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先日、大好きなカフェに行ったときのこと。

そこは古民家を改装していて、雰囲気がすごく良い。

レトロな装いと店長の趣味であるアクアリウムが絶妙にマッチしており、都会の喧騒を忘れられる場所になっているのだ。

キッチンから聞こえる包丁のトントンという音も、どこか田舎のおばあちゃんちに来たような懐かしさを感じさせる。

ここは家から徒歩5分くらいのところにあるので、よく行く。

特に、エネルギーがなくなって疲れたときや、大きな仕事をした後なんかはよく行っていた。

先日もちょうどエネルギー不足を感じたので、行ってみたのだ。


すると、店内にはすでに1人の青年がいた。

パリッとしたスーツを着た20代前半くらいの男性だ。髪型はきれいに整えられており、高そうな時計をつけていた。おそらく営業職なのだろう。

仕事の合間に休憩がてら来たのだと思う。

しかし、僕は違和感を覚えた。

彼は料理を待っている時も、ご飯を食べている時も、あげくコーヒーを飲んでいる時も、ずっと持っているスマートフォンから目を離さない。

そして、耳にはイヤホンをつけており、なにやら難しい顔をしている。

仕事の勉強でもしているのか、好きな音楽でも見ているのか、はたまたYouTubeでも見ているのか、真偽はわからない。

ただ、明らかにこの空間の良さを受け取り切れていないように感じた。

目や耳、触覚までスマートフォンに集中してしまうと、レトロな雰囲気の机の凹凸にも気づかない。

店内に流れる音楽の心地よさや、店主が選りすぐったコーヒーカップの手触りも感じることはできないだろう。

彼は、席を立つと、疲れた顔でお礼も言わずにお金だけ置いて出て行ってしまった。



僕はこの光景を見て、ふと思った。

どんなにこちらが与えようとしても、受け取る側が受け取らなければ、与えたところで何も変わらないんだということ。

物事が進むのは、与える側と受け取る側がはじめて正面から向き合って、対等になったときだ。

だから、本質的に変わりたいと思っていない人に、いくらこちらが善意でアドバイスを与えたとしても、何も響かない。

それどころか、おせっかいと思われ、距離を置かれてしまうかもしれない。

それでは、与える側ができることはなんだろう?

それは待つことだ。

「この人に変わってもらいたい、もっと良くなってもらいたい」と思っても、今ではないと肌で感じるのであれば、ぐっとこらえる。

これが秘訣なのではないかと。


僕は約10年前に山にこもって修行したことがあるんだけど、そのときに同じ研修生の同期の方からこんなことを言われた。

「コータローさんには見守る強さも必要ですね。」

当時は若かったこともあり、意味がわからなかった。

いや、絶対思ったことは言った方がええやん。その方が相手のためになるやん、みたいな。(笑)

でも、今なら少しだけわかるような気がする。

そのときに向けて、待つことこそが”強さ”であり、”愛”なんだと。

今日も精一杯1日を過ごそうと思う。

気づきを与えてくれたお兄さん、ありがとう。


それでは、本日はここまで。またね!

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