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導かれるように

何かに導かれるように行き先が決まる。
何かに導かれるように出会う。
何かに導かれるように迷うこともある。
旅には、そんな不思議なパターンがある気がする。

自然、神社、食、文化財、きっかけは何でもいいが、
日常を離れ、その場所に立った時にじわじわと何かに気づく感じが好きだ。

少し前に奈良をまわった。天河大辨財天社(呼ばれないと行くことができないとも言われている場所)に行く。拝殿に足を踏み入れた瞬間、ご祈祷の太鼓が始まった。あまりにタイミングが良かったため、何かに誘導されるように置いてくださってあった椅子に腰を掛け拝殿をみつめる。他の方のご祈祷なので聞かせていただいていいのかな?という迷いが一瞬頭をかすめたが、“ご祈祷の間は鈴を鳴らすのをお控えください”という注意書きもあるので静かに待つことにした。

心地よい声で紡がれる祝詞と共に美しい拝殿をみつめていると、なんとも言えない大きなものに包まれるような感覚になった。


翌日。この旅の最終日に奈良らしいものを食べて帰りたいとあれこれ検索し、
大宇陀にある大和牛丼のお店「件-kudan-」に行ってみることにした。
食べることを目的に長谷寺から足を伸ばした場所だったが、宇陀松山の町が素敵でその気の流れの良さに来てよかったと思った。
もちろんいただいた大和牛丼とお味噌汁は、優しく丁寧な暮らしの味でとても美味しかった。東京に戻ってきてからも何度もその味を思い出すくらい。

その小さなお店で不思議な出会いがあった。私たちが食事をしている間、お店には私たちよりも先にいた2名の女性と、後からいらした雰囲気のあるおじさま、そしてお店の主の素敵なおばさまが話をしていた。所々聞こえてくる話に耳を傾けると、雰囲気のあるおじさまは「先生」と呼ばれていて、店主のおばさまは、どうやら先にいた2名の女性に手作りのお味噌なんかを教えている?らしいことがわかった。

私たちがお会計をしようと立ち上がると「静かに食べたかっただろうにごめんなさいね」とおじさまが話しかけてくださった。「どこから来はったんですか?」と聞かれたので「東京です」と答えると、自ずと話題は週末の都知事選のことへと展開した。しばらくやり取りを楽しんでいると、この「先生」の正体は、有名な能楽師の方だとわかった。

後から思うと、奈良は能の発祥地。前日に訪れていた天河大辨財天社には、拝殿の向かいに能の舞台があり、毎年能の奉納が行われているそうだ。

何かがつながっていたのではないかと感じさせていただく一連の出来事に旅で出会う”不思議”を感じずにはいられない。
帰宅後、私は能に関する本を読み漁っている。
これも何かのお導きなのか? いや、単なる関心かな。

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