鬼りんごの置かれた部屋…江口敬写真展『二つの部屋』のうちそと


はじめに

2024年9月11日〜同年9月29日まで、福島市写真美術館(花の写真館)江口敬写真展「二つの部屋」が開催されました。筆者・猛ふぶき(noteでの文芸活動名は「鬼りんご」)は、はからずもこの個展にやや特殊な関わり方をし、実際に個展を拝見もしました。

 個展「二つの部屋」については、江口敬さんご本人によるいくつもの紹介記事の他、「つきふね」さん、「popo」さんなど、noterによるご投稿や紹介を本note上で見られます。個展の概要は、これらの方々の記事をご覧頂くことである程度お分かり頂けるかと思います。屋上屋を架することは避けるべきでしょう。ただ、筆者は先に述べたように本展に特別な関わりを持つことになったため、おのずとその立場からのおそらくは独特の感慨を抱くことになったかと思います。本稿は、そのような筆者猛ふぶきの謂わばやや偏った観点から、この不思議な個展について語ろうとするものです。当然、江口さんからすれば不本意だったり抗議したかったり訂正を要求したかったりする内容があることも十分考えられます。どこまでも猛ふぶきの感想の域を出るものではないことをお断りしておきます。

 なお、途中で文章の調子が変わったり、人名の敬称が消えたりと、一貫性の破綻した箇所があります。決してそれが効果的と計算しているわけではなく、ただ自分の感覚のままに書き留めておく必要を感じてのことですので、ご海容願います。

参加の経緯(簡単に)

江口敬さんとの出会い(noteでの)

 noteで八面六臂の宇宙人的活躍を展開するスーパー才女popoさんの記事のコメントを拝読するうちに、江口敬さんという福島在住の写真家が目にとまりました。最初は、ポートレイトを友人と撮りあった、という写真に感嘆しました。(江口敬『ポートレートの時間』猛ふぶきもコメントしています。)

 その江口さんが、最初にnoteで個展の告知をされたのが、どうやら今年5月のことだったようです。
 当時、筆者猛ふぶきは、江口さんの文章から伺える素晴らしい人柄と、その素晴らしい文章(完全に素人離れしている、と思います。本当は真剣に学ばせて頂くべき文章と感じます。)には敬服していましたが、福島くんだりまで写真展を見に出向く気になるかと言えば話は別です。我が国には、有名無名有象無象の写真家がいらっしゃるでしょう。ある時ある地域の写真家が個展を開くということも、至るところで行われているでしょう。それら個展では写実から抽象・心象に至るまで、さまざまな写真世界が展開していることでしょう。江口敬さんは、そんな中でもあるいは抜きん出た写真家かもしれません。しかし、東京でキリコ展をやっていても足を運ぼうとしない自分には、福島の写真展は余程のついででも無い限りは、よその世界の話でした。(しょせん写真展ではないか、という思いがあったことは否定出来ません。)

「鬼りんご」の活動と「二つの部屋」

 猛ふぶき名義でnote活動をして一年足らず、複数の詩人とのコメントなどのやり取りを繰り返すうちに、文芸活動への希求が抑え難くなり、似而非詩のようなものを「鬼りんご」名義で掲載し始めました。(開始は2024.7.9)その最初に投稿の2篇『距離』(のち『変態四重奏』に編入)と『愛は いま』を、驚くまいことか、間髪を入れず江口さんが、ご自分の『最近ガツンときた記事』で取り上げられました。並の人ではない、とわかってはいましたが、よもや、よりにもよって『距離』を自分の記事で紹介なさるほどの言語アーティストであろうとは思いもよりませんでした。(『距離』をお読み頂ければ、猛ふぶきの驚きはどなたにも納得頂けると思います。)

 8月8日『鬼やんまの飛行』を、同17日『真空飛翔』を投稿。(この2篇の間には他の投稿は無し。)『鬼やんまの飛行』は、投稿直後に江口さんから「いいですね。好みです。」と云う1行の感想がコメント一番乗りで届きます。そして『真空飛翔』では勿体無いほどの賛辞が届きました。(興味がおありの方は、直接『真空飛翔 鬼りんご』のコメント欄をご覧ください。)『真空飛翔』は、制作当時猛ふぶきが心血を注いだ(つもりの)作品でしたが、作者が思う以上に馴染みにくい作品のようで、以前に読んだ方からはあまりはかばかしい反応は返って来なかったものです。よりによって、言葉との遮断が課題の一つであるかも知れないとさえ思われる写真家の方から、まるでその言葉の有り様を当然と認めるかのような賛辞を頂くというのは、意外のさらに外でした。どうやらこの方はとんでもない言語咀嚼者であるらしい、と思われました。
 そしてなんと、そのコメントの驚きも冷めやらぬ当日、江口さんから、相談したい件が生じたのでメールでの連絡を希望する、との旨のコメントが入り、以後暫くメールでのやり取りを行いました。江口さんの相談の骨子は

 写真展「二つの部屋」の一部として、『鬼やんまの飛行』・『真空飛翔』の両作を使えないか

というものでした。
 相談がある、と言われた時点でこの種の内容を漠然と予感はしましたが、せいぜいカタログ等に掲載されるぐらいかと予想しました。写真家が自らの写真の個展会場に、見ず知らずの他人の詩を掲げるというのは、まさに前代未聞の事態というべきでしょう。(写真展と銘打ってはいるけれども、インスタレーションなのだ、というのは、既に投稿でも表明され、依頼早々にあらためて言われもしましたが、展示の具体的計画等を聞けるわけでもないので、イメージなどできませんでした。)
 もちろん、この要望は、基本的には、猛ふぶきとしては喜びでこそあれ、お断りする理由などありません。(自ら発表した媒体を超えて、作品がもしかしたらとてつもない理解者に出会う可能性が広がるのですから。)ただ、展示となると懸念される点が幾つかあり、それらを全てくだくだしくお伝えしたところ、その夜のうちにプリントイメージを作成して送って下さいました。見ると、縦書き、1行の処理、フォント、タイトルの形態、作者名の表示、等、言語作品の作者の意向と、写真家の展示構想に基づく作品素材としての展示仕様とが見事に融合した、一点非の打ちどころの無い素晴らしいものでした。それを見ると、江口さんが使用したいとおっしゃるだけあり、この二作がどのような形で読み手の目に触れるべきかがよく把握されているのが感じられました。有難かったのは、それがそのまま江口さんの展示の理想形に合致していたことです。
 筆者が、この写真展にはるばる(と言っていいと思うのですが)足を運んで、実情を自分の目で確かめたい、と思ったのは、この美しいプリントイメージを見せていただいたことが大きかったと思います。

鬼りんご側の背景

 以下、筆者としては気になるところを全て(に近く)語ります。しかし、この「背景」の項は江口さんサイドと直接関係のある内容ではありません。筆者はぜひ記録にとどめたくて記しますが、読み飛ばしても、写真展の理解に影響することは無いと思われます。関心の薄い方はこの項を読み飛ばしてください。

 日付にご注目頂きたいのですが、作品展は5月には予告されています。この予告前後で(あるいは当然もっと早くから)、すでに写真家の中にさまざまな構想が去来し蠢き、実際に色々な試行錯誤や準備が始動していたはずです。そして『真空飛翔』のnote掲載が8月17日です。個展は9月11日スタート、すでに開催までひと月を切っています。写真家の個展の準備、それも今回のようなインスタレーションの準備など筆者は一度も経験したことが無いので全て憶測の域を出ませんが、おそらく、個展「二つの部屋」の準備は大詰めの段階に近かったはずでしょう。あとはほとんど細部を詰めるだけ、という状態だったのではないかと想像します。写真作品の配置なども構想が固まりつつあったことでしょう。筆者の感覚では、『真空飛翔』のnote掲載があと10日遅かったら、ご覧になった江口さんの胸に仮に同じ構想がよぎったとしても、これを展示に使おうと筆者への打診に踏み切るのは断念されたのではないか、と思われます。

 その意味で、これは実際不思議な実現でした。『真空飛翔』の投稿が最終的に江口さんを動かしたわけでしょうが、しかし、その前に『鬼やんまの飛行』の投稿が無かったら、果たしてこの構想が江口さんに閃いたかどうか。もしも、両者の投稿の時期が大きく隔っていたら、あるいは両者の投稿の間に他の作品が挟雑物となって幾つも投稿されていたら、このアイデアが浮んだかどうか。というのも、後に詳述したいのですが、拙作二篇は額装されて「二つの部屋」のそれぞれに一点ずつ配置されたものだからです。換言すれば、他ならぬこの二篇が対のように現れて見えたことが江口さんにとっては決定的だったと思われるわけです。
 あるいは、両者の投稿のインターバルが同じぐらいだったとしても、その投稿時期がもっと早かったら、これを使えば全てのピースが揃う、という類の発想が生まれたかどうか。いや、そもそも、この作品が個展と関連づけて考えられたかどうか。

 猛ふぶきの側から言えば、どちらの作品も、比較的最近同人誌に発表済みの作品です。すなわち、いずれも過去作品の一部です。(しかも、実際の執筆時期には年単位でのかなりのズレがあります。)
 少し内輪話をすると、『真空飛翔』の方は作者の思想姿勢と自己慰安との本流をなすものであり、少なくとも執筆時点では、作品をほとんど作者自身と見做されても不満の無い作品でした。「書き切った、できた」という実感が持てた作品です。
 一方の『鬼やんまの飛行』は、『真空飛翔』のような言語へのアプローチに対して、自己批判的な動機を多分に含む作品です。『真空飛翔』を発表するような時、一種のアリバイとして、読み方のコツさえ掴めば大変わかりやすいであろう『鬼やんまの飛行』を同時に発表すること。
 それによって、両者に通底する言葉遣いを手がかりに、両作が同時に呑み込めるということが期待できないか、という思いがあります。(実際には難しいことでしょう。)あるいは少なくとも『真空飛翔』は訳がわからなくて許し難いけれども、『鬼やんまの飛行』はわかるから許す、とか。
 (どちらの作品も、これを「解きほぐしてわかるようにする」という作業のできない、すなわちこの言葉でしか表せない作品であり、その意味では「この言葉のまま」嚥下していただく他ありません。)
 「鬼りんご」と名乗って言語作品を発表する企ての当初から、『真空飛翔』をどこかで呈示しないような文芸活動は意味が無い、という感覚が猛ふぶきには拭い難くあります。その意味で、ここまでの鬼りんご活動で言えば『真空飛翔』は(『眼を上げるナルシス』他数篇と並んで)その核になる作品のひとつです。そして、これを発表するための露払い(またはアリバイ作り)として、『鬼やんまの飛翔』の発表は必須のものと感じられていました。その限りにおいて、両作品を関連づけて捉えられた江口さんの言語力には、かえすがえすも感嘆させられます。(少なくとも、note上の発表後にも、両者を関連づけて扱われた方は江口さんだけでした。)

 鬼りんごの活動を始めて間も無く、『真空飛翔』をいつどのように投稿すれば最もよく理解してもらえるか、という自問が絶えず去来するようになりました。様々な条件を考慮しながら、少しずつ地ならしをして環境を整え、時機を捉えて『鬼やんまの飛行』を、ついで『真空飛翔』を投稿したのが8月の8日と17日だったわけです。(註1)

『形而上学入門』引用問題

 実は、拙作を使用して頂くと決まった途端に、予想外の問題が発覚しました。それは、『真空飛翔』の中の、ハイデッガー『形而上学入門』の訳文に誤りがあったことです。これは、『真空飛翔』にコメントを下さった扇状地人さんの指摘で初めて気付かされたことでした。この点では、わざわざ訳文を確認して下さった扇状地人さんに感謝しなくてはなりません。
 やや詳しく述べてみると、件の訳文(川原栄峰訳)は

なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ、無があるのでないのか?

マルティン・ハイデッガー著 川原栄峰訳『形而上学入門』冒頭

ところが、『真空飛翔』での引用は

 「なぜ有があるのか むしろ無があるのでないのか」

と、いわば変形というより「誤記」されています。この誤りの生じた原因は、情けないかな、筆者自身いくら考えてもわかりません。筆者は文章を「音声」に変換して暗唱する癖があり、この文もどこかでそのように暗記したものと思われますが、この点に関しては様々に検討しても、結局のところ判然としませんでした。
 なぜこのような間違いが生じたかはともかく、これにどう対処するかは、とりわけ時期の迫っている写真展にとっては喫緊の課題で、思わぬところで江口さんを慌てさせることになりました。
 猛ふぶきとしては、この「有」が「存在者」となっては作品が変質して意味をなさなくなる、と考えました。一方、江口さんは江口さんで、ここが「存在者」だとやはり展示に使えなくなる、ということで二人の見解が一致しました。
 結局、最終的には江口さんの貴重な提案に基づき、原文は元のままで、註の方を変更しました。どのように変更したかは、江口さんの記事、『今日の写真展、そして』に掲載の写真をご覧ください。  
 展示前に対処できたのは、ひとえに扇状地人さんの速やかな反応とご指摘のおかげでした。(なお、note掲載の『真空飛翔 鬼りんご』の註は、『二つの部屋』ヴァージョンからさらに2度改変を施しております。)

事前の予想

 写真家が自分の個展に、赤の他人の言語作品を展示する。それはどう考えても尋常ではなく、江口さんの当初の依頼もそれを十分認識された上でのものでした。
 インスタレーション、と聞いても、それが写真家の個展である以上、当然室内の壁面なりパネルなりに江口さんの写真がおそらくは額入りで掲げられているのであろうと思われました。
 猛ふぶき作品が一点、というのであれば、それは展示場の出口(または大胆な空想になりますが展示場の入り口)に参考として目立たないように掲げられる、という方式を考えることはかろうじてできます。しかし、二点となるともはやそれは猛ふぶきの発想を超えるもので、これは是非この目で確かめてみたい、と思いました。

『二つの部屋』体験記

「花の写真館」という建物

 福島市写真美術館(花の写真館)の建築の詳細にはここでは触れないことにします。皆さんの記事や写真等をご参照いただければと思います。
 こうした建築を保存することの意義を認めるのに吝かではありませんが、筆者自身はこの建物を前にした時、ここで写真展を、とりわけ江口さんの写真展を開催することにどちらかというと微かな異和感を覚えたことを白状しなければなりません。が、写真展はハコより中身でしょうから、こだわる気持ちはさほどありませんでした。

 ただし、急いで付け加えますが、この建物は、この写真展で大きな役割を果たしていました。そのひとつは、展示室の形と、窓の形と面積展示室1と展示室2の連絡形態天井の高さ、そしてもうひとつ、忘れてはならないのは、そのとそしてとりわけでした。
 この床に関しては、江口さんの記事にスニーカーとジーンズと共に写っている写真が掲載されています。(同じ写真がpopoさんの記事にも紹介されています。)おそらく、若い人々(筆者自身を除く?笑)はあまり経験の無い床ではないでしょうか。老年層には、昔々の木造小学校などの年季の入った黒光りするような床に似ている、といえば1番わかりやすいかも知れません。
 床が重要だったのは、つきふねさんなどの記事にある通り、江口さんの写真が直接床の上に展示されていたからです。展示室1ではさほど重要であるかどうかわかりませんでしたが(あるいは、見方によってはこの床でない方がよかった、という意見もあるかも知れません。)、展示室2においてはこの床が重要な機能を果たしていたと思います。

実際の展示 展示室1

 さて、実際に展示室に足を運んでみてどうだったか。

 展示室1を目の前にした時は、え?と軽い驚きと少なからぬ異和感と微かな失望とに見舞われました。
 つきふねさんの記事にある通り、各写真作品は額装されていないばかりか、タイトルもキャプションも付されていません。そういう写真展の発想は、とりわけインスタレーションを謳う場合には当然ありうるだろうとは思えました。(というより、この点に関しては、猛ふぶきには驚きも疑問も浮かびませんでした。この点では鈍感極まる鑑賞者だったことになります。ついでに言えば、この額装されない作品、と云う発想は、鬼りんごの二作の、タイトルや作者名の表記法にも反映されています。)

 問題は、写真が床の上に並べられていることでした。しかも、第一印象で言えば、黒光りするような木造の床の迫力に比べ、江口さんの写真群は概ね少し弱く儚い印象を受けました。さらに、その儚い写真の合計表面積(写真は一応2次元芸術です)が床の露出面に占める割合がやや低すぎるのではないか、と思えました。簡単に言えば、写真表面が床に対して弱い、負けている、という印象です。
 いや、単に床に対してだけではありません。展示室の片側の壁面に取られた、高く堂々たる窓の列(そこからの自然光がこの展示室の照明となっています。ただし、私の訪ねた時は窓際の一列だけ蛍光灯も点灯されていました。)、その反対側の、高い天井までの漆喰壁のがっちりした壁面、それらに対して江口さんの写真はいかにも頼り無く儚く見えるのでした。

 この印象は、しかし、一点一点の写真を虚心に見るうちにかなりの程度あらたまりました。展示室2に移る前に、なるほど、ここではこれらの写真がやや儚いことが重要なのかも知れない、と思えてきました。それは、特に室内中央に置かれた写真を間近で見て強まった感想です。

象徴という方法

 『Entropy』と銘打たれたこの「展示室1」の写真群は、どうやら諸行無常を可視化するものであるらしい、と、諸行無常という言葉は頭に浮かびませんでしたが(エントロピー増大の法則は、「諸行無常」のうちの、物理存在の様態の一側面と解釈できるでしょう)、それに近い感覚に包まれました。とりわけ、われわれ人間の意識や目が捕捉する、われわれの認知や欲望やの対象が、そしてさらにはそれらを対象として捕捉するわれわれ自身が、無窮の時空の中で決して永遠不滅ではなく、むしろ絶えず速やかに崩れ壊れ砕け散り急いでいる極めて儚い存在であることを黙示してやまないのだ、と。

 このように思われてきた時、まさにその時、大正時代から北国の風雪にびくともせずに絶えてきたのであろうこの頑健極まりない建物のどっしりとした床や頑固非情に見える漆喰壁が、儚げな写真群に対して何やら永劫の時空の理法を象徴するもののように感じられて来るのでした。
 その時、筆者は、このインスタレーションの方法が「象徴」だと直感しました。そう、直感、自分ではむしろ直観、と言いたい気分でした。これが正しいか誤りであるかは他の方々や江口さんの判定を仰ぐほかないのですが、筆者自身はそのようにこのインスタレーションを理解しました。そして、この感覚は次の展示室2を見終わって帰路に着く時に一層強まって来るものでした。

テクノロジーとしての写真

 その象徴性を実現するために、展示室1の各写真作品が施されているさまざまな技法(例えば網点印刷)は、筆者などが通常写真として漠然と考えているものをあっさり逸脱していました。え?これ、写真なの?いやいや、これは印刷でしょ?と思うような作品が当然のように配置されています。(スマホで撮影した写真をさまざまなアプリ等まで駆使して思いのままに改変していたり、各種画像をパソコンでさまざまに作り替えたりしていると思しきヤング達にすれば、さほど意外に思うようなことではなかったかも知れません。)
 おそらくこれは、写真技術は今日どのような範囲の表現をカバーするものかを示そうとする仕事、という一側面を有するだろう、と素人目には見えました。
 そういうことは、象徴表現という内的動機と矛盾する、いわば不純な実験ではないのか、と批判する向きもあるかも知れません。
 しかし、おそらく、およそ表現に真摯に取り組んでいる表現者なら誰でも感じていると思われますが、ある新しい技法が開発されてしまうと、それにただ目を瞑り頑なに黙殺し続ける表現というのは、時代の中で表現としてのリアリティをどうにも保ち得ない、という表現の現実があります。
 例えば電子ピアノやシンセサイザーによる音楽が出現してしまうと、それを無視する音楽は時代が強いる限界を免れることができません。導入するにせよ追随するにせよ共存を図るにせよ対決するにせよ拒否するにせよ、新しい技法に対して自覚的な対処を潜り抜けていない表現は、時代の人々に対してアクチュアルな表現作用を及ばすことは難しいでしょう。なぜなら、シンセサイザーを聴いてしまった音楽耳は、それを聴く前とは違う耳になっているからです。同様なことは文学などでもごく普通に見られることで、例えばnoteに発表される夥しい小説のうちの一定の水準を超えた作品が、これまでに書かれたしかじかの作品を読んだ上で書かれたものか読まずに書かれたものかで、その質が截然と分かれるというようなことがあります。宮沢賢治の詩に深く感動した人と、賢治以降の詩に触れたことのない人では、書く詩の特徴が全く異なってしまうはずです。
 その点では、新しい技法を象徴文脈の中でやや批評的に示して見せる江口さんは、むしろ極めて誠実な表現の模索者と言えるように筆者には受け取れました。

 そして、このような展示に接して初めて、そうか、そういえば昔から写真は感光・現像・焼き付け等といった技術と共にあったのだった、と気づきます。そもそも写真というのは元来がテクノロジーの切り開いてきた領域であり、実在・実像を捉えるという不可能な課題を常に意識しつつ、それゆえにこそ、わたしたちの「外部」?にあると想定(または妄想)されている実在との間に幾重にも技術というフィルターをますます介在させ続けるものなのだ、ということに気付かされました。(スマホを構えて画面のボタンを押せば写真が撮れる私たちは、それを可能にしている高度なテクノロジーゆえにかえって、あたかも写真と世界の距離がゼロであるかのような錯覚に染まっていないでしょうか?)単にその点だけをとっても、大変文明論的な考察を刺激するインスタレーションであったと言えるように思います。

 さて、この展示室1で、筆者はここに『鬼やんまの飛行』が置かれているのに気づきませんでした。きちんと展示物を拝見しなかったせいなのですが、それ以上に、まさか自作の詩篇が他の写真作品と同じ扱いで配置されているとは頭から思えなかったせいでもあります。(壁に掲示されているものと思い込んでいたのです。)もしかすると、各室に一点ずつ、という江口さんの当初の構想が変更になり、展示室2の方に二点ともあるか、あるいは使用が一点のみになっているのかも知れない、または計画が変更され、使用そのものが中止されたかも知れない、と思いました。(そのようなことがあっても構わない、と、江口さんには最初に伝えておきました。)実はこの部屋の、まさにここ以外の場所は無い、という位置にそれが鎮座しているとわかるのは、展示室2を見てもう一度展示室1に戻ってからになります。

ギャラリートーク

 筆者猛ふぶきが「二つの部屋」を訪れたのは9月16日でした。この日に決めたのは、午前と午後それぞれに「ギャラリートーク」が行われると予告されていたからです。ポートレイトで江口さんの素敵な風貌を拝見していた筆者は、このイケメンでダンディなアーティストが自らの個展をどのように語るか是非とも聞いてみたいと思いました。何の連絡もせずこの日にいきなり行って、素知らぬ顔でトークを聞こうと思ったのです。
 日程と行動時間の都合から、午後の方にお邪魔しようと決めておりましたが、福島駅でカツ丼を食べているうちに時間が無くなり笑、会場に駆け込んだ時はまさにギャラリートークの開始が告げられた直後だったようです。展示室1で、江口さんはマイクを持ってスタンバイされ、MCの方の質問に順次答えて行かれました。
 江口さんはこのトークに大変なエネルギーを注がれたようで、その後のnoteの諸々の記事やコメントにそれがよく伺われます。大変フレンドリーでハッタリやケレン味の無い、いかにもあの名文家の江口さんらしい好感度横溢のスポンテイニアスなトークで、会場の誰もが自然に耳を傾けさせられました。この個展がこういう形態を取るに至った経緯や意図の説明から始まり、主要作品の語れる範囲での説明などを要領よくこなされました。自作について語る必要がある場面で、いつも何をどのように語るべきか語らざるべきか迫られることの多い筆者には、どの語りもこれ以上無い適切なものと思われましたが、内容の詳細については本稿では割愛させて頂きます。

展示室2の衝撃

 江口さんの語りに促されて展示室2に入った時、筆者は息を呑みました。おそらく訪れた全ての方がそうだったことでしょう。先に言っておけば、展示室1に比べ、こちらには「わかりにくい」という印象は全くありませんでした

 何よりもまず、異様に、およそ写真などを展示する場とは思えないぐらいに、室内が暗いのです。こちらの部屋は、窓のカーテンが全て閉ざされ、奥まった位置にある狭く高い一つの窓からだけ外光が入るようにされ、人工の照明は一切ありません。トークにあった通り、確かにその窓は教会であればイエスの像のあるステンドグラスなどにやや近い効果をもたらすものでした。その点でもこの部屋には何やら宗教空間の気配が漂っていましたが、筆者が心を鷲掴みにされたような気分になったのは、その部屋の暗さ、そして写真群の特異さでした。
 入ってすぐに出会う大きな写真は、岸辺にススキの穂の揺れている、暗い川底を持つ流れの中の、大きな丸っこい石に、白いビニール袋か何かがひっかかっていて、それがひっかかったままに、冷たそうな水が流れている、といった、それはそれは陰気に暗い画面の写真でした。最初に見えた時、川の中のビニールのひっかかった石が、頰被りのように手拭いを被った男の頭のように見えました。つまり頰被りをした、こちら向きだけれども暗くて表情の見えない無言の男の頭部が横様に川に浸かっていて、その岸には暗い色のススキの穂が揺れている、というように見えました。寺山修司の表現に出て来そうな世界だ、と一瞬感じました。(その感想を聞いた瞬間に、「青森、って感じだ」と同行した友人は言いました。青森、そう、あの恐山のある青森です。)
 この写真をはじめとして、展示室2の写真は全体に一枚一枚が大きく、一様に(色彩だけ見れば)気の滅入るような暗色の画面でした。それらが、こちらも暗い床の上に配置されています。展示室1と異なり、各作品の四隅には、高さ30センチほどだったでしょうか(筆者は長さや距離の客観的目測が異常に苦手なので、もっと高いか低いかだったかも知れません)、ガラス質ないしプラスティックかと見える半透明状の白っぽい角柱様のもの(江口さんによれば建築用材なのだとのこと)が立てられ(おそらく作品を床に固定しておくための重し?)ています。それは、高さこそ無いけれども、林立して見えることで、寺の境内に並ぶ灯篭か、または寺院内部の柱列に似た効果が感じられました。室内では、この角柱状の重しだけが反射光をぼんやりと放って見えます。

 つまり、どういうことか。
 室内の暗さは通常の寺院内部よりもはるかにはるかに暗い(1メートル離れた人の顔の表情がよく見えないぐらい)のです。床の平面に配置された写真作品は、それが「写真」(すなわち3次元空間を切り取り縮小して平面に写し撮ったもの)であるせいで、観る者は自然にその2次元空間に自分のいる世界の広がりを投影します。写真の四隅に角柱状の物体が立てられているわけですが、もしそれらの写真内世界が3次元だったとすれば、相対的にその角柱は天井に届くほどの柱であっても、何らおかしくない。…そういう感覚が、室内にいればごく自然に生じます。
 そうすると、この『What is beautiful』と名付けられた部屋(この命名の英語は二様に解釈できます。文法確立以前のレベルにまで発語意識を遡ることができれば、さらに別の解釈も可能です。もしこの英語の意味を考えようとするならば、このダブルミーニングないしトリプルミーニングを無視したくはないものだと思います。)は、柱の林立する、さまざまな世界を象徴する仏像の佇む寺院内部の象徴ではないか、という感覚を喚び起こします。

 では、さまざまな世界、とはどのようにさまざまな世界か。白っぽいビニールの袋か何かが川の中の石に引っ掛かかったまま水垢に汚れ、このまま流水に浸かり揉まれながら、おそらくこれから気の遠くなるほど長い長い年月(まさに何「劫」もの時間)のうちにほんの僅かずつゆっくりと風化し分解してゆく世界。どのような目的でか使用されたブルーシートが、おそらく風に飛ばされて樹木の枝々にひっかかったまま放置され、これも風雨に晒されしだいに破れちぎれて風化してゆく世界。わたしたちならこれをたとえ見かけても記録しようとはおそらく思わないであろう、少なくとも批判や意見表明や報道の具として以外は記録する気にならないであろう、人工物が自然の永劫の時間の中で滅び切ることができずに身悶えながら黙って汚れて朽ちてゆく様を、写真家は捉えます。
 その画面が景観として不快感を喚起しないのは、画面全体に対してそれらの占める面積の比率と、そして画面全体の一様に暗いトーンによるものでしょう。すなわち、それらが環境の中で植物・鉱物・大気などと、存在として平等に時間に晒されているからでしょう。ここにある絵画のような写真画面は、あたかも存在そのものよりは存在を存在たらしめている背景が捉えられているように見えました。

 誰もがどこかで出会い目にするに違いないそれらの世界の断片にひたとカメラを向けるためには、それを捉えるがなくてはなりません。その眼がこのような末法の世に瞬くには、その万物流転の存在相を観る思想が無くては叶いません。
 しかし、思想だけではこの曼荼羅空間はできません。光のありよう(というより、実際は、ほとんど光の不足)だけで捉えられたこの世界は、わたしたちにとって、どのような明るさと色彩に映るべきか。そこを感得する主体は、思想の発源たる生命感情に他ならないでしょう。わたしたちが展示室2に入って、わからない、という印象を全く受けず、一種の既視感に浸るのは、わたしたちが日々うっすらと感じながらやり過ごしてはいるけれども、目の前に展げられてみれば確かに私たちの世界の至る所に展開し蓄積し廃棄され続けている、無惨な文明の残骸を纏う風景がそこにあるからでしょう。わたしたちの果てしない欲望はどのようにこの惑星を黄昏れさせているのか、と写真家は問いかけはしません。ただ、その展示空間の中で、今日の今わたしたちが自らの生きる時空の相に想いを馳せるのは無理からぬことと思えます。

マネキン菩薩の思惟

 展示室2において、それら展示の中央に配置された写真は不思議なものでした。
 説明されなければ、迂闊な筆者などはそれと気づけないかも知れない(すなわちコンピュータ・グラフィック作品かな、と思いかねない)、マネキン人形の頭部の写った写真です。
 この、首の長い美貌のマネキン人形(最近のヤングなら「フツーに美人じゃん」とか言いそうです)の写真は、画面の上部が左上から右下方へとハレーションのように白っぽく消えています。(それが夜明けの薄明のような印象を与えています。)そのため、人形の額の上部から頭頂にかけては写っていません。
 人形は、見る人の向かって右の方を向いて(すなわち人形自身の右横顔を見せて)やや俯いています。顔の左側はごく僅かしか見えません。
 ガラス越しに撮られたかと見えて、画面全体の前面が淡い半透明の膜がかかったような効果が出ており、マネキン自身の映像も全体がやや朧ろにくすんだ見え方です。

 さて、このマネキンについては、筆者は今の今少し驚いています。この写真を思い返すとき、なぜか筆者の脳裡には、やや伏し目に、目を半眼に開いた横顔が思い浮かんでいました。しかるに、いま確認すると、マネキンはしっかり目を閉じていて、目の部分は長いまつ毛だけが見えます。この完全な記憶違いは、ひとつにはもちろん、筆者が写真をしっかり見なかったことによるものです。そして、いまひとつには、この写真に対する思い込みによるものでもあります。

 よく見なかったのには、いくつかの原因があります。
 その第一は、これがあまりにわかりやすい美貌で、じっと見つめるのが恥ずかしかったからです笑。これは重要です。もし、この美貌が、所謂カメラ目線でじっとこちらを見ていてくれるなら、わたしもじっとその目を見て、あなたはあまりに典型的にふつーに美しすぎて危険でつまらないのです、と目で訴えようとするかも知れません。しかし、彼女は、まるでわたしと目を合わせるのを恥じるかのように俯き、目を伏せているのです。そのような美女を、どうして無遠慮に図々しくジロジロ見ることができるでしょうか笑。
 その第二は、これをじっと見てしまうと、撮影者江口敬の意図にまるごとハマってしまいそうだったからです。その意図はほんのチラ見だけで十分わかってしまうほどよく撮られた写真でした。わたしたちは鑑賞しに来ているだけではなく、批評しにも来ているのです。こんなマネキンの写真一枚に誑かされて江口敬の思う壺にはまるわけにはいきません。

 では、江口敬の意図とは何か。
 筆者がこの写真を見るよりも前に、ギャラリートークで江口さんが自ら語られたのは、「菩薩のようなイメージで置いた」ということでした。(この箇所、江口さんの言葉を正確に再現するものではありません。実は筆者は、トークに感心した、と述懐している癖に、江口さんの言葉をあまりよく覚えていないのです。これにはいろいろな原因が考えられるのですが、1番大きかったのは、江口さん自身が、あまり記憶されないような語り方をされた、ということではないでしょうか。肝心なのはしっかり作品を鑑賞することで、そのためにはあまり言葉で語りすぎない方が良い、という配慮があったように思います。)
 実際に見る前にそれを聞いてしまって(いや、おそらくたとえ何も聞かずにであったとしても)、いざその写真を見ると、これはあまりにあまりに菩薩なのでした。

 確かに被写体のマネキン人形さんは、後でよく見ると唇がやや肉厚で口幅が狭く、その点はやや如意輪観音に連想が行くようではあります。しかも実は長く濃いまつ毛が思惟よりは思慕に相応しいようにはみえます。が、そんなことが何でしょうか。
 江口さんの言葉を聞き(いや聞かずとも)、この写真を見れば、あの広隆寺(または中宮寺でもいいのですが)の弥勒菩薩(半跏思惟像)を連想せずにいられる人がいるでしょうか。
 なるほど、広隆寺の半跏思惟像を世に知らしめた小川晴暘撮影の有名な写真と比べると、そもそも像の顔の向きが反対です。しかし、それを除くと、カメラアングルはそっくりではないでしょうか。どちらも顔は少し俯き、伏し目になっています。頬や額のカーヴは滑らかで、膚は浄らかそのものに見えます。どうしてこれが、小川晴暘の弥勒菩薩像の写真へのオマージュでないはずがありましょう。あ、弥勒菩薩だ、と思うと、それ以上深入りしてはいけないような気分になってしまったのは先に書いた通りです。

 釈尊入滅後五十六億七千万年後に衆生を救いに現れるために修行中という弥勒菩薩のイメージは、常にわたしたちを魅了してやみません。その弥勒菩薩が、マネキン人形に化身してこの暗い部屋のセンターにましますことの意味を、おそらくわたしたちは考えてはいけないのです。考えるのではなく、この空間を覚りたいのです。なんならこのマネキン人形と一緒になってこの部屋の写真群の世界を思いたいのです。それが作者江口敬の想いであり、この展示室2の存在意義であろうと思われました。

 ここには、さまざまな存在(すなわち「諸行」)が、「ただ存在であるが故に暗い世界」があります。その暗い世界は如何にして暗いままに肯定されうるか。菩薩はほとんど永遠ほどの間、ひたすらに存在を思惟し続けます。その故にまた、その菩薩も、菩薩による思惟も、諸々の存在に等しく暗がりに浸されていなければならないのです。

思惟のあるくらいところ

 あまりに調子のいい符合で、記すのが躊躇われるほどですが、この部屋のマネキン菩薩像を見ていると筆者の脳裡に蘇る声がありました。その声の主は、驚くなかれ、川原栄峰、すなわち『真空飛翔』の中で筆者が引用文を間違えた、ハイデッガーの『形而上学入門』の訳者であり、さらに同作品の中に一文を引用した哲学者です。
 川原栄峰という哲学者は、少なくとも、哲学を啓蒙的に語ることに関しては傑出した学者であった、と筆者は思います。(註3)その一般教養「哲学」の講座で、ある時彼は『老子』の第一章の最終センテンスを引用し、黒板に書きました。「玄之又玄、衆妙之門」。『老子』、とりわけその一章は、訓み下しも解釈もしない方が豊かなはたらきをもたらす、と筆者は考えています。しかしまた、古来これをさまざまな学者がそれぞれに含蓄深い解釈をしてきたのも事実です。川原栄峰がその時語った解釈は、少なくとも世間一般になされている説とは異なっていました。しかしまた、それらと矛盾するとも言い切れないものだと筆者は考えます。今、筆者の耳に蘇る彼の声は、まことに深みのあるなめらかなテノールです。彼は語りました。「こういうシナの古い言葉は、いいですねぇ。げんのまたげん、しゅうみょうのもん。すべてのたえなるもの・美しいものは、くらぁい、くらぁいところから出てくる。」
 そう言って暫し沈黙する彼の顔が、まさに広隆寺の弥勒菩薩像や展示室2のマネキン菩薩像の顔の俯き方でした。尤も、日本人離れして見える大きな目の、そのやや紺色を帯びて深い濁りを湛えたような瞳はしっかりと見開かれていましたが。
 なぜ川原栄峰か。話には続きがあるのです。やはり一般教養「哲学」の講義で、アリストテレスの形而上学について語ったとき、その「純粋思惟(思惟の思惟)」としての神、を説明した後に彼は言います。

 どうですか、皆さん。創りもせず壊しもせず、裁きもせず赦しもせず罰しもせず、救いもせず恵みもせず、ただ、じぃ〜っ、と考えている神さま、って、いいじゃないですかぁ。

 これを、口元に会心の笑みのようなものを浮かべながら、やはり思慮深く俯き加減になった姿勢で言い、そして付け加えます。「ねぇ。日本の、あの、広隆寺の弥勒菩薩像とかって、そういう神様なんじゃないかしら。」
 もちろん、事実関係で言うとこの言説は間違っています。そんなことは、寺に生まれ育った彼はよく知っています。おそらく彼はただ、広隆寺の半跏思惟像がなぜあのように美しい姿で世に存在し得たか、その背景にある、思惟の尊さを思うことのできる精神に言及したかったのです。

 展示室2『What is beautiful』は、すべての妙なるもの美しいものが、肯定そのものである思惟の思惟とともにある玄玄の冥境のように筆者には感じられました。

鬼りんごのありか

真空飛翔

 そして、ついに筆者は、マネキン菩薩の近くに見つけていました。この室内で実は尤も白い、写真ではない?額装された紙片です。もちろんそこには美しく縦書きでプリントされた『真空飛翔』が収まっていました。
 しかし、筆者はその額装された字面を、まともに読むことができませんでした。
 後で名乗るつもりだったので、ナルキッソスのように自分の影に見惚れている様を見らるのが恥ずかしかった、ということもありました。
 今更読み返さなくても、そこにプリントされた言葉は熟知している、ということもありました。
 さらに、マネキン菩薩の写真を見つめるのが恥ずかしいのと同様の恥ずかしさを、この室内に置かれた作品に感じてもいました。マネキン人形の写真が、あまりにこの部屋にふさわしすぎるように、『真空飛翔』もまた、あまりにこの部屋にふさわしすぎたのです。そう、この江口敬の作品の1ピースとして収まる『真空飛翔』は、もう筆者の作品とはほとんど感じられませんでした。自作を何度でも読み返すナルシスティックな癖から抜け出られない筆者は、その、隅々まで知り尽くした言葉を、ほとんど見知らぬ人の言葉であるかのように聞き、なんとこの部屋にふさわしい言葉だろうか、と感嘆したのでした。
 その時、筆者は初めて、江口さんがこれを使おうと即決した所以を悟りました。確かに、『真空飛翔』は、この部屋の思想そのものであるばかりか、この部屋が欠くべからざる言葉でした。この作品ほど、この部屋そのものを明かす言葉は、おそらくこの地上に一篇たりとも存在しないだろう、と確信してしまうほどでした。

鬼やんまの飛行

 展示室2から、再び戻った時、やたら抽象的でわかりにくいように思えていた展示室1が、なぜかすらすらわかる気分になってしまったのは、滅多にない不思議な経験でした。
 トークを終えた江口さんに自己紹介し、気が軽くなって少しはしゃいだ気分だったせいもあってか、暗い展示室2から明るい展示室1へ戻ると、この明暗の対比が大変心地よく感じられました。
 そして、おそらく訪れた人は一人残らず、「二つの部屋」とはこの明暗の対比だと気づいたことでしょう。
 言葉を事とする者が、絶えず表現するものと表現されるものとの間で言葉の意味と響きとを意識するように、写真を事とする人は、絶えず光のあらゆる相を意識せざるを得ないのは当然でしょう。

 二つの展示室は、陰と陽、明と暗、幽と明、明と玄、を象徴するものでした。
 明境、陽の間は、隅々まで日の光が届き、あたかもその光の作用であるかのように、あらゆる存在が自足し自らを謳歌しつつ、華やぎの中で音も無く崩れ分解され無音の非在へと還ってゆくように見えます。
 陰の間は、玄のまた玄なる幽界ですべての滅びゆくものが静かに存在を思惟しつつあるように見えます。
 そして、死へのプロセスを謳歌するかのような陽の部屋から、死の底辺がかえって生の記憶を暗示するように思われる陰の部屋へ移動する時、その境界には、体の赤い地蔵の小ぶりな写真が立てられてあるのでした。

 そのような感慨に打たれて展示室1をやや丁寧に見て歩いた時、なんとその床の上に、これも額装された『鬼やんまの飛行』のプリント版がちゃんとあるのに気づいてあっと驚きました。ああ、ちゃんと両方とも使われたのだ、と一種の安心感が湧きました。入り口からはかなり奥まったところに、それは最初からちゃんとあったのです。最初そこにあるのに気づかなかったのは、もちろん江口さんのトークに合わせて、きちんと見ずに展示室2に移ったせいです。が、おそらく、それが江口さんからメールで送られて来た時の写真と異なり、白い紙に黒い文字でプリントされてはおらず、黒地に白抜き文字でのプリントだったせいもあります。
 間近で見下ろすと、その黒い紙面に並ぶ文字はうっとり見惚れてしまうほどに美しく、これもまた、まるで他人の作品のように筆者は眺めました。眺めるだけで、こちらもなぜか恥ずかしくて読む気にはなれませんでした。ちらりと見たところ、そこに綴られている言葉は、確かに鬼りんごの『鬼やんまの飛行』です。それはどんな言葉で始まっていたか。

 非空の虚空は時空といふ虚構域にどう重なるのか
 あらゆる細部は必ずさらなる異質の細部より成るのか

 無数の無数乗個の多次元細胞より成る細部を区切る
 その一部をひとは名づけていみじくも 鬼やんま と云ふ

この最初の4行を、筆者は読まずにぼんやり頭の中で反芻しました。そして、なるほど、と納得しました。これほど、この展示室1に相応しい言葉が他にあるものだろうか。おそらく無い、と。

2個の鬼りんごと二つの部屋

 注目すべきは、展示室1と展示室2で、プリントの地の色と文字の色が、白黒反転していることです。陽の部屋は、黒地に白文字、陰の部屋は、白地に黒文字。これによって、ここを訪れた誰しもがおそらく、この二室は一つの三次元太極図(陰陽魚)をなしていることに気づきます。すると、その陰陽両領域の各心臓部のようにも目のようにも思える小さな円形が、地と逆の色、すなわち白い部分には黒い小円、黒い部分には白い小円があって、陰陽両者が不可分にして相互に他を宿していることを示しているのを思い出さずにはいられないでしょう。鬼りんごの二篇がどんなに重視されているかに、掌を合わせたくなります。

 写真家江口敬の思いはどのようなものであったか、それを詳しく問い質したりはしていませんし、実際のところ、彼がこの二作品にどういう細かい感想を抱いているか、はっきりとはわかりません。それを確認したいと思っているわけでもありません。筆者には、この二作がかくも美しく使用された、と云うだけで十分です。
 この会場で出会う『鬼やんまの飛行』と『真空飛翔』は、もはや猛ふぶきの作品でも鬼りんごの作品でもなく、明らかに写真家江口敬の作品の一素材です。これらが言葉であることが、今回のインスタレーションに異次元のブラックホールのようなものをもたらしていることを、感じるひとは感じるでしょう。(註2)

 そして、筆者側の手前味噌を極めた印象としては、

①この会場空間に、鬼りんごの二篇が置かれているのといないのとは、まったく異質の空間になる。江口敬の作品は、確かにこの二篇を置くことで抜き差しならぬ空間を作り上げた。換言すると、これらの作品が配置されていない「二つの部屋」は不完全である。

②展示室1の『鬼やんまの飛行』、展示室2の『真空飛翔』、この二作の言葉を熟知した観点からすると、いずれもそれぞれの「部屋」の意図にこれ以上無く適ったものであり、他の言語作品等に置き換えることはできない。すなわち、この二つの部屋に配置されるべき言葉は、この二作を措いて他にないし、これらの各室に「言葉による説明」を求める人があるなら、その説明の究極の姿はこれら二作である。

③一方、鬼りんごの二作は、この「二つの部屋」の構造把握において、おそらく究極の読まれ方が可能である。ここを訪れたひとは、今後、この象徴空間の象徴された内容を想起しながら読むことで、二作に最もよく入り込めると思われる。

④猛ふぶきは、江口敬の個展の意図と無関係に独立して『鬼やんまの飛行』と『真空飛翔』を綴り、江口敬は猛ふぶきの作詩意図と無関係に独立して個展「二つの部屋」を準備した。江口作品において、猛ふぶきの2篇は作品の一部分と化しているが、それは江口敬が空間構成の中に2篇を組み込み得たからである。しかるに、猛ふぶきは執筆時点で江口敬の個展の存在に先行していたが故にこれを自作に取り込むことが叶わなかった。(実際には、言語作品が実空間をその一部とすることは原理上も不可能なのであるけれども。)写真展「二つの部屋」が、2篇それぞれの一部たり得ていないことを遺憾とする。

と、大略以上のようなことになるでしょうか。

 このような感慨にとらわれながら、「花の写真館」を後にしました。

 一般に、美術展の類には面白い作用が伴うことがあります。
 例えば、モジリアーニ展を見て外に出ると、道行くあの人この人が、みんなモジリアーニの絵の中の人物のように見える。セザンヌ展を見て外に出ると、目の前の風景がどれもこれもセザンヌの絵に見える。
 江口敬写真展「二つの部屋」はどうか。
 写真美術館を出てみると、初めて訪れた福島市森合町は、異様なまでに日常的な眺めでした。「花の写真館」のすぐ背後には名前を知らぬなんともいい形の山がありました。それも含めて、日本中の至る所で見かけるような地方都市の町並みが、時折雨粒を落とす曇天の下にあまり面白くなさそうな表情で広がっていました。
 それは、ついさっきまで見ていた写真展の中の写真に撮られた光景とまったく異質なものでした。しかし、あの二つの部屋には、この街並みの光景も確かにみんな含まれていた、と云う感覚がありました。

 1.日頃あまりこういうことを意識的に計画しているわけではないのですが、このように記してみると、これを載せたら次はこれ、その後これを発表したいが、その前にはこれが必要で、しかし、これをこれの後にすぐ載せる訳にはいかない、などと案外発表の時機と順序を気にしていることを思い知らされます。その意味では、鬼りんごの活動は、単なるその時その時の自作の発表ではなく、言うなれば自作の一作一作を一つの単語のように扱って大きな詩行を構成していくような作業に近いことをしていると言えるかも知れません。これは、おそらく発表のあり方として非常に不純なものと批判的に見る見方がありうるし、それ以上に詩に向かう姿勢が間違っているという指摘もありうるでしょう。ここはこの問題に立ち入るべき場ではないでしょうから、それについての考察や議論は控えます。ともあれ、一枚一枚の写真を素材としてある限られた空間全体の象徴的構成を実現しようとする江口さんのインスタレーションの試みを、空間を時間に翻訳し、一篇一篇の作品を言語素材として、読み手の途切れ途切れの時間の構成を実現しようとするものだ、とも言えるように思います。もしこのように捉えるなら、今回の江口さんとの関わりは、猛ふぶきの構成力あってのものと評価されてもいいかもしれない、と思います。

2.ブラックホール、と云うのを、ここでは鬼りんご作品のはたらきとして述べました。はたらき、と云う観点で見れば、鬼りんごの作品は二つの部屋の一種のブラックホールのようにはたらいていたとは感じます。しかし、ブラックホールは江口さんによって別様にちゃんと表現されてもいました。展示室1は、宇宙の誕生から終焉までの全過程が象徴されていたようです。そこには、ビッグバンによる宇宙の誕生と膨張の「写真」があり、そして宇宙が全てそこに吸収されていくブラックホールの「写真」がありました。展示室1から展示室2へは、誰もが知らぬうちにそのブラックホールに捉えられずには移動できない仕組みになっていました。

3.一般教養で哲学を講義することについて、川原栄峰自身の書いた文章があります。雑誌「理想」に掲載の『哲学を体で見せてやれるかということ』と題されていました。1970年代後半ではなかったかと思います。

長大な拙文をお読み頂き、ありがとうございました。

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