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誕生日の日に(幸せと感じること)

今日は、誕生日だった。子どもの時は、お盆に誕生日なんて嫌だなと思ってた。でも、今はお盆だから家族が帰ってきてくれる、お祝いしてくれると思うといい時期だったなと思う。毎年もう50回以上繰り返してきたこの日だけど、今日はちょっと今の気持ちを書き残しておきたい気分になった。

1つ目の幸せ

今まで子ども中心に生活をしてきて、いつもお祝いをする方だったのに、立場が逆転したようだ。息子の運転でお墓参りや買い物へ連れて行ってもらったり、息子たちがお金を出し合い、プレゼントを準備してくれていた。愛を与える方からもらう方へなったのかなと感じた。もちろん、日々成長していく子供たちから今までもいろいろな幸せをもらってきたけど、もう全力投球で頑張らなくていいよ。大丈夫だよと言われているような。そんな気分を味わった。実際は、永遠に続く母の役目があるのだけれど、自分だけの時間を過ごすようになる時が近づいてきているのかもしれない。ちょっと寂しい気もするけれど、子どもたちの成長を感じられて、本当に幸せだ。

2つ目の幸せ

私は、昨年認定NPO法人PIECESが運営しているcforc2021プログラムを受講した。なかなか簡単には説明できないけど、「citizenship for children    市民性醸成プログラム」というもので、市民性を持って子どもたちのために何ができるかをじっくり時間をかけて考える時間だった。そしてそこで出会った仲間たちとの交流で、狭い世界で窮屈な思いをしながら生きていた私が、安心できて優しくなれる、年齢も性別も役割も越えて1人の人間として生きていると感じる世界の扉を開けることができた。今日、そんな仲間からまだ知り合って1年しか経っていないのに、たくさん「おめでとう」を伝えてもらえた。この1年で「おめでとう、すごい、素敵、さすが、ありがとう・・・」を何度も交換したり、オンラインで何時間でも話せる仲間との交流は、いつもあたたかい優しさに満ちている。そして、ひょっこり会いにきてくれたり、自分のことをたくさん話してくれたり、私の話をいつまでも真剣に聞いてくれるくれる仲間にご褒美みたいな愛をもらっている。本当に幸せだ。

3つ目の幸せ

子どもの時、何度か普段一緒に行動していない友達に「本当は、仲良くなりたかった。」と言われたことがあった。今思うと、嬉しい言葉だけどその当時の私は、「そうなの?それならそういえばいいのに。」などと軽く受け流していた。他の人のことを感じる余裕がなかったのかもしれない。そして、昨日まで仲が良かった友達に今日になったら無視をされたり、違うグループの子と仲良くすると睨まれたりする女子たちに「どうして、みんなで仲良くしないのかな。面倒臭いな。」と思っていた。それは大人になってからのママ友との付き合いでも同じで、「面倒臭いことからは距離をとって本当に信頼できる人だけがいる狭い世界にいるのが安全だ。」と思いながら、暮らしてきた。でも、今の私は「もっと相手を知ろうとしたり、もっと積極的に関わろうとしたら、もっと人との交流の良さを体感し充実した毎日が過ごせてたかもしれないな。」と、考えるようになっている。これは、2つ目の幸せで書いた仲間との出会いの影響も大きいけれど、ここ10年ちょっと子どもの相談を聴く活動をする中で関わってきた子どもたちのおかげで成長できたところも大きいと思う。「どうして?なんで?」と子どもたちのつらさに寄り添い、一緒に考え、泣いたり、笑ったりする関係を築き「ありがとう。」をたくさんもらう毎日が、「もっとあなたのことを知りたい」というお節介な今の私を作ってくれている。もちろん、ありがとうと言われたくてやっているわけではないけれども、「そばにいてくれてありがとう。」と言ってもらえる関係は、自分の存在を認めてもらっていると感じられる。支えているようで支えられているのだと思う。「相手を知ろうとすること。相手の願いを考えること。相手の目線で物事を感じること。」これらは当たり前のようだけど、実践するのはなかなか難しい。でも、今、私が意識できるようになったのは、今まで出会った子どもたちのおかげだ。これもまた、本当に幸せだと感じる。

最後に

私以外の誰かにわざわざ読んでいただく内容でもないけれども、今の気持ちを忘れないように、私も周りの人を幸せにできるようになりたいという思いで書き残しておくことにした。家族、仲間、友達、今まで出会った子どもたち、そしてここに書けなかったけれど、いつも私にたくさんの刺激をくれている方々にも感謝を込めて、今日の幸せを噛み締めて明日を迎えよう。(2022年8月13日)


 



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