言いたいことを言えるこんな世の中じゃ

『風通しの良い職場』
なんて言葉が御座いますが、かといって隙間風の吹き荒れる職場というのもなんだか居心地の悪ぅ感じることかと存じます。
なんでも言えるからと、何でもかんでもペラペラと話してしまえば、そも人間関係の構築上よろしくありません。
井戸端会議だって、旦那が聞いていないからこそ盛り上がろうというもの。
愚痴や悪口を誰が聞いているかもわからないのに、誰彼構わず話そうというのは風通し云々の問題ではなく、ただの欠陥住宅なのです。
風通しを良くした結果、骨組みがなくなってしまえば何の意味もありません。
風の知らせなどと言いますが、そんなものは知らせなくていいのです。
風にも着信拒否を言い渡しておきましょう。
風の便りも同様です。
隙間風の漏れる部屋が嫌がられるように、壁の薄い物件が忌避されるように、柱のボロい建物が不安になるように、風通し云々を考える前に、そも風をなくそうという努力をする方が賢明であると思わざるを得ないのであります。
しかし、噂好きも本能であり生きる知恵。
絶えず情報をかき集め生存確率を高めるための処世術、なんて言われてしまえば理性で抑えよと声高に訴えることもできませぬ。
泣く泣く吹き荒れる隙間風に身を縮こませ、不遇な処遇の仲間たちと肩を寄せ身を寄せ耐えるしかないのでしょうか。
押しくら饅頭だって「押されて泣くな」とわざわざ注意が付いているくらいなのですから、押されすぎれば泣いてしまうのも仕方無しというものです。
確かに四方から自身より大きいものに押し潰される、と考えると中々に恐怖体験ですね。
子供の遊びとは無邪気かつ残酷なものであるとはよく言ったものです。
考えてみれば子供の遊びは勝者を1人決めるのではなく、敗者を1人決める遊びが多い気もします。
成る程、これならばいつも鬼をやらされて負けていた圧倒的不利な勝負事にも納得です。
既に団体戦という意味で負けていたということですね絶対に許さないからな。
だからこそ、こうして耐え難きを耐え(ざるをえなかった)忍び難きを忍ぶ(しかなかった)精神を得られたのですから、あの日々にも意味はあったのです。
それはそれとして絶対に許さないリストの連中は恐怖して眠れ。
というわけで何事もコツコツと、堅実に着実に誠実に、隙間風なんて吹かないほどキッチリとした建付けを心がければ、環境だって自ずと良くなるもので御座います。

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