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確固たる文体

自分の書いた文章を、例えば一年ぶりに読み返す。
本当にこれは私が書いたのか、と思うようななかなかいけてる時もあれば、すぐに消去して闇に葬っていしまいたくなるようなときもある。

たまたま、昔使っていたスマートフォンの電源を入れてみる。
メモアプリに何か物語のような文章が残っている。
読み返して、これはだれが書いたのか、わからなくなる。
自分のスマホなのだからきっと自分が書いたのだろう。
記憶がない。しかも、自分じゃ絶対につけないような名前の登場人物が出てくる。
でも、文体自体は明らかに、まどろっこしくて、堅い文調で舗装したくだけた言葉回しの自分の確固たる文体なのだ。
ことの顛末としては、妹が続きを書き足した説(本人曰く)が最も有力で、それならば予想外の名前にも納得がいった。
こんなことをきっかけに、自分の文体について考えてみる。

文体診断をご存じだろうか。
私は自分の文章を客観的にみるのが結構好きなので、ちょっと長めの文章をしたためる機会があると、よく利用する。
自分の文章を入力すると名文の中から類似の文体を探してくれる。文章の表現力や読みやすさも評価してくれる。

おそらく数年間で片手以上くらいは文章を突っ込んでいるはずなのだが、たいてい決まった人の診断がつく。
私の場合、たいてい上位の人も決まっているが、ワーストが100%岡倉天心となる。大変申し訳ないほどに、ランキング内の作者の作品を読んだことがないので、どうとも言えないのだが、北原白秋は詩人であるからして、純文学的な文というより、カジュアルな文なのかもしれない。
というより私があまり純文学を好んで読まないので、書けないのが事実だ。物語を書くときは会話ばかりになってしまう。会話が多いと読みやすいしどんどん話が加速していく一方で、下手であればだれがどんな状況で話しているのかとたんわからなくなる。これだから宗田理はすごいのだ(急になに)。

以前書いたnoteとこの記事を診断してみた。北原白秋先生が私の味方らしい。

さて、文体の話に戻る。先日数年前に書いた物語を軽く読み返す機会があった。全く高尚なものではない、スマホゲームの二次創作だ。
私は、何か物語を書くとき、大抵静止画やこういうシーンが見たい、といった映像先行で考え付くことが多い。そうやって広げていくと、大抵自分の中に断片的な映像が並んでいく。それを文章化するもんで、自然と背景描写や音の描写、比喩表現が多くなる。だから自分の文章は、どちらかといえば詩的なのかもしれない。
しばらくして愛読書の「神様のカルテ」を読み返していると、自分の文体と似ていることに気が付いた。正確には私の文体が少し寄ったのだと思う。好きな作品に、意識せずに書いて少し似ていると感じるのは素直にうれしかった。神様のカルテは、長野の山々や花など美しい自然描写が多い。コーヒーや日本酒の描写も豊かだが、自然描写に関してはかなりストレートに、見たままの映像として書かれていると思う。このあたりの言い回しとか、そのあたりが、直感的に似ている気がした。(急にふわっとすな)
あと私が愛してやまないUNISON SQUARE GARDENというバンドの、作詞作曲担当ベーシストのブログにも少し似てる気がする。すごく嬉しい。
思い上がりかもしれないけど。

無計画に広げるだけ広げておいて、着地がわからなくなってしまったので、なんかいい感じのことを書いて締めようと思う。
今の時代chatGPTやAIノベリストのような、文章を書いてと頼めばポンと出してくれる便利なものがたくさんある。癖がない方が読みやすい書類には、全部それで書きたいよね。でも、日記とかエッセイとかツイート(Xだとなんて言うんでしたっけ)とか、その人のくせが味を出すものに関しては、自分の確固たる文体を出し惜しみせずに、書き散らしていきたいものです。
おわり。

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