はじめて雀荘に行った日


沖縄旅行に行った際、友達が『あそび大全』を持ってきていた。みんながお風呂やらスマホやら自由な時間を過ごしている時、1人でも出来るっぽかったので麻雀のアイコンを押した。

前々から麻雀には興味があった。本当は大学生から始めたかった。でも機会がなかった。普通に大学生活を過ごしていたら、時間を持て余し、時間を持て余す友達もいて、自然に麻雀をやるムーブメントが起きると思う。ただ私は違った。
大学を卒業するとき、サークルの友達といったカラオケで初めてコールを知るぐらいの大学生活だった。何かに没頭しているわけでもなかったのに、なぜか麻雀を知る隙間が私にはなかった。だから麻雀は私にとって大学生の嗜みであり、自由な男の象徴のような変な憧れがあった。

ゲームを始めると、一見規則性がなさそうな四角いものが手元に並ぶ。何か役を作るらしいのだが何をすればこの子たちが役になるのか分からない。とりあえず同じ模様の子を揃えて後は適当に切っていたら、お風呂から出てきた友達が

「迷ったら字の書いてある牌か1.9の牌を切った方が良いよ」

とアドバイスをくれた。そこから私は麻雀の沼に足をメリメリと踏み込んでいった。

ええと、ここからは麻雀への恋文になります。

麻雀は運と技術のバランスがとてもちょうど良い。どんなに手牌の切り方が上手くても欲しい牌が来ないと上がれない。そして麻雀は役を揃える攻めのゲームのように見えて、相手にいかに上がらせないかという守りのゲームである。自分がどんなに高い役に近づいても、相手に上がられたら0点。なんなら自分が切った牌で上がられたらポイントを根こそぎ持っていかれてしまうのだ。なんてゲーム、、!

そして何より、私の麻雀の師である友達に感謝したい。教え方がとにかく上手い。私は人に教えるとき、まず全体像を教えたくなってしまう。何を揃えるゲームなのか、そのために何をすべきなのか、役はどんなものがあるのか、など。
でもその友達は違った。とりあえずやってみ、と無知の私を雀卓に放り込み、打ってる中で「そこでは鳴かない方が良い」とか、「その切り方は上手いね、なぜなら、」と言った具合で、都度その場にあったアドバイスをしてくれる。何事もインプットとアウトプットが大事だと言うが、この友達の教え方はまさにインプットとアウトプットを同時にできる最強の伝授方法だと今振り返って思う。

沖縄旅行を終えてからも友達から教えてもらったオンライン麻雀ゲームをダウンロードして続けていた。役も覚え、切り方も自分の中で軸が出来始めた頃、高校の友達4人と雀荘に行くことになった。

初めて会う牌は想像より少し大きかった。生で見ると大きいんですね〜と芸能人を初めて見る素人のような感想を持った。そしてぴかぴかに磨かれていて可愛かった。愛されているなと思った。
雀卓は最新モデルらしくボタンを押すと手牌と取っていく牌が下からにょきっと出てくる。後は並べ替えるだけ。急いで並べようとするがまず手牌を一気に返すのも難しい。力を入れすぎてばちん!と大きな音を鳴らしてみんなに手牌をぶちまけてしまう。
牌を持つ手もぎこちない。『ヒカルの碁』一巻のヒカルの石の持ち方と頭の中でリンクした。

でも何周もしていく内に、手牌が手に吸い付いてくる感覚があった。これが反復練習の賜物か、と思った。そうなると心なしかリーチできる機会も増えてきたように思う。13-19時で予約していた雀荘も気づいたら終わりの時間に近づいていた。

大学時代から憧れを抱いていた麻雀。また絶対に来たいと思った。そんな中、私の師は打ちながら、

「麻雀のコツは欲を出さないことだからね〜」

と呟いた。
私はまた絶対来たいと欲を出さずに、そうだね〜と返事をした。

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