見出し画像

続 文化部の男がマンダロリアンになったワケ

ここからは多くの人が知っていて知らない時間のお話。

Twitterで喰らった衝撃をどうにかしたい気持ちはあったもののプラモやら元の趣味ではどうも解消されなかった。

衝撃というより衝動。

コスプレとやらを、作るしかない。と思った。

初めて作るぞ・フェット

幸い、母親が裁縫を得意としていた。
基本なんでも作っちゃう人だったのでダメ元でチョッキの話やらコスプレの話をしたら段々向こうもやる気になっていた。

さて、問題はアーマー。こりゃ一体何で出来てるのか。ちょっと調べた感じ、サンペルカ?コスボード?なんか色々ある。Gボンド?
とにかく知らない言葉ばかりだったが、偉大なるGoogle先生のおかげでなんとかものを揃えることが出来た。
塗装もプラモでなんとなくやっていた(とはいってもガンダムマーカーエアブラシシステムなので微妙な所)ので雰囲気は分かった。

分からないことも多い中Twitterで励まされながら、なんとか全身完成させた。


チームへの憧れと悩み

コスプレを完成させた頃、自分はチームでの活動に憧れがあった。
だが、元からあるチームに自分のクオリティで参加させていただけるなんてイメージは到底出来ず悩んだ。とにかく悩んだ。
そもそも初めてのコスプレでイベントへの参加もしたことないのにだ。

後に大谷翔平選手が「憧れるのを辞めましょう」といって侍ジャパンを鼓舞する名場面が生まれるが、まさにその通りだと思う。

私は憧れるのをやめた。
うそ、さすがにうそ。
憧れはあったが自分でもやれるんじゃないかと考えた。

そこで自分が立ち上げたのが、

マンダロリアン・ヤングリングス だった。

とにかく敷居を下げたい。
きっと自分みたいに憧れはあっても自信がなくて、知識がなくて、踏み切れない学生が多いだろうと思い立ち上げた。

世はコロナ禍。

繋がりはSNS。

ある意味、制約の中で生まれたチームだがほんの少し時間に余裕のある中で繋がった日本中の同志を奮い立たせる起爆剤になればいいなと思っていた。

それからしばらくして1件のDMが届いた。

天空覇者からの誘い(いざない)

やばい。
あのマンダロリアンだ。

高校生の時に衝撃を受けた、あの、白と金の、マンダロリアンからDMが来た。
内容は天空覇者主催のファンイベントのプレイベントでのコスプレ参加だった。

きたぞきたぞきたぞきたぞ
人に見せるチャンス!!!!!!!!


さすがにワクワクした。Twitterでは以前からやり取りがあったが少し緊張した。
これが天空覇者とのファーストコンタクトだったと思う。

イベントで 肩アーマー付けて〜 と頼まれ、あの日あの時衝撃を受けたあのアーマーを自らの手でガシッと付けたあの瞬間から私も同じ世界の一員になれたような気がした。

オリジナルアーマーとイベント

それから何度かイベントには出たが、チームの長になった以上オリジナルデザインのマンダロリアンへの憧れがあった。

ボバをやった時ヘルメットは既製品をそのまま使っていたので困らなかったしガントレットも100均の物で既にある"正解"に近づけていく作業だったのでまだなんとかなった。

しかし、オリジナルはそうはいかない。
本当の正解は自分の脳内にしかない。

私は授業中にデザインを考えながら天空覇者のInstagramを見漁った。
何年も前までさかのぼってなんとかヒントを得ようとした。

落書きから立体になるまで

なんとか6月に行われたファンイベント「アンリーシュド EP1」に間に合わせ、ヤングリングスのみんなとも集まることが出来た。
既存キャラからオリジナルデザインのアーマーまで、ほぼ学生で並び立つ写真はいまでも宝物。

まさに自分の憧れた、あの姿に近づけたようで心から嬉しい。

マンダロリアン・ヤングリングス初出撃の記録


それからの私と、これから。

このイベント以降、怒涛だった。

年末の東京コミコン2022ではステージに2度登壇、チームの名を背負って舞台に上がった。

ずっと視聴者側で楽しんでいたリアルタイム配信イベント、「スターウォーズ同時上映会」ではMCの1人をやらせて頂きついに運営側になっていた。
その後行われたファンイベント「アンリーシュドEP2」でもMCの1人を続投、同イベントではチームでブース出展をさせていただき沢山の方にアーマーを着ての活動を知っていただけたと思う。

もちろん、イベント前準備は想像していた何億倍も大変で大学の講義中にもノートPCとにらめっこしていた。当日も楽しいと大変が交互にくるような感じではあったが、元々吹奏楽部でイベントごとにはある程度慣れてはいたのが救いになった。チームのノベルティの入稿やデザインは大学に行くまでのバス車内でやっていた。

それでも、楽しかった。

チームのみんなが、関わってくださる方が、笑顔で楽しんでいる姿を見れるその瞬間は何にも変えられないモノだった。

これからもそういう感情論のようなものは大事にしていきたい。

衝撃、衝動、トキメキ、感動etc...

自分が10代の時に受けたそれらを、感じる側から感じさせる側になる時が来たのではないかと思う。
これはチームのみんなにも同じく。

東京コミコン2022のステージの後、メンバーの一人から、

「こうやってステージ立ってパフォーマンスするのが夢だったの!だから夢叶った!!」

と言われた。嬉しかった。
とにかく嬉しかった。

これからも1人でも多くの人に夢を与えたいし、夢を叶える手助けやキッカケになりたいと心から思う。

"夢だけど夢じゃなかった"

そう思えることの喜びを多くの人に感じて欲しい。

おむすび

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?