「血の轍」〜毒親もしくは独裁者カルテ|#コミックレビュー
ホラーを凌駕するほど、心に突き刺さるコミックの名作があります。
【血の轍】
作/押見修造
ご存知でしょうか?もし未読なら、令和の時代に名を残す作品であることは間違いないので、お勧めいたします。
表紙の前半は、母親静子と主人公静一のフォトアルバムを模して描かれています。仲睦まじい、穏やかな親子の姿。そのイメージで、ページを読み進めるととんでもないことになります。
この本は、毒親について深く考察した物語であり、押見修造の半自叙伝でもあります。
そして、広い目で見ると、親子の関係性のみならず、上下関係を伴う男女のパートナー同士や、仕事の上司部下などにもなぞらえて読めるでしょう。
ストーリーについて、初めから見ていきましょう。
静一と母親は、小さい頃から一心同体のような生活をしてきた。これはよくある話だろう。母親は幼い子を庇護し、子は母親を頼るものだから。
然し、子が中学生になってくると、微妙に「違和感」が生じてくる。
美しい母(これは後に静一の持つ母の幻影と分かる)が、静一の部屋に起こしに来て、
「朝はん、
肉まんとあんまんどっちがいいん?」
と尋ねる。
読んでいると、その問いが【毎朝同じ】ということに気付く。
これは、母親の性質を端的に示すエピソードなのだ。
「肉まん」と「あんまん」、それ以外の選択肢は無い。もっと違うもの、と意思表示出来ないのだ。
作者がこれで何を表したかというと、
要するに、
母親の作った檻の中に、静一は常に入っているのだ。
もっと読み進めてみよう。
1.吹石さん
静一は、クラスメイトの吹石さんに初恋をする。ふたりが仲良く話をして歩いているとき、静一の母親とばったり出会う。
静一はこの見上げた視線を通して、
【(母親に対して)何か悪いことをしてしまった】
のを感じ取る。
吹石さんは、静一に好意を持っていた。そして、ラブレターを静一に渡す。
吹石さんも、静一と母親に異変を感じていた。
静一は吹石さんと母親を鉢合わせないようにしたのだが、母親は「女」の匂いに気付く。
そしてラブレターを出すと、母親はさめざめと泣く。恋人の浮気を見つけたように。
父親が帰宅するが、静一と母親は抱き合って微動だにしない。
・・・このラブレター破棄の一件のあと静一は、
【母親の檻を脅かす存在】
の吹石さんと、関係を断つようにきつく念押しされる。
2.従兄弟のしげる
従兄弟のしげるは同級生で、同じ学区に住んでいる。父親方の親戚だ。
彼もやはり、静一と母親に違和感を感じている。
参観日でもないのに、毎日幼稚園で静一を見ているのは普通ではない。
これは、
【参観と言う名の監視】
である。自分の存在感が、園の教室や静一本人にどのように作用するか、判っていて立っているのだ。
このエピソードひとつでも、静一と母親の関係性が浮き彫りになる。
―――
しげるの一家は毎週末、静一の家へ遊びに来ている(静一の母親はそのことに強い不満を感じている)。
ある日、しげる一家と静一の一家は、山へハイキングに行くことになった。
しげるは中学生男子らしく、崖をのぞいて冒険心を表す。
しげるが冗談で突く真似をすると、
すかさず静一の母親が抱きとめる。そして、このあと悲劇が訪れる。
しげるに静一の母親は近付いていく。
静一は一部始終を見ているが、しげるのことを心配するのではなく、血相を変えながら母親のことだけを気遣う。
静一の母親にすればしげるは、
【危険を怖がらず、檻から抜け出すための出口を教える存在】
なのだろう。
このあたりから、怒涛の展開となる。
静一は母親を庇ううちに病んで吃音でしか話せなくなる。
結局、静一の母親は逮捕されるが、静一と母親は、思わぬ形で関係性が崩れることとなる。
さらに、
【母親の放棄】=【静一の放棄】
を、法廷で宣言してしまうのだ。
逆上して母親に襲いかかった静一に対して言ったのは、
静一の母親の境地は、以下のコマのようになっていた。
何故こんなことになったのか?
これ以降、静一の視点から母親の視点が分かるようになっていく。そして母親の過去、心理的な要因を探っていく。
母親は、夫含む家族に対して疎外感があったことが描写される。
静一以外に縋るところが無いのだ。
静一を自分の檻に閉じ込めなければ、誰も自分の理解者、共感者がいなくなるのだ。
だから必要以上に束縛した。
恐ろしいことに、あたかも息子を自分への愛着マシーンとして育て上げたのだ。
そして、束縛の手から離れ、愛着が見られなくなったから、「いらない子供」になったのだ。
・・・いやもう、このコミックは思い入れがあり過ぎて語り尽くせないので、このあたりにいたします。
まだまだ続きます。(17巻)
この【静一+母親】の関係のように、
【庇護される人間+庇護する人間】
の関係で留意するべきことは、
お互いは、共存関係の様相を示しているけれども、それは正常なのか、ということ。
親子、夫婦、恋人、上司部下などで、以下のことを想像してみて下さい。
これは、かなり歪んだ関係ですが、案外日常に潜んでいます。
これを打開するには、
相手を
ひとりの人間として
考え方を尊重し
自由意志で動いても
寛容な心で受けとめ
サポートする
それが
真に【認める】ということ。
何故「血の轍」の紹介で、こんな上段からの話をしているんだろう?と思われるnoter様がいらっしゃるでしょう。
思春期の息子のことで悩み、
人生の底から
這い上がろうとするとき、
息子の生きる力に教えられ、
救われたゆえに―――
このnoteに記しておこうと思います。
お読み頂き有難うございました!!
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また、次の記事でお会いしましょう!
🌟Iam a little noter.🌟
🤍