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私が大腸なきへっぽこ鉄道マンになった話

1.はじめに

皆さん、潰瘍性大腸炎という病気をご存知でしょうか?
私は今でもパッと漢字を書くことができませんが(笑)、この病気とうまくお付き合いしているのかなって思います。
↓私の摘出した手術跡

最近の手術はもう少し跡が小さくなるのかなぁ


このノートを見る方はもしかしたら身内やパートナー、家族がこの病気と闘っているから参考にしたいって思っている方が多いかもしれません。もしかしたらどんな病気か知りたいって見ている方もいるかもしれません。

そんな方々に私の経験談ではありますが、赤裸々にお話したいと思います。拙い文章や汚い表現があるかもしれませんが、どうぞお許しください。
このノートを見て、現在闘病されている方々や潰瘍性大腸炎を知ろうとしている方々に何か感じてもらえるものがあればと思います。

2.自己紹介
大腸を全摘してからかれこれ5年経ちます。
潰瘍性大腸炎になったのは17歳の時なので、今年の誕生日で10周年記念日です👏笑
現在は某鉄道会社で働いています。鉄道会社と聞くと運転士や駅員のイメージが強いかもしれません。しかし、私は本社で延伸担当の設計をしてます。

いつでもトイレに行けるぜ!

こんな感じで全然鉄道マンらしくないですよね笑
現在の鉄道会社には技術系総合職で入社しましたので、現場を経験した後にデスクワークの設計のお仕事をしています。

現場研修も一年ほど行っていましたが、その時はモー大変でした笑

好きな時にトイレ行けねー💦

トイレに行きたい時に行けないんですよね笑
夜間作業時は飲み物を飲まずに作業を行ってました笑(なんなら漏らしながらやってました、、、)
トラブルなんて起きた時にはもう(ToT)
線路で野糞しようかなと何度も思いました(万バズ確定ですね笑)
現在は異動の運もあり、デスクワークのお仕事である為、好きな時にトイレに行けるので非常に助かってます。次に私が潰瘍性大腸炎になるまでについてお話したいと思います

3.潰瘍性大腸炎になるまでについて

幼少期は父とキャッチボールするのが週末の楽しみであり、徐々に野球にのめり込みました。

小学生時代は地元の野球チームに所属して、エースで4番。地元ではちょっとした有名な投手になりました。

中学生時代は野球部に所属し、引き続きエースとしてチームを牽引。球速はMAX127kmまでに成長し、高校での活躍を誰しも疑いませんでした。(ちなみに、中学生時代は女の子と目を合わせて話が出来ませんでした笑)

高校時代はもちろん野球部に入部しました。
が、
ここで人生初めての挫折を味わいます。
中学時代から高校時代にかけて、身体を絞る肉体改造の結果、球速が110km台まで低迷。打球を遠くに飛ばす力も失い、どん底を味わいます。加えて、野球部監督の方針も折り合わず、結局3ヶ月で野球部を泣く泣く退部。その後は顧問から直接誘われたバレーボール部に所属しました。
中学まで第一線で活躍したメンタルはボロボロ。バレーボールのセンスもあまりなく、高校時代はとてつもなく面白くないものとなりストレスが溜まる一方でした。

野球なんてやるんじゃなかった、、、


異変が起きたのは高校1年の冬ごろ、やたら腹痛が起きるんですよね笑
バレーボール部の練習中に10回はトイレ行ったかなってくらい笑
血便はありませんでしたが、明らかに体調が良くなかったです。しかし、騙し騙し高校生活を過ごしていました

高校2年の夏に辛抱ならずで地元の内科に行きました。採血をして、結果を見ると炎症数値が高くなっていました。症状も併せて大きい病院へ行くよう勧められて、仰せのままに市民病院へ。
大腸内視鏡検査を人生で初めて行い、結果はクローン病。僕の頭の中は❓でいっぱいでした。何がクローンするんだ?と
「クローン病」・・・小腸や大腸等に炎症を起こす
大腸のみならずというところですね。潰瘍性大腸炎と似たような症状のため、このような診断を受けました。
とりあえず医師からペンタサ錠や胃薬、ビオフェルミンを処方してもらいました。

それから処方された薬を飲み続けていると、通常の便通となり、一件落着と思われましたが、、、
部活で行った打ち上げ(焼肉食べ放題)を行った翌日に血便が止まらない状態に😱
30分くらいでトイレに行くの繰り返しでした。当時母がパートに出かけていたので、帰ってくるまで20回はトイレに行ったと思います。

再度市民病院へ行き、大腸内視鏡検査を行って出た結果が「潰瘍性大腸炎」と診断されました。
「潰瘍性大腸炎」↓
腹痛を突如引き起こし、血便や下血を繰り返す。寛解時期※と炎症時期を繰り返すことが多い。
※寛解時期とは↓
下血や血便の症状がなく、症状が消失している時期

安倍元総理大臣や若槻千夏さん、オリックスの安達了一選手も同じ難病と闘ってます。
難病と言われた瞬間、高校を休めるのかなと思い、少し嬉しかったものの、一生付き合うものと思うとなかなか悲しかったです。

4.潰瘍性大腸炎発症〜高校卒業まで

そこから服用薬として、ステロイド30mgが追加されました。副作用がデパートのように色々あると聞かされ、最初は怖かったものの頼らざるを得ない状況でした。
※ステロイドとは?
潰瘍性大腸炎の治療に使用する薬の一つ。免疫力低下、太りやすい、骨が脆くなりやすい、顔がパンパンに膨れる等、さまざまな副作用が言われている。急に服用を中止するのはまずいので、徐々に量を減らしていくことが多い。(例:30mg→25mg→20mg→15mg・・・と徐々に減らしていくことを推奨される。)

幸いステロイドが効いて、寛解時期が2ヶ月ほどあったものの、ステロイドを飲まなくなるとまた再燃してステロイド30mgを再度飲み始めました。その時に合わせてイムラン※を75mg(1錠半)を服用するように言われました。
※イムランとは↓
潰瘍性大腸炎の症状を抑える飲用薬として使用されることがある。副作用として、吐き気や脱毛・免疫低下等が挙げられる。

イムランをステロイドと合わせて引用したことで、ステロイドを徐々に減らしても再燃することなく日常生活に戻ることができました。

高校3年生になり、大学受験も迫ってきました。
理系ということもあり、国立大学の工学部を狙っていました。
幸いにも受験期間は再燃することなく、センター試験を迎えることができ、志望大学ではなかったものの地方国立大学に入学することが出来ました!

野球部を辞めたという負い目をずっと拭えず、最後まで自分に自信を持てずにいました。そういうこともあり、同じ高校出身の方があまりいない地方国立大学を選んだのかもしれません。

5.大学入学〜大腸全摘まで

無事に某地方国立大学に合格したわけですが、苦い高校時代の思い出を置いていったのに、潰瘍性大腸炎は一生ついてきます笑

大学一回生の頃は部活にも入り、活発に過ごしていて、寛解時期も続いていましたが、大学二回生の夏に再燃してしまいました。その後も寛解と再燃の繰り返しで、部活を続けるのもやっとのことでした。

再燃するたびに色々な治療法を試しました。アサコール※aや血液浄化治療法※b等を行ってみましたが、やはり効くのはいつもステロイド。
※a アサコール↓
ペンタサ錠と同じ成分。まとっているコーティングが大腸まで持つため、大腸に到達してから成分を放出する様に出来ている。安倍元総理はアサコールで寛解を維持していたそう。
※b 血液浄化治療法↓
炎症発生の原因となっている血液成分を除去または機能を変える。結構針が太いため、痛くて怖い笑

そんなステロイドも悪くなるたびに使用し続けたため、目安である計10000mgが近づきます。諸説ありますが、総服用量が10000mgを超えると重篤な副作用が生じることを聞いていたため、この機会に他の治療法に切り替えるor大腸全摘の判断が迫られます。
加えて、私にも就職活動が迫ってきます。何としてでも鉄道会社に入社したいと思っていた私は再燃と寛解の繰り返しでは就職活動に専念できないと思い、大腸全摘の決断をしました。

 2016年12月、大腸全摘を希望する旨を伝えて、偶然にも予約が空いていたため、年内に手術を行えることが決定。あまり心の準備も出来ずに入院andオペ当日。
 今までありがとう俺の大腸、無理かけたな、ごめんなという思いが込み上げたのかオペ室へ向かう間に自然と涙が🥲
 オペ看護師さんに肩を抱えられ、ようやく手術台に到着。徐々に寒くなる室内で麻酔がよく効いたのか、目が覚めると部屋にいました。

 体の2か所(人工肛門部と尿道)に管が通っていて、初めて見る自分の体でした。寝返りも打てずに、手術当日の夜は痛くて眠れませんでした。(何度もナースコールを呼んで痛み止めを入れてもらいました)
 次の日から立って歩きましょうと言われ、マジかよと思いましたが、補助アリでなんとか歩けるようになりました。その日の夜(手術から48時間後)には尿道や人工肛門の管が取れ、だいぶ身軽になったのを覚えてます。
 手術後3日目から人工肛門にストマをつける教育を受けます。最初は看護師さんにやってもらうのですが、これをつけれるようにならないと退院できないので必死に習っていたのを覚えています。
 その後の経過は順調で、入院〜手術〜退院まで約二週間でした!元旦は実家で過ごしていました笑

6.大腸全摘〜某鉄道会社入社まで

 2回目の手術である2017年3月まで人工肛門(ストマ)生活を行っていました。3日に1回人工肛門の出口につけるストマ(袋みたいなやつ)を交換しなくちゃいけないので交換作業に時間を要しました。人工肛門も可愛いもので、私はトトちゃんと名付けました!(勝手にうねうね動くので結構可愛いものです笑)
 2回目の手術は1回目より大掛かりのものではなく、手術が終わるとようやく便が通常のところから出る喜びに浸っていました笑

これが健全な人の大腸ですが、
↑は胃に、↓は肛門につながるイメージです。

 喜びも束の間、就職活動が待ち構えていました。私の志望している鉄道会社はコロナ前の当時、かなりの人気があり倍率も高いものでした。(今はコロナ前ほど人気ではありません。)
 JRや関西の私鉄を片っ端から受けて、なんとか縁があり今の会社に入社することができました。
 この就職活動で必ず聞かれたことは「既往病などはありますか?」でした。あると答えると微妙な空気になりかねない(やはり差別ではないですが、難病持ちと言うのはハンデになります。)ので、「今までありません!」と大きな声で嘘をついていました笑
 例え、トイレに行く回数が多くても、「お腹緩くってー」で逃げようと思っていました。(こんな甘い考えで良いのかは定かではありませんでしたが笑)

 そんなこんなで鉄道会社に無事内定をもらえた私ですが、2017年8月ごろから異変が生じます。

 元々大腸を全摘すると、ネズミのような便が出る(食べ物に依存することが多い)のですが、水溶便でかつ血混じりになりました。しかも30分に1回のペースでのトイレ。
 せっかく炎症している大腸を全摘したのに、小腸お前もかと言う気分でした泣
 担当医に相談すると、内視鏡検査を勧められ、また下剤を飲み内視鏡をすることに泣
 小腸しかない分、割とすぐ検査は終わりました。結果は「※回腸嚢炎」と診断されました。
※回腸嚢炎↓
外科的に作成された嚢の炎症が起きること。しぶりや下痢を起こす。
 その後、フラジールとツムラ14番を追加で処方してもらい、通院しながら炎症を抑える方法をとりました。2、3日すると症状は落ち着いたため、安心しました。そのまま2018年4月を迎え、大腸無きへっぽこ鉄道マンの誕生となりました👏

7.鉄道会社入社〜現在

 2018年4月に技術系総合職(電気)として、現在の鉄道会社に入社しました。最初はどこの鉄道会社も大体同じだと思うのですが、現場からのスタートになります。私も駅員を4ヶ月ほどしてました。
 駅員の勤務体系はまた後ほどノートで紹介or質問してください。ラッシュ時など、当然ながらお客様対応に追われるため、勤務前は刺激的なものやコーヒーを控えるなど工夫してました。

 駅員の生活を4ヶ月続けた後、技術部への配属が決定しました。技術部に入ってから1年間は現場研修を行いました。終電が終わってから線路を歩いて点検したり、分岐器の点検をしたりと神経の擦り減らす作業が多かったです。なぜかというと、一つミスをすると、始発を走らすことができないという事態に直結するからです😂私もミスをして何度も怒られました😭
 また、トラブルが起きると即座に事務所から現場へ駆けつけなくてはいけないので、自分のペースでトイレに行けなかったのも大変だったなぁと思い出に残ってます笑(トラブル中は当然トイレに行けないので我慢ならず出ちゃったこともあります笑)
 現場研修と並行して、機器設備の大規模更新担当として設計業務も行っていました。大学では弱電専攻でしたが、高電圧の機器設備を任されていました笑

 2021年より現在の部署である延伸区間の電気設計担当を行なっています。また人事も少しかじっているのでやりがいのある日々を過ごしています。

8.最後に

 ここまで読んで下さったことに感謝を申し上げます。もっと伝えたい情報があるのですが、発信数を大切にしたいと思いますので、今後どんどん発信していきます。

⭐️潰瘍性大腸炎をはじめ、難病で苦闘の日々を過ごしている方へ↓
 私見ですが、大腸を摘出して私は良かったと思っています。何故なら自分のペースで生活を過ごせるようになったからです。
 便の回数は1日あたり10〜15回と多い(人によります。5回ほどの方もいるそうです。)ですが、我慢できずに漏らすことも0に等しくなりました。
 有効な治療法が見つからない中で、(最近カログラ錠という新薬が出たそうです。)就職活動をするという不安から、私は大腸全摘を決断しました。
 大腸を摘出することを勧めているわけではありませんが、1つの選択肢として皆様に持っていただけたらなと思います。

 潰瘍性大腸炎で苦しんでいたときは働けるのかなぁとか恋愛できるのかなぁとか色々不安でしたが、今では現場作業も恋愛もできてます!潰瘍性大腸炎中等症の私が言うので間違いありません!
 時折発症する回腸嚢炎とも戦っていますが、明るい未来を信じて日々頑張ってます!
 なので、潰瘍性大腸炎をはじめ、難病と闘っている皆様も私と一緒に明るい未来を信じて頑張りましょう!

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