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シャニマスのアイドルに怪文書を送ろう 3

アローラ!ベゴニアと申します。み〜ん〜なシャニマス!。
 前回に続き、浅倉透に詩を送ろうと思うが、、、その前に自分の中で浅倉透を定義しようと思う。彼女に関する考察や感情の表現なんか大量に溢れているため、そんなことをしても面白くない。さらに彼女の考察や感情に私が怪文書を書くほど惹かれているのか?それは否である。ただ、純然と私の網膜を、脳漿を通った彼女(つまり偏見)に惹かれているのだ。では私の脳内では彼女は何なのか、それを見つけ出していこう。

浅倉透とは私にとってなんなのか
きもちわりぃな、ほんとよ。
でも書いていくぜ。
まぁこう言うのって知性から出てこねぇじゃん。
だからよブレインストーミングしてくわ!わかる?ブレインストーミング?なんかあのきもいやつら(社会人)がたまにやるんだけどよぉ。まぁ端的に言えば言葉の連想だな。赤色を思ってトマトを思い浮かべるっしょ?さらに極端に言えば薬物中毒者って離脱時に洗剤のパッケージ見るだけでフラッシュバックに襲われたりすんのよ(注射針の消毒のため、洗剤を煮た煮沸したりするから)。つまり浅倉透を見つめ直すために連想した言葉を使いたいってわけ!そのブレインストーミングのあと出た単語群をグループ化しますわよ

工程 ブレインストーミング→グループ化→グループに名前を付ける→それを考察


ブレインストーミング

連想ぐらい余裕っしょ。下記に書きだしてくね。

浅倉透 海 風 空 サイダー 青 蒼 巨大 夜の海 仏壇 縁側 星雲 エアコン ビル 爆発 衝動 感情 白蘭 瞬間 現象 個 意識 罪 都会 ざわめき 花 手折られた 旋盤 ジャングルジム 星 星間樹 十字架 死 生 若者 少女 若さ 純粋 ファウスト シトラス ベゴニア スパゲッティ症候群 自殺 夢 安楽死 足跡 砂浜 幸福 大人 子供 境界人 川 生態系 ミジンコ 捕食 食物連鎖 絶滅 適応 破壊 創造 映画 睡眠 無情 透明 テレビ 視聴 独楽 白 ゆらゆら ギター ロック 蝉 夏 蜩 向日葵 死にゆく命 運命 決定論 自由意志 芽吹き 壺 えび 弱者 学校 制服 学生 縛り 自由 社会契約 マルクス ホッブス 交換 人間 性別 少年 帽子 夕暮れ 高架下 バス停 交通網 罪人 ペンギン 南極 遠い 冷えた 感覚 国 友達 サカナクション 情景 さざなみ 静か 独り 浮世離れ 仙人 霞 グレート・ギャツビー フローズン・ダイキリ キリマンジャロの雪 浴槽 湯船 子宮 産湯 一体感 ラバーハンド 離人症 網膜 視覚 デュシャン 

ここらへんにします。まだ深掘りしたら面白いかもしれませんが、ラベリングがダルそうなのでこの程度にしましょう。
出てきた単語をテキストマイニングなどすると、面白いデータがでるかもしれませんが、今回はそうではなく、私の勝手な感性でグループ化しようと思います。
ここで大事なのが、グループ名を定義してからわけるのでなく、なんとなくな言葉の関係性で分けることです。(LLMが自然言語を理解するようになったのは、単語一つ一つに数値をつけて行ったからです、その数値の近さなどをもとにLLMは文章を理解しています。詳細な説明は省きますがこの話で言いたいのは単語には意味以上の情報があると言うことです。タニシと水草と言う言葉には関係性があると思いませんか?これは私たちがタニシと水草に川や水槽や夏などの情景を連想したり、記憶するのに使用しているからです。意味だけを取るならばタニシと水草には生息地域以外の関係性は存在しません。意味以上の関係性が言葉同士には存在するのです。例えば タニシ 水草 血 氷 と言う単語群がある場合、一般的にはタニシと水草を同じグループにするでしょう、しかしタニシの貝殻で体を切ってしまったことある人ならタニシと血に関係性を感じますし、凍りそうな寒さの中、川遊びをした人はタニシと氷に関係性を感じます。このように個人で単語同士の関係性は変わります。私にとっての浅倉透とそれから連想された言葉たち、ここにも他人とは違った関係性が潜んでいるはずです。その違いを観察することこそ己の中での浅倉透を理解するのに繋がることでしょう)せっかく言葉を連想していったのですからグループ分けも感性に仕事をさせましょう。めんどいけどねぇ〜。浅倉透が好きだからじゃダメなの?ダメなのよね。めんどくさいのは俺だよねぇ。多分だけど樋口(円香)もよぉおんなじことしてると思うわ。みてるか?樋口(円香)!?こうやっていくからな!お前もしてみろよ!そして浅倉透を見直すんだな!!ってか正気に戻るとマジでキモイね俺。これもし浅倉透に見られたら大変だわ。ほんとほんとほんとうに見ないでね透
。精神衛生上最悪だからこのnote。つうか検索避けするか…本当だったらね。


グループ化

言葉を紙切れに書き出して、それを分けていきますよ!この紙切れは一枚ではなく一葉と数えるのが正しい気がしますわね!ばーか!

なんとなく4つのグループになったわよ。

グループ1: 少女 遠い 夜の海 感情 自由意志 青 南極 無情 仙人 夏 浮世離れ 霞 ゆらゆら 少年 星雲 サイダー 星 瞬間 夕暮れ 空 現象 砂浜 生 純粋 個 夕日 蜩 ペンギン 風 海 網膜 視覚 情景 さざな 独り 蝉 36単語

グループ2: 産湯 食物連鎖 死にゆく命 向日葵 生態系 ホッブス 透明 適応 浴槽 感覚 花 川 社会契約 子供 弱者 人間 高架下 絶滅 捕食 えび 十字架 独楽 芽吹き 縁側 冷えた 若さ 蒼 静か 28単語

グループ3: 映画 ロック 夢 意識 交換 創造 自由 ミジンコ ギター ジャングルジム 湯船 サカナクション ラバーハンド 一体感 学生 学校 子宮 幸福 手折られた ファウスト 死 マルクス 視聴 境界人 星間樹 衝動 白 デュシャン 仏壇 シトラス 若者 31単語

グループ4: スパゲッティ症候群 決定論 都会 制服 罪 安楽死 旋盤 キリマンジャロの雪 離人症 グレート・ギャツビー 縛り 大人 破壊 爆発 罪人 巨大 ざわめき テレビ 足跡 国 ビル エアコン 白蘭 交通網 睡眠 ベゴニア 運命 壺 バス停 29単語

グループ5: 性別 帽子 フローズン・ダイキリ 3単語

となった。

考察

考察を進めていこう。まずトップダウン方式で始めよう、端的に言うと全体像から分析していき少しずつ細かいところの分析を始めると言うことだ。
 まず目につくのが5つのグループにはなってるが、グループ5に含まれる単語数は少なく。実態はグループ1.2.3.4の三つが大きく占めていると言うことだ。
 また単語全体にある価値観として都市的と反都市的、永続的と瞬間的、終わりと始まりが通奏低音になっている。それもそのはずでこれらの二項対立は彼女のコミュでも描かれているように思う。彼女のGRAD編の見方は各々によって変わるだろうが、私自身はto be or not to be の対立を描いているように思う。生きるべきか死ぬべきかと有名な王子ハムレットのセリフだが、実際の訳は違う、永らうべきか、永らざるべきか、が正しい訳だろう。この言葉はいくつかの意味を持つ。ハムレットは死ぬべきかそれとも生きるべきか、デンマーク王室は続くべきか終わるべきか、などの意味を含めた言葉だ。GRADでは彼女はある問題に立ち向かう。変わるべきか、変わらざるべきか。だが彼女はその問題を跳躍した(アウフーヘーベン)。二項対立で競い合うのは賢くない。to be or not  to beの終着は皆殺しだった、つまりは完膚なきまでの破滅。しかし彼女は自分をうまく規定した。彼女はいつもうまく問題と向き合っている。だから私は惹かれるのだろう。話が横道に逸れたので本筋に戻そう。私の連想した単語群が上記の二項対立的なものになるのは彼女の生き方がそうだからとしか言いようがない。そのため出てきた単語を深掘りしたところで彼女が出てくるだけだろう。ここで重視するべきは4つの対立になっていることだ。そのため各グループ間の差を考察していこう。

各グループ間の差を見るのに役立つ単語は「植物」と「社会」だと思われる。花が意味する単語はグループ1には存在せず、グループ2では向日葵と花、グループ3ではシトラス、グループ4はベゴニアと白蘭。また社会を意味する単語は同じくグループ1には存在せず、グループ2にはホッブズと社会契約、グループ3にはマルクスと交換、グループ4には存在しない。まず花の単語から考察をする。
 花とは自生的なイメージがあるがその自生力は種によって違い、また決して独力で生きるようなものではない。グループ2の向日葵は太陽光が必須でそれを必死に追い食用などの目的で栽培される。グループ3のシトラスは柑橘類を指すこの植物は人の手によって広く栽培される。グループ4のベゴニアと白蘭も同じく人の手によって栽培される。この花たちは人に強く依存している。特にグループ4は人か菌に依存しない限り生きてはいけない。私のユーザー名であるベゴニアは私が最も嫌いな花の名前だ、この花は人工的に温室の中で花弁を咲かし続ける不自然で醜い花だ。蘭は共生している菌を利用して栄養を補給している醜い花だ。話を整理しよう、花に注目してみるとグループ間の違いが見えてきた。グループ1は花が存在しない。グループ2は花が存在する。グループ3は花が存在する。グループ4は花が存在する。しかしグループ2〜4まで全ての花は何かしらに生かされている。グループ1には花が存在しない。つまり生かされていない。

次に社会の単語を考察する。グループ2に含まれたのはホッブズと社会契約であった。グループ3に含まれたのはマルクスと交換であった。しかしグループ1.4には社会に関する言葉がなかった。グループ4では交通網やバス停などの現代社会の必要なものは含まれていたが、それらは社会の本質の拡張された表現型にすぎなく、マルクスやホッブズのような社会の本質に近い単語はなかった。今回は前回の花の考察と違い、グループに含まれる単語も拾っていこうと思う。
まずグループ2だが社会契約、ホッブズという言葉からこのグループの潜在的関連性は見えない力だと考えられる。またそれはグループ3のマルクスと交換から見えるように、両者とも見えない力がテーマだ。しかし両者は力の質が違うように思う。

交換は個人—個人の縛りである(このことに関しては柄谷行人さんの作品を読めばわかりやすいので、それをおすすめする。)。しかし社会契約は社会—個人の縛りだ。個人—個人の縛りは当人で変更できるが、社会—個人の縛りは個人では解決ができない。故にグループ2においては子供、弱者のような無力なモノを表す単語が含まれ、また食物連鎖、川などの流れが一定なものが含まれている。つまりグループ2のテーマは抵抗不可能な力だ。

ではグループ3のテーマは何か、それにはやはりマルクスが関係するだろう。マルクスが言いたかったこと、それは凡人である私が解説するには無学すぎるが、ただ一つ確かなのは力からの解放を願ったと言うことだ。
そう考えるとグループ3にはロック、創造、自由、そしてフロイト的には無意識下の欲望、つまり自由である衝動などが含まれる。これらは何かしらへの反抗への手段またはそれ自体である。しかし抑圧がなければ解放は存在しない。つまりグループ3のテーマは一定の力への解放だと思う。

考察も進んできた。最後の問題だ。グループ1とグループ4の違いはなんなのか。それには自由意志と決定論と言う単語が決め手になるだろう。

自由意志の定義は道徳的責任が付与されると考えられる能力、思考である。
決定論とは人間の思考や行動などは個人が決めるのでなく、生まれる前から決まっていると言うことである。

自由意志と決定論は対立している。我々が罪を問うたら、感じたりするのは我々が自由意志を持っている生命体であるからだ。もし私たちが車で人を殺せば我々は自由意志で運転したのだから、自由意志でよそ見をしたのだから、と罪に問われる。しかし自動運転の車が人を殺した時、それは罪に問われるか?それは否だ。彼らには自由意志がない。しかし我々が自動運転の生命体なら?自由意志が存在しないなら?(ここら辺の議論は自由意志対話と言う作品でまとめられてるため、気になった方はご覧になると良い。一瞥の価値がある良書である。ちなみに私は感情的には自由意志があると思うが、学問的スタンスだと決定論を信じている、つまり自由意志懐疑論者だ。)このように自由意志と決定論は対立している。つまりグループ1と4は対立している単語群と説明できる。単語群を深掘りしてもそうだ。グループ1には自然現象的な個人では不可逆的なものが散見されグループ4には人工現象的な個人では不可逆なものが散見される。

自然と人工、その違いは継続性にある。自然的なものは円環的な時間軸にある。しかし人工的かものは円環的な時間軸には存在しない。円環とはつまりは永遠である。円環ではないとはつまり永遠ではないと言うことである。また植物から得た知見でグループ1は生かされておらず、グループ4は非常に生かされていると言うことがわかっている。そのことはこう結論付けれるだろうグループ1のテーマは永遠の中での自由、グループ4のテーマは永遠ではない中での不自由だ。

これもまたto be or not to beに収束する。続くもの、続かないもの。できるもの、できないもの。そのどちらを彼女に連想するかはグループ内の単語数でわかる。私は彼女にto be を感じている(グループ1は最も単語数が多い)。しかし同時にnot to beを感じている。何故なら彼女たちは透明ではなくなっている。少しずつ社会の中で自身を規定し、収まっている。色がついている。だが、彼女に私はグループ3の一定の力からの解放を信じている(単語数が2番目に多いため)。そうして最も彼女から遠いのが抵抗不可能な力への従属だと私は想っている(グループ5を除けばもっとも単語数が少ないため)。

話をまとめよう。私は浅倉透に永遠と自由を観ている。しかし同時に彼女が都市に捕まり、不自由となっていると感じている(浅倉透学会の先人たちが投獄や刑期と言う見方をしているのから、浅倉透に灼かれた人間は同じビジョンが見えている、よくわからん怪しい権力者とか出てくるしよ、誰だよあれきーもーなんだすが。)。だがそれでも私はその不自由な力から解放されると信じている。しかし同じく、その力に従属するのではと危惧している。

と結論づけた。しかし長い道程の割には余りにもあっけない、轍だらけの道についた。しかしその道も価値があることだろう。少なくとも私は自らの足でここまで来た。浅倉透と私の関係性が見えたのだ。これを元に、、、、怪文書を書きま〜す。


詩を送っちゃうぞのコーナー〜

さまよえる

目が覚めるときみがいた
友だちは水平線に
話してもわからないだろうけど
ぼくたちは積荷だったんだ。

濡れた砂を吐き出した
母たちは水平線に
話してもわからないだろうけど
ぼくたちはみじめだったんだ。

海岸に太陽が集まっている
くるくると回っていたい
大人たちが来るまでは

初雪が降り始める
きみに教えてあげたい
大人たちが来るまでは

日々

静かにしてよ、ほら、やってくるじゃないか
暗い顔の人たちが、見えない血を吐いてさ
ついにはこの街は沈んでしまったのさ
摩天楼より大きなさ、一つ目が睨んでいる

静かにしてよ、ほら、来ているじゃないか
整合化された合理にさ、飲み込まれてさ
ついにはみんないなくなっちゃったのさ
白痴のきみとぼくだけがさ、通りに立っている

静かにしてよ、ほら、終わっちゃうじゃないか
悲しくてしかたないからさ、弾いちゃったのさ
ついにはあの音を譜に入れちゃったのさ
石油のシンバルでさ、音を刻んでいる。


ん〜以上解散!!









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