鬼やんまの飛行  鬼りんご

 鬼やんまの飛行

    或ひは経験の境界性へ向けて

非空の虚空は時空といふ虚構域にどう重なるのか
あらゆる細部は必ずさらなる異質の細部より成るのか

無数の無数乘個の多次元細胞より成る細部を区切る
その一部をひとは名づけていみじくも 鬼やんま と云ふ
網目は精密に必然を縫ひ辿り二対の翅は十分に軽い と
気障に長く生臭く 重たげに撓む細い腹 その
黄と黒とのだんだらは 威嚇も伊達も意図してゐない と
日陰で不意に頬から耳たぶを掠められる刹那 それは
木洩れ陽の境遇との必然の照応と覚られるのだ と
叡智と愚昧との極みが鈍いみどりへとつややかに止揚され
非内省的で超思索的な一対の複眼は明晰に知を否定する と
山里に棲めば幾たびか少年は必然と擦れ違ふのだ と
冷奴を食べ昼寝したあと魚つかまへに行つて見るがよい と
岸辺の樹樹に隠された独白の流れを自動巡回する神輿は
その水上空間のぬしの ひと知れぬ低空飛行である と

顎や口の怪奇に打たれ ひとはつひ掌を合はせるのか
ふと南無鬼蜻蜓観世音菩薩と称へる過ちは許されるのか



(「こどもだま詩宣言」対応  原文縦書き)

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