アトピーとわたし

おせっかい健康オタク的アトピーの考え方

何か久々にアトピーのことについて
語りたくなってきちゃいました。

私のアトピーについて
ちょろっとご紹介。

生後4ヶ月よりアトピー発症(当然、母からの情報)
幼稚園の頃には肘や膝に包帯を巻いて登園。
幼稚園の先生より可哀想だね、痒い?などの問いかけにより、アトピーってことが可哀想な事だと知る(親が過剰にアトピーに対して反応しない方がいいという私の持論はここから)
大きくなるとアトピーは治ると言われていた時代、全く良くなっていかない娘を持つ母の元に、民間療法も含め色々な治療方法が集まってきて、それらを期待して試して、ガッカリすることを繰り返す。
痒いことを特にツライと感じることがないまま成長し(小さい頃から当たり前のことだった)
小学校4年生頃から治りたいという気持ちが芽生え始める。
全く良くなっていかない私に、皮膚科の医者が母に対して怒鳴り散らすことも嫌だった。確かに母は内服薬には疑問をもって、外用薬しか使っていなかったので、ある意味叱られても仕方ないけど...😅
あんなに叱られていたのに内服させなかった母をすごい人だと思う。
そして、そんな医者に行くことに嫌だなっていう思いが出始めた頃に冷えとり健康法に出会う。
初めての足湯で、頭から湯気が出て
額のアトピーからボタボタと体液が出る。
それは排毒の症状だと教えられる。まずは毒を出していかなければいけないから、つらい状態になるけれど、冷えとり健康法をやってみるかと、選択を委ねられる。
治療に関して初めての選択だった。自分の身体に起こっていることを説明されて、今自分がアトピーである理由が分かった気がして
冷えとり健康法を選ぶ。
数年は薬を辞めたことによる反動で、全身血まみれ、汁まみれの状態を過ごす。
朝はベッタリくっついた皮膚と服を剥がすことから始まり憂鬱だった。朝日が嫌いだった。
街中を歩くと、バケモノだと言われるのがツラかった。
それでも学校を休まず行っていたのは自分でもすごいと思う。
中学に上がって、制服の上にフケのように落ちる皮膚のカスが嫌だった。
高校入った頃には、アトピーと見て分かる顔をしていたけど、痒くて痛くてツライのがなくなっただけ、楽だった。
短大に入った頃には化粧もできる顔になっていた(もちろん、化粧品は選んでいるけど)

大学編入〜就職後再度アトピーに悩まされ始める。家にいるのが嫌で帰らず、食生活は乱れがちだった。精神的にも病んでいて、心療内科に通ってみたり、カウンセリング受けてみたり、
生きにくさを1番感じている頃だった。
大学の卒業旅行でタイに行く。その旅行で一時的にアトピーなくなる。
28歳頃からおしりに酷くアトピーが出るようになる。下半身にもよく出ていた。
服の中のことばかりで、よかったと思っていた。
30歳で結婚しておしりのアトピーが座れないほど酷くなる。痛みもそうだし、汁が出て
服が汚れ、座った所も汚すので
座ることが嫌だった。
旦那に紹介された鍼に2年通って、ほとんどなくなった。ずっと悩まされていた首から背中にかけての凝りもなくなる(頭痛がするほどひどかった)
39歳、子どもを特別養子縁組で迎える。鍼治療は子育ての為に行けなくなる。
長男生後4ヶ月でアトピー発症。
息子の為に、アトピーに対して真剣に考え始める。
腸と冷えを大切に考える、西原式育児を実践する。自分も同じように実践開始する。
小麦と砂糖をやめる。
消化のことを考える。
排泄のことを考える。
自分や息子の身体の状態のことを知りたくて、中医学を学び始める。
次男を迎える。
冬だけだった手荒れが夏にも出る。
感情と病気には関係があることを、薄々知り始める。
こころとおうちの片付け塾で、自分の中にあった生きていることに対する罪悪感を見つめることになる。
アトピーがなくなる。完全にゼロの状態は初めてだった。
こころと身体の関係に興味を持ち、学んでゆく。
冬は1箇所だけアトピーが出る。
場所(経絡)からすると、恐怖やそれに付随する感情が関係しているをことが分かる。
実感として全く恐怖はなく、
精神構造分析を学ぶ為の講座を今、受けている。まだ恐怖には辿り着けていない。

ざっと箇条書きでアトピー経歴上げてみました✨
意外と苦労してて、自分でもビックリ‼️
20歳くらいまでは、親族からは私ほどアトピーの酷い人は見た事がなかった、でも今はすごくキレイになったと、よく言われました。
最近では症例として自分よりヒドイかもなって人を写真で見ることがチラホラ出る様になりました。時代だなって思いました。
アトピーってカモだから、健康系の商品紹介はたまぁに受けて症状の写真集見せてもらいました。
数ヶ月で良くなったって聞くけれども、
経験や知識から、少量ならともかく、数年単位でしっかりステロイド使ってて数ヶ月で治るのはちょっと疑問。
ステロイドって内臓にもダメージ与えるので、それを正常化するだけでも、時間はかかると思う。

アトピーは本当に色んな要因がありすぎるので、
これが良かったってものも、自分にとって良いかは分からないのよね。
実際友達もアトピーの泊まり込みのやつ行ってたみたいだけど、
ツライだけだったって...。
生活も考え方もガラッと変える必要があるから、その理由を理解しないで始めると
ツライしかないよね😢
変化って、場合によっては苦痛だから。

ただ、1つ言えるのは
これはアトピーだけじゃないけど
潜在意識ではアトピーでいることを願っているということ。
意味不明だし、腹立つと思うけど、
今の症状は身体と潜在意識の願い、なんだよね。
本当にツライ時代もあって、軽減した時代もあったから
今ならハッキリそう思う。
今の心持ち、生活、状態、環境
何かを嫌がって、アトピーで必死にお知らせしてきてる。

私は常に自殺を考えるくらいにはメンタル弱い人だった。
生きてることがツラかった。
いつも死ぬ事ができない自分を罵ってた。
大人になってからアトピーが出てくる時は、いつも
生活や考え方を変えた方がいい時だった。
そしてその状況から抜け出せた時、軽減してた。
それでもいつまで経っても、根本の考え方はなかなか変わらなかった。
死にたいって気持ち。でも本当は死にたくないって生にしがみついていた。死にたいって考えが消えるのをいつも願いながら生きていた。

息子が来てくれて、
死にたくない、じゃなくて
生きていたい
に変わった。

子育てを境にアトピーが悪化する人だっている中、軽減していったのは
この気持ちの変化が大きいと思う。
睡眠時間も、ある部分でのストレスも増えたはずだけど、
いつも生きていることに感謝していた。
あの時死ななくて、本当によかったと何度も思った。
そして次男を迎えた時、怖かった。親権がないまま予〇接種をうけないで育てることが怖かった。
いつも自然と子どもを手放す覚悟をしてしまっていた。それは本当に心に負担だったんだと思う。
やっぱりちょっと、アトピーという名の手荒れも酷くなるよね😅
イライラもひどかった。
そして、そのイライラもやっと落ち着いた〜😆✨

子どもを迎えたことで、
やっと生きていくっていう自分に対する重大な責任から逃げることをやめたって
感じでした。
今までは、生まれちゃったから、仕方なく生きていくしかない、みたいな逃げの姿勢で生きてた。
産んだ母のせいにしたり、私を存在させる世界のせいにしたり。
それくらい壮大な言い訳をしないといけないくらいには、生きてることに罪悪感を抱いていた。
幼少の頃より、人間が公害とか思ってたしね🤣
人間がいなければ、地球は平和だったと思ってたの。全てを壊して、昔の生活に戻れば、木が喜ぶっていう考え方を、小学校入る前からしてた。そういうのが罪悪感のベースにあるのかも。

アトピーは罪悪感をベースにしていることが多い。
大腸や肺、肝、腎が弱い人が多い。それらを痛めつける感情やキーワードは
悲しみ、怒り、恐怖、境界線、防衛、罪悪感などなど。
または、内臓の弱さから、それらの感情に悩まされやすい。
どっちが先か、後かは関係ない。感情と臓器の弱さが痛めつけ合ってるのが病気の状態。

だから、今の症状を軽減や治したい気持ちがあるのなら
まずは自分を大切にすることが大切。
自分が本当は何を望んでいて、どうやって生きていきたいのか。
それを探るために講座を受けています。

本当の自分に戻れた時、
私のアトピーと、
長男のアトピーは
きっと治っていることでしょう。

私は
アトピーと向き合うきっかけをくれた
長男にとっても感謝しています。
私の為に来てくれたような長男だから、
もう、私の為じゃなくて
自分の為に生きてほしい。
子どもの病気は親が変わると変化してくるそうです。
息子のアトピーは身体を張って、私に伝えることがあったから...のように感じています。

私は
今まで押さえ込んできた
生きてるって嬉しい。
そんな気持ちを大切にしていきたいなって思います😊

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