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シャニマスのアイドルでエッセイを書こう 有栖川夏葉編

アローラ!ベゴニアと申します。
タイトルのご覧の皆さん………何をするかわかりますよね。エッセイを書きます。だが、一味違うぜ。おれのエッセイはよぉ!!!!!!。
そう!!シャニドルの実在性の確かさ!!それは深海の輝き!!!希望!!!今回は!その強度を確かめるため!!エッセイを書く!!!おれのエッセイは!!天を貫くエッセイだ!!!!(つまり次元を超えるぜ!アニキィ!)。
(皆さん学マスの動画見ました?ぼく苦しくなっちゃった。何かになろうとする"なにものでもないもの"たちってグロテスクなのよね。その変化は称賛に値するんだけど、どうも見るに耐えない。何かに成るってことは何にもなれないってことで←サルトルみたいじゃんオタクくんwウケる それはそれで美しい。けど可能性の切除は物語の性質上死を意味する。つまり物語の終わりが来る。
キャラクターにこんなことを言うのは頭が沸いてるかもしれないけど、物語の重力に引っ張られた瞬間、人は物語の登場人物になってしまう。登場人物に実在性はあるのだろうか?。重力に囚われた少女たちはもはや作り物の鳥なのでは?。だってあとはいつも通りのエンドロールに引っ張られる。急な事故死なんてない。病死もない。そこに実在はあるのだろうか←オタクくんのことば、あーしが言うね!多分オタクくんの言いたいのは!小説の最後を読みたくないって話し!だって終わるもん。そういうことっしょ!?それをそうと言えばいいのに、くだらない問題提起で隠そうとするのあーし卑怯だと思う!) 

話を元に戻して

以下ルール

・シャニマスのアイドルを題材にする
・著者は彼女らのプライベートを知らない一般人
・著者は彼女らのプライベートを知らない一般人

以上です。書いていきます


    ぼくは昭和を見たから

 小さな丘の上に、それはすこし見えにくいんだけど、とっても綺麗なケーキ屋さんがあるんだ。雨の日なんか、ぼくの家から、せっせと働いてるのだろうね、煙が見えるんだ。そうして雨雲に溶けていくんだ。小さなぼくの孫娘は週も半ばだからすこし汚れてる窓ガラス越しにその煙を見ている。週末掃除しないとな。そうして彼女はお気に入りの絵本を持ってくる。誰に似たんだろう。美味しそうな料理が出る絵本ばかりを集めてるんだ彼女は。ぼくがせっかくショーン・タンの絵本を買って帰っても興味がないらしい。音楽の趣味だってそう。
 絵本にぼくが飽きたから、彼女の好きなものについて聞いてたんだ、それなのに彼女はあのケーキ屋さんにはクマさんがはたらいてるんだって、って話し始めた。あめの日はあめがふってくるまえにストーブをつけて、ってさ。そうして話しを聞いてるとやっと好きなものについて話し出した。ほうかごクライマックスガールズ、だってさ。時計を見たら、まだ妻は帰ってこないようだった。
 だから、二人で動画サイトを居間のテレビで見始めた。ぼくが恐ろしくゆっくりリモコンで検索してると、彼女はかしてと言って、音声入力した。そう放課後クライマックスガールズさ。ぼくとしては英語の勉強になりそうなやつにしたかったんだけど仕方ないね。
 そうして、彼女の持ち前の好奇心に振り回されて疲れ切るまで動画を見た。彼女がソファで横になったあと携帯を確認すると、妻はまだ遅くなるらしい。女医ってのは大変なんだそうだ。ぼくは気楽だろって?そんなことはないよ、だって家庭内で男はぼく一人だったんだ、結構辛いもんだ。
 動画サイトには連続再生機能があるらしいんだ。視聴した動画の終了画面のままにしていると、関連動画が勝手に再生される。だから彼女の動画が再生されたんだ。有栖川夏葉さんのね。インタビュー動画だったんだ。グループ内での彼女の立場とか、メンバーに対する意見、これからの目標。総括するとね彼女は多分とても向上心の強い子で、それでもって努力家。眩しいほどの輝きを持つ少女だった。
 ぼくは一度もその輝きを持てたことはない。学友が赤い波がやってくると言ってる時も、居酒屋で夢を語ってる時も俯いていた気がする。どうも本気になれなかった。彼らが今何をしているかは知らない。だけど、今でも楽しく生きていると思う。彼らの目の奥は輝いていた。ぼくの目とは違った。
ある日、大学が占拠されたかなんかで休講になって、友達と街をふらつくことにした。そしたら、名前を忘れてしまったけど、気のいい奴が、もちろん目は輝いていた。合コンをセッティングしてくれたんだ。そうして行ってみたら、みんな目が輝いていた。途中で抜けて、お手洗いの鏡で自分の顔を覗いてみて悔しくなった。なんで光がないんだとね。
 その光が彼女を彩っていた。ぼくは1度もそんな向日葵の様な笑顔をできた試しがないし、そんな秋波を送ったりもできない。あの時の学友なら彼女を批判するだろう、ブルジョワだってね。だけど彼女の笑顔はなんだろうか、そういうのじゃない気がするんだ。例え背景がなくても同じ笑顔をする気がする。まるで子供の様なんだ。その光をぼくはこの歳になってから直視できるようになった。なんてみじめなんだろう。
彼女だけの光じゃなくて、他の光も見れる様になった。昔の母校が甲子園に出ても、心の底から母校を応援できたんだ。あの頃は一向にできなかった、だってくだらないと嗤っていたから。しかしそれは光を遮るためだったような気がする。
昔のアルバムをめくっても、順繰りの想起ばかりだったのに、彼女を見ていると、あのとき欲しかった煌めいた宝石の思い出がポロポロと溢れてきた。忘れていたと思ったのに。溢れてきた。
そんな石たちはあの頃より鮮烈に美しかった。忘れてたからだろうね、この青さを。あの時を。昭和を。
くだらない年代だって嘆いたあの頃は今のぼくをこんなにも楽しませてくれた。
そんな話を妻にした。孫娘は目を擦って食卓につく。妻はにこにこと笑いながら、いい歳なのにねぇ、と言った。ぼくもおかしくて笑った。うん、そうだいい年なんだ。そうして付け加えてぼくは言った。ぼくは、ぼくのめは輝いているかい?、彼女は多いに笑いながら、そうかもね、と言った。嘘だなと思った。だって輝きに惹かれる人間が輝いてるはずなんてないだろう?いつもそうさ女性にはそうやってあしらわれてきた。だから言ったろ?ぼくも結構大変なんだ。
 明日はケーキを買いに行くことにする。せっかくのゴールデンウィークなのだから。







以上解散!!

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