たむら阿難

仏法を聞かせていただいております。

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最近の記事

仰せのまま〜素直にいただくは、ワシのはからい入れん〜

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ヤツメウナギの喩え ヤツメウナギ売るおっさんがのう、 両方の籠へいっぱいヤツメウナギ入れましてのう、 それから、  「ヤツメウナギ〜ヤツメウナギ〜」 ちゅうて歩いたっていうねん。 ところが途中でションベンがしたくなっていうんだ、 これは生理現象だからどうもこうもならんからのう… そこで籠をおろしてから、立ちしょんべんした、 道路端でやりだしたんよ。 そしたら間の悪いことを、そこを巡査が通りかかったで。

    • 仏道は自己を習うなり、、、

      「私とは何者で、どこからきてどこへ行くのか」 石田慶和先生の(『念仏の信心』/本願寺出版社)という本を読んでいて、 「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」 という物語に関する記述がありました。 ・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ 釈尊のさとりは智慧。 智慧はふつうの知識ではありません。 解脱の智慧。 その智慧はかならず慈悲とひとつです。 智慧があってまた別に慈悲があるわけではない。 そのことを端的に語っているのが仏伝の「梵天勧請」という物語です

      • サレンダー、明け渡す

        前回に引き続き、(『赤光2』探究社/福間 義朝師)より引用させていただきました。 お聴聞させていただきます。 サレンダー明け渡す <2020年3月> 『正信偈』は、 帰命無量寿如来 で始まります。 この意味は、 「この私は阿弥陀仏に全てお任せします」 ということです。 この任せるは、英語では 「サレンダー」 になると思います。 服従するということよりも、 明け渡す、 降参する という意味です。 先日、『僕は、死なない』という本を読みました。

        • あるキリスト教信者の詩

          <2011年12月 福間義朝師『赤光2』より引用させていただきました> 先日、広島の浄土真宗の僧が学ぶ学校、真宗学寮で教えておられる岡本法治(ほうじ)先生から一つの詩を頂きました。 岡本先生が東北大震災の仙台の避難所に行かれた時、その避難所のホールに掛けてあった額にあった詩を書き写して帰られたものです。 私はこの詩が誰が書かれたのか知りたくて、インターネットで調べると、もともとこの詩はニューヨーク市立大学のリハビリテーションルームに刻んであったものらしいです。 作者は

        仰せのまま〜素直にいただくは、ワシのはからい入れん〜

          存知と信知

          今日は霊山勝海和上の御本から聞かせていただきます。 聖人の仰せには、 「善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。」 (『註釈版』八五三頁) ここの言葉ですが、そうかそうか、と言って読めば良さそうですけれども、やはり引っ掛かるのであります。 親鸞聖人が善悪の二つを知らないと、ここでおっしゃるんですが、善悪が本当に分からないというのを、このまま単純に認めましたら、機の深信など出て来ようはずがないのです。 ですから親鸞聖人が善悪の二つ総じてもって存知しない、とおっしゃ

          赤尾の道宗さん(2)

          第十一條 もしこんみうにち(今明日)も ながらへ(え)候て のち ほうぎぶさた(法義無沙汰)になり候は(わ)ば あさましやと ひきやぶり たしなみ候べき事 きょうとも知らず 明日とも知らず、一息一息のいのちであるが、きょうもこうして、生かさせていただいた。 忘れては、ならん。 仏さまのみ教えを忘れては、ならん。 ナンマンダブツを、忘れては、ならん。 忘れたり、なまけたり、忘れたりするような、そんなあさましいこころが、おこったら、それを、すぐさま、ひきやぶり、ご恩報謝のおね

          赤尾の道宗さん(2)

          赤尾の道宗さん(1)

          そういえば、二年前の先生とのご示談の際、 「赤尾の道宗さん」 のことを教わりました。 https://youtu.be/bdnRl-af0ZE?si=D9vFHbwttbhGnqFa その時は、二十一箇條のことは一度調べて、そこで終わっていました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇第一條 ごしや(よ)うの一大事 いのちのあらんかぎり、 ゆだんあるまじき事 いま、こうして、ぬくぬくと生きているわたしのいのちは、かならずおわる。 たった一回の人生が、たった

          赤尾の道宗さん(1)

          三世乃因果はし(志)らね(祢)ばなるまひ

          「悪業種子まきや 悪果が(可)出て来る 三世乃因果はし(志)らね(祢)ばなるまひ 喜歳赤愚妙」 悪業の種を蒔けば、悪果(の芽)が出て来る。 三世の因果を知らなければならない。 喜歳とは七十七歳の時。 赤愚妙は「赤」はしゃくと読み「釈」の事。 「愚妙」は鮮妙和上が自身をへりくだって名を記したものとのこと。 私の尊敬する利井鮮妙和上の『信仰清話』を捲るとこの絵が出てきました。 全く読めなくて、常見寺さまに問い合わせて教えていただきました。 ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・

          三世乃因果はし(志)らね(祢)ばなるまひ

          極重悪人無他方便

          『ごくじゅうあくにん むたほうべん』 と読みます。 お正信偈には、 『極重悪人唯称仏』 とありますね。 http://labo.wikidharma.org/index.php/念仏証拠門のなかに… 「無他方便」とは、 他に法がない、 救う方法がない、 という意味なんだそうです。 私供には救われていくような方便は何一つない。 唯一つ、 真実のお念仏 それが私供を極楽へとやってくださるのだ。 そういう思いで、布教されていたお方が、、、 梯實圓和上、です。

          極重悪人無他方便