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大好きないぬへ

最近とある方が友人の愛犬に対して弔辞を送っているポストを読み、不覚にも屋外で涙がちょちょ切れたカカポです。

私にも17年間一緒に生活してきた相棒がいました。
利口で人や他のわんこに媚びず、でも私が泣いている時にはそばにいてくれる、そんないぬでした。白くて、耳だけ茶色。ふさふさでくりくりのお目目。オスなのにメスと間違われる美麗のわんこ、それがうちのいぬでした。犬が良さそう(人が良さそうと同じ意味)とよく言われていました。

いぬ、と代名詞で呼ぶのはなんだが愛着がないように思えますが我が家では「愛しい子=いぬ」という認識をしていました。もちろん名前で呼ぶこともありましたが、いぬはいぬで呼ぶとどちらの名前でも反応するため気に入っていたように思えます。

いぬは小さき頃はやんちゃで、散歩がとにかく大好き。急いで駆けるものだから一度側溝に足が挟まってしまったことがあり、それ以来大人になってからもずっと側溝は避けるようになりました。すまんね、飼い主が避ければよかったよ。

春は桜を眺め、夏は涼しくなった夜の道を歩き、秋は紅葉を踏み締め、冬は田舎の空に浮かぶ星空を楽しみ、いぬとの散歩は時間がたてとも色褪せることがありません。いつもまだ帰りたくないと渋ってはしょーがないなーと付き合う、そんなかけがえのない時間でした。

食べることが、肉が大好きで目を離すと人間の食事まで狙ってくる、そんないぬでしたね。食事を運ぶ際はいぬが人間の食べ物を食べてしまわぬよう、机の付近に必ず見守り人をつけることが我が家の日常でした。

近所では可愛がられ、散歩に行くと面識のないご近所さんから「あらー〇〇ちゃん。今日も可愛いねえ」と話しかけられることがしょっちゅうありました。いぬよ、いつのまに知り合ったのか。私よりもコミュニケーション能力が高いのではないか。

最初は世話は自分はできないよと言っていた父が1番可愛がり散歩に連れて行っていました。母はいぬが大好きで冬にはお手製の毛糸の犬服を編んでいました。お風呂は大嫌いで、いつも2人がかりでドライヤーをかけて。ごめんよ、犬にとってはきっと必要のないことなのに、人間の都合でしたね。

真冬に脱走して大雪の中探しに行こうと上着を着て玄関に出た際、玄関の前にリードを咥えてお座りしていたり、雨の中脱走してずぶ濡れになりながら探したのにお隣さんの犬のところに行っていたり、その度に心臓がちぎれそうになっていました。お外が本当に好きだったね。

そんないぬも徐々に老いて行きます。耳が聞こえなくなり、目が見えなくなり、長い距離を歩けなくなり、認知症になり。あんなに大好きだった食事や散歩ができなくなり。老いとは寂しいもの、しかし良いこともありました。いぬは耳が良すぎるあまり、大きな音が苦手でいつも何らかの音で眠りを妨げられていました。年老いたことで聴力が低下し邪魔されることなく睡眠をとることができていました。

突然ですが犬が1番可愛らしい時期はいつでしょうか。もちろんどんな瞬間も愛おしいことは変わりありません。私は最初子犬の時期かな?なんて考えていました。でも犬と長くいると高齢になるにつれて愛が溢れて、愛なんて言葉では表せない感情に揺さぶられて仕方がない、そんな風に思うようになりました。子犬の頃から一緒に過ごした思い出がついてくるからです。

天国では美味しい肉をたらふく食べて、気が済むまで駆けて、健やかに暮らしているといいな。わたしが行くまで少し時間がかかるとは思いますが、また一緒に散歩できるまで待っていてください。お土産にあなたの好きな合い挽き肉を持っていきます。

ハンサムで犬見知りで、泳ぐのが上手で。私の寿命を分けてあげられるなら半分でもそれ以上でもあげたのに。あなたがいなくなった時、家族は全員大きな大きな穴が空いてそこから抜け出せ無くなりそうになりました。あなたの存在がとても大きかったからです。それだけ偉大な存在なのです。

親愛なるいぬへ。どうか天国でも身体に気をつけて元気で暮らしてください。食べ過ぎると身体に悪いからね、でもどうなんだろう天国では0キロカロリーなのかしら。あなたが家からいなくなってから数年が経ったけれども、あなたを思い出さないことはありません。あなたも忘れないでくれてたらいいな、エゴかなあ。いぬと通った散歩道、いぬが好きな食べ物、いぬが見せる仕草と似た犬を見つけた時、いつも頭をよぎっては目から汗が出ないように肛門括約筋を引き締めています。

またね。絶対にまた会おうね。

カカポ

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