わたしという人間

わたしとはどんな人間か。わたしはこういう自分を客観的に見たり、自分の良さを発見することがとても苦手だ。履歴書はいつも真っ白だった。いつも頑張ってなかったわけではないが、目標なく生きているわたしが会社のために役に立つことをにつなげることがどうしてもできなかった。

自分のことは嫌いだ。いつだって好きになれなかった。優柔不断で、中途半端。話もうまくなくて引っ込み思案で人付き合いもよくないから友達だってできない。自分はどうしてこんなに上手くやれないんだろうと思っていたし、上手くやる方法が全くわからなかった。
人から興味を示されない存在。好きでもないし、嫌いでもない。誰にも興味を持ってもらえない人間。いつだってそうだった。人の輪に入ることが本当に苦手だった。いつも頷いているだけで、話したいことがなくて、いつも馴染めなかった。
人のことが嫌いな訳ではないけど、話をするのが上手くないから、人と積極的に関わることができない。
人が嫌いというわけではないから、厄介だった。寂しい、悲しいと思ってしまう。
友達の集まりにだんだんと呼ばれなくなったり、仲良いと思っていた子たちは別の人とグループで集まっていたり、自分だけ誘われないことが今までたくさんありすぎた。誰も自分と仲良くなることにメリットがなかったのだろう。集まる時に、自分の存在なんて思いついてももらえなかったのかな。

ずっと自分の中で、思い出す度に辛くて、自分という人間はどこに行っても愛されないと思っていた。
でも文章にしてみて思う。わたしだって誰のことも大切に思えていなかった。気遣っているつもりで、相手には伝わってなかったことがたくさんあるんだと思う。自分がどうやったら仲に入っていけるのか、好かれるのか、そんなことしか考えていなかった。

人に対して積極的になれるわけではないが、ギブアンドテイクではなく、純粋な心で誰かのことを考えられる人でありたい。
そうしたからといって、愛されるわけではない。傷つくことも善意を利用されることもたくさんある。今までだってあった。
それでも、嫌な人間にはならないように人として間違った人間にはならないように生きていきたいと思う。人生振り返った時に、真っ当に生きてはきたと自分を少しでも愛せる人間でいたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?