選択することは疲れる

人生選択肢がないことは、とても惨めなことではあるが、一方選択肢がることも問題だと感じた今日この頃。

所有車がそろそろ車検の時期に差し掛かったので、ディーラーへ行きました。貧乏サラリーマンなので、お目当ての車のグレードは上・中・下のうち下のグレードで商談。

しかし、営業マンの話によれば、中のグレードは、両側電動スライドドアでLEDランプに対し、下のグレードは、片側電動スライドドアにハロゲンランプと若干ショボい…。

極めつけは、下のグレードのエアコンパネルはマニュアル!(つまみを回して風量や温度を調整するタイプ)
軽トラでしか見たことないぞ。こんなチープなエアコンパネル。。。

でも、中と下の価格差は20万円。約1か月の給料分だなぁとうだうだ悩み続けて1時間。結局中のグレードを選択。
所謂、行動経済学の松竹梅理論ってやつですかね。まんまと車メーカーのマーケティング戦略に乗せられた気がします。

商談を終えた後、何故か疲れた。仕事していたほうがまだ疲れていない気がします。これは選択することによる疲労ですね。

某リンゴパソコンの創業者は選択することに労力をかけないように、毎日同じジーパンとTシャツを着ていた話は有名ですが、私も選択疲れしないようにしたいものです。

というか、そんなビリオネアだったら、たかが20万で悩まないか。。。


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