はじめて27になる

5月で27歳になった。

仲良くしてくれている人たちがおめでとうとLINEを送ってくれる。ありがたい。ただ「ありがとう〜」と返事はするものの、それは自分とは違う人が27歳になり、代わりに自分がお礼のコメントを返している気分だった。なんでなんだろうと答えが出ないままつらつらと書いている。

思い返すと25歳ごろまでは年齢と同時に環境も自動的に変わってくれていた。学生時代は学年が変わる。学年が変わるということは、主導権を握り、後輩が増えるということ。自分たちの代になったらこんなことをするぞ!と息巻いて、後輩にしなくてもいいアドバイスをする。多分年を取ること自体が楽しかったんだと思う。年を取る、ただその事実がそのまま自分への自信になっていて、その頃の誕生日は間違いなく「前へ進む」ことを意味していた。

社会人になりたての頃は年を取ること以前に環境に慣れるまでに時間がかかった。
3年目ぐらいまでは本当に一瞬で過ぎて行った。ちゃんと息をしていただろうか。ちゃんと畏まったメールも打てるようになり、自分より何個も上の人と電話するようになり、ときにはそんな人よりも立場上偉くなったりもする。今までの摂理ではありえない現象が「社会」という中では往々にしてある。目の前の一週間が常にラスボスだった。この一週間が終われば、この一週間が終われば、と体力を削りつづける時間が雑に積み上がっていく。その毎日がまだ日常になりきっていなくて誕生日という前からの非日常な日が薄れていた。

そして26歳。社会人歴でいうと4年目のとき。
とても静かに26歳になった。特にどこか旅行へ行ったりする予定も無かったことも関係してると思うが、ただ26歳になった感覚があった。少なくとも今までの年を取る感覚とは違う雰囲気を帯びていた。

私は25歳から26歳になった。それで何か変わったのだろうか。
仕事は慣れたというより、こういうもんなのかと認知する感覚に近い。特段仕事ができるようになったわけではない。トラブルには慌てるしいろんな人に今でも助けてもらっている。ただ後輩が3世代できるともうオチオチわかんないです〜〜とも言ってられなくなる。自分で判断しなければいけないこと。変に傷つけないように長ったらしい説教になりきれなかったキメラのような文章を後輩に送ること。すべてが「仕事」という枠で括られて一日を消費していく。まあそれはそれで楽しいんだけど。

そこから今年またひとつ年を取った。

27歳。

個人的には「やるなら今」な年だと思う。
人生にはたくさんの分岐点がある。一日の気分を変える些細なものから、人生を大きく変えるものまで。朝デニムを履こうかスラックスを履こうか。帰りは電車で帰ろうかちょっと歩いて帰ろうかとか。これは一日の気分を変えるもの。多分分岐点と言ってもどっちを選んでも正解ではあると思う。ただ自分が「良い」と思う方をこれからも選んでいきたい。

人生を大きく変える分岐点はそうそうない。これまでの分岐点といえば、高校でサッカーをやめたこととか、就活で今働いている業界を受けたこととかだろうか。この選択は今でもよかったなと思ってる。サッカーをやめてなかったら今でも気軽に話せる友達には出会えなかったし、尊敬できる人がたくさんいる会社に入ることもできた。自分の分岐点の先にはいつも良い人がいてくれてたんだな〜

そんなことをふんわり思ってたからか26歳から27歳は、意識的に分岐点を作ろうとちょっと頑張った。

まず短歌の新人賞に応募した。社会人になってから短歌が好きになった。今までその好きを表明する方法は、鑑賞することしかできていなかったけど自分も作り出す側に行ってみたいと思ったから。上手く書けてるかどうかなんて全くわからないけど、「自分は好き」と思う30首をまとめて、紙にして、締め切り当日郵便局に駆け込んだ。結果は出ていないけど、出した後ずっと封筒を持っていた手が自由になったあの感覚。嬉しいともホッとするともいえない、でも自分が高揚してるあの感覚が忘れられない。

ボクシングも始めた。自分に足りないのは筋肉と闘争心だと思ったから。
どんなことを言われても、まあ俺の方が強いしなと思えると自信も出てきそうだし。

他にもやりたいことはたくさんあるし、できなかったこともたくさんある。だから27歳は胸を張ってあの選択しておいて正解だったなと思えることをしたいと思いながら、今日も出前を取ってしまっている人の弱さ。






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