列車(こんな夢を見た)

 波飛沫を浴びるすれすれの海岸沿いを、私の乗る列車は走っている。
 列車を呑み込まんばかりの大波がやって来ては、海岸沿いの大きな岩場にぶつかって、列車を打ち砕くような轟音を立てる。
私のすぐ後ろでは、美しく穏やかな海の景色を走るこの列車の姿を映したポスターが、気まずそうしている。
私の実家は日本海側の港町の一つなのだが、私はポスターに映っているような、日本海の美しくも穏やかな景色を殆ど見た事が無い。晴れの日は美しい景色が見えるとポスターは謳っているが、私の見る日本海は何時も荒れている。生まれ故郷から初めて東京に出る時も、この荒れ狂う日本海が私を見送ってくれた。冬の日本海は荒れるとはよく聞くが、どうにも 私には年中こんな調子であるように思える。
後ろの席の女性の二人連れは、この荒れ放題の海にご満悦のようで、大波が砕ける音を立てる度に大騒ぎしている。
私は酔い易い性質なので、列車に乗っている間は寝てしまいたのだが、こう煩くては眠れない。波の音だけなら我慢も出来るが、若い女性の甲高い声とテンションには度し難いものがある。おまけに、この二人連れとは乗る駅も同じで、降りる駅も近いか同じらしい。延々とこのテンションなものだから全く眠れてない。頭痛も酷くなる一方だ。
突然、車窓が光った。
そして、一瞬遅れて、列車に直接叩き付けるような雷鳴が鳴り響いた。
窓の外を見るとまた光った。
今度は見えた。
この星を覆う様な雨雲から、閃光が海へと落ち、パッと海面が金色に輝いた。
それが繰り返し続いた。
私はその光景にすっかり見入ってしまっていた。
 何度も海に落ちる雷を見ている内に、雷の音自体は少しづつ小さく遠ざかっていき、波の荒れ方も少しづつ落ち着いてきた。
 興奮から冷め、ふと違和感に気づく。
 あの二人連れの若い女がいない。てっきり私と同じで雷に見入っているのかと思ったら、そうではなかった。代わりに、彼女らがいたはずの場所に老婆がいる。老婆は薄汚いほっかむりを被って俯いており、表情は見えない。
 私は辺りを見渡したが、どこにも女達はいない。他の車両に移った様子も無かった。おまけに、どうも他の乗客も何人かいなくなっているように思えた。乗客全員を一々はっきりと記憶しているわけでは無いが、さっきまでそこそこ混んでいたように思うのに、今はがらんとしている。私の席の右斜め前には確かに、子連れの男女がいたはずだ。子供も親も親も随分静かにしていたのであまり注目していたわけでは無いが、確かにいた。それが今は空席になっている。
 何かが起こっているのは分かったが、それが何かは分からなかった。
 私が戸惑っている内に、列車はトンネルに入った。
 トンネル?
 果たしてこの路線にトンネル何てあっただろうか?
無かったと記憶しているが、そもそもこの路線を使って実家に帰る事自体久しぶりなので、忘れているだけかもしれない。あるいは、列車に乗る時は大概寝ているから、このトンネルにも印象が無いのだけかもしれない。
そう言い聞かせようとしても、ちっとも安心できない。
 嫌な予感がして再び周りを見渡し、ぎょっとした。
 今度は誰もいなかった。私と、あの老婆以外の乗客全てが消えていた。
 それだけではなく、列車の中もやけに暗い。トンネルの中にしては、室内灯の明かりが弱すぎる。わずかに足元が見える程度の明るさだ。
 老婆は身じろぎもせず俯いたままである。
 私はこのままだと何か非常に良くない事が起こる気がした。
 しかし、どうしたらそれを回避できるかさっぱり分からなかった。ただ、あの老婆をこれ以上見つめ続けると、それは起きるだろうなと根拠もなく考えた。
 してはいけない事は分かるが、どうしたら良いかは分からない。
 どうしたものかと考えた結果、私は眠って全てをやり過ごすことにした。都合の悪い事があったらとりあえず眠るに限る。眠れば気持ちがリセットされるし、そうなれば目の前の事態に対して冷静に対処できるようになるものだ。
 幸いにも、列車は酷く静かになっている。寝るには最適である。
そう決めると、昨日までの仕事の疲れと睡魔が丁度いい具合にやって来るのが分かる。実家の駅まで着くには大分時間がある。携帯のタイマーをセットして私は瞼を閉じた。
 最初は、瞼を閉じても老婆の存在を感じて眠り辛かった。気のせいかすぐ近くにその気配を感じるが、だとすれば余計に目覚めてはならない。
 意識して眠ろうとすることは結構難しく、夢を半端に食いながらうつらうつらしていると、生臭い匂いがした。
「ねえ、あなた」
 妻の声が耳元で聞こえた。
 私はハッと、自室の布団で寝ている自分に気づき目を覚ました。
 ほっと一息ついて妻の声の方に寝返りを打つと、老婆のギラギラとした充血した瞳がこちらを覗き込んでいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?