある。
35歳で営業職しか経験していないと言う事は、市場においては、無価値な人間として、扱われた。
「貴殿の今後のご活躍心よりお祈り申し上げます」
40歳を過ぎて清掃作業員になった。サラリーマン時代には触れ合う事のなかった様々な人種。高校生が起こすような、嘲りの会話、違った世界の人間関係の悩み。原色が三種類使われた、作業用のユニフォームを着て今まで着ていた、背広組の社員などに対峙して、伊丹空港の風景に塗りつぶされていた。
清掃作業員になってから少し遠ざかっていた読書を再開した。
最近売れている、集英社新書で「なぜ働いていると、本が読めなくなるのか」三宅香帆著 が話題であるが、御多分に漏れず、営業職の頃は本が読めなかった。よくある脳の認識を試すテストの絵を用いて、ある一点を見つめれば、老婆に見え又、ある一点を見つめれば美少女にみえるといったサンプルがあるが、読書の内容などは、ついぞ頭に入って来なかった。
阪急電鉄の淡路駅西改札口を出て北へ歩いていくと、蔦に覆われた古本屋があった。状態悪い文庫本や絶版になっている本が所狭しと並べられていた。
当時、時間だけは、あったので試しに安い本を買溜めて、手当たり次第によんだ、それまでは、全く気が付かなかった文章などが頭の中にスムーズにはいってきた。読書と飲酒今思えば贅沢な時間だった。
その当時、失業時代によく読んでいたのが、山口瞳の随筆であった、山口瞳はサラリーマンの視点から小説や随筆を書いていたので、心ならずも憧れの人であった。酒、野球、競馬、将棋、旅行、軍隊、題材は違えども文章の土材は哀惜が占めていて、今風に云えば 沼にハマるように読みふけった。
私が憧れた山口瞳が、山本周五郎を崇拝していたので当然のごとく、読むようにした。
「青べか物語」「季節の無い街」は何度も読書を重ねた。
山本周五郎は主に、庶民や流れ者などの、暮らしや心情を描いた。
皮肉なことに、自分のサラリーマン時代は空港の清掃作業員、タクシーの運転手、コンビニエンスストアの店員は「見えない人々」であった。
自分が清掃作業員になった瞬間に体感として、読書ができるようになった。
ただ、あのときは先の解らない不安から否定的な考えに取りつかれていた。
デビューしたばかりの、山口瞳がただ一度の山本周五郎との対談で受けた言葉で
「心配することは無い、もし、失業したら町内を掃除しなさい、見ている人は必ずいるから」「その人が何か、仕事を与えてくれるよ」
といった言葉を紹介している(覚書なので、正確でないです)
失業中はこの言葉に救われた。そして、まだ、この歳になっても誠心誠意
物事に取り組めば、何とかなると密かに信じている。
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