英才教育に大金をかける価値はない
頭の良さは十一歳ぐらいから徐々に遺伝子の影響が濃くなってゆく。だから、教育環境さえ良ければ努力次第で頭は良くなるけど、それも十一歳までの話になる。それゆえ、「十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人」と昔から言われている。
さらに言えば、四十歳ぐらいになると遺伝子の発現率が80%にもなる。つまり、いくらお金をかけて英才教育を施したとしても、その効果は十一歳を境に徐々に失われてゆき、「さぁ人生はこれからだ」という働き盛り、出世盛りの年代になると、遺伝子が原初の力を発揮し出して、ただの凡人になってしまう。
時代の変化に対応できる人は13%に過ぎないという説もある。その説に従えば、87%の人は凡人であるということになる。だから、一流企業といえどもその中年社員のほとんどは、ほぼ「元才子、才媛、今凡人」という、「四十すぎたらただの人」になっているかもしれない。
四十すぎて、経験値における優劣はあるにしても「誰それは優秀だとかそうでないとか」などの頭脳を比較することには意味が見いだせない。だから、子供の教育に過大なお金をかけることは正しいとは思われない。
幼少時に受けた知能検査で、知能指数が148以上あることを知り、頭が良いのなら宿題などは単なる機会損失に過ぎないと、以後の勉学を放棄した人がいた。
実話である。しかし、知能指数の割には学業の成果はあがらず、大学受験はことごとく失敗した。「知能の使い方」と「頭脳の使い方」は必ずしも一致しないので、勉強ができなくても悲観することはない。アインシュタインもこのタイプだった。好きな数学では抜群の才能を示したが、それ以外の学問はさっぱりだった
そもそも、頭脳はパワーを生み出さない。だから、頭脳明晰な人と一緒にしても元気にはなれない。そろそろ、頭脳の効用と限界を理解した方がいい。
人間は二つの脳を持っている。それが頭脳と原初の脳(第二の脳と呼ばれているが)である腸である。
腸は脳からの指令で動くだけではなく、自ら判断し、行動する臓器であることが明らかになってきている。
脳としての腸を正しく理解するために、次のように考えておこう。腸は木ではなく森を見る機能を持っている。つまり、大局的な理解力は頭脳より優れている。腸は、分析力は弱いけれど直観力が優れている。
頭脳偏重は色々な意味で正しくない。
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