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子供会行事①

小学校に入学して初めての夏休み。

黄色い帽子も重いランドセルも嫌で嫌で仕方がなかった小学校1年生のあの頃。ある日突然同じ年に生まれたと言う理由だけで入学してクラスメイトになった幼い男女。

小さな小さな小学校にその年入学したのは私を含め8人。担任は来春定年になる威圧的な大きな声でがなり立てる大西(仮名)先生だった。

入学初日からその先生の大きな声と香水臭い大仏パーマと婆ちゃんと似たような歳の先生と言う事にびっくりして大声で泣きそうにつつ母に諌められ涙目で帰宅しみんなを心配させてしまった。

まさか毎日通うようになるとは思ってもいなかったので次の日の朝に学校だと起こされた時には嫌すぎて遂に大声で泣いたのを覚えている。

そんなツライ毎日を熱を出したり、帰宅して吐いたり、行きたくないと毎朝泣いてみたりを繰り返し何とか乗り越えたどり着いた夏休み。


朝顔の毎朝の水やりとラジオ体操は面倒くさかったけどあのツライ日々から開放され暑いけれど清々しい時間を過ごしていたある日、父が言った。


「明日は子供会だからリュックに着替えとタオルをお母さんに聞いて詰めとけよ」

なに子供会って

「子供会旅行で○○海岸に泳ぎに行くんだ。弁当持って水筒持ってお菓子は子供会から出るからお楽しみ」

え、イヤ…

「イヤでねくてや。行かねばならんの。お母さんは政雄(弟、仮名)が熱出したから行かんねくなってしまったからお父さんと○○の2人と東区の子供達と親で行くんだ」

西区は?

「西区は西区でプールに行くんだと」

え…


未だ学校にも慣れず友達と呼べる様な子もいなかった私はがっかりしてその日の夜、吐いてしまった。

何より先生が怖い。

入学して少し経った当たりに私があんまり担任を怖がるものだから懇談会の時に父がその事で先生に物言いをした事がある。その先生は有ろう事か次の日みんなの前で私に"そうアンタの親父から言われた"と私を責め、そして私を無視しだした。

その事も含め、夏休み前は色々あった。


先生は戦争で親兄弟を無くし親戚の家に身を寄せていた身だった。その親戚は家の地区の区長さんの家だったものだから、曾祖母が地区の御意見番にその事を相談し、御意見番から区長さんに話が伝わり御意見番に頭が上がらない区長さんから先生に注意してもらったり、本当に色々あった。トラウマ案件だった。

(御意見番と区長さんは多分消防繋がりで先輩後輩。曾祖母は亡くなった曾祖父の嫁で曾祖父が非常に影響力持っていたらしい。曾祖母は虎の威を借る狐。何故、曾祖父が影響力を持っていたかはわからない多分、昔々庄屋とかそんなん)

夏休み前、大掃除の時間に先生から教室のテレビの陰で

「言いつけるなんて卑怯者のする事です。これからアンタの事は卑怯者だと思って教えます。この没落一家が。」

と言われた。こんな悪意をたかが6歳の女の子に向ける大人いるか?って未だに思うし未だに大嫌い。大体卑怯なのはお前だとも思う。

この事も勿論、父と祖母と曾祖母に泣きながら言った。父は

「自分だってみなしごの没落ババァだべな」

と言って何処かに電話をしていた。



お父さん、先生も来るの?

「先生は夏休みでも仕事があるから来ないぞ」

先生が来ないなら行ってもいい。


吐いた後、微熱まで出した私に父はもう行かない事にするか?と確認してきたのだ。

しかし海は見たかったしあの先生が来ないなら、と参加することにした。


あっという間に次の日になり結局、母が用意してくれていたリュックを渡され父と集合先の小学校へ向かった。

東区の親子がポツポツと集まって来ておりみんな燥いでいた。

そんな親子に父はにこやかに挨拶し天気の話や海の話、海の家を予約した話などをしていて、いまいち体調が優れず燥いだ気持ちにもなれずにいた私は一人ぼっちになったみたいな仲間外れにあったような悲しい気持ちになっていた。


そんな時、同級生の理佐(仮名)ちゃんもお父さんと2人でやって来た。理佐ちゃんのお母さんはちょっと前に赤ちゃんを出産したばかりで今回はお父さんのみの参加だった。

「○○ちゃんおはよ」

理佐ちゃんおはよ


2人共に人見知りでいまいち打ち解けられておらず、家も近い割に登校も別だった。

小さな小さな朝のご挨拶の後にはやはり2人共モジモジとお互いの父親の後ろに隠れてしまった。

東区の1年生は4人。女の子2人と男の子2人だった。

バスには父と座った。隣の席には理佐ちゃん親子が座っていた。


前の人から剥いたリンゴを貰ったり子供会からのジュースを飲んだりしているうちにバスはあっという間に海に到着した。


東区の子供会は海の家の子供会プランを利用したようだ。到着しすると畳敷きの小屋に大きな扇風機が4台あってすでにヤカンに入った冷たい麦茶やファンタが用意されていた。

早速お座敷に上がり子供会会長さんの短い挨拶があったあと裏の更衣室で水着に着替え早速、スイカ割りをするために海の家前の砂浜に集まった。

同級生の男の子2人はスイカをどれだけ割れるかをテンション高めに話していて当時流行りのアニメの真似をしてた。私も理佐ちゃんと目隠し嫌だとか恥ずかしいとかスイカに塩はかけたくないなどモジモジ小さな声で不満を言い合っていた。

スイカ割りをしてみるとやはり私も理佐ちゃんも空振りで砂を優しく叩くばかりでスイカにはカスリもしなかった。

2人共恥ずかしさでお互いの父親の後ろに回りモジモジおでこを父の背中に擦り付けるなどして恥しさをやり過ごしていた。


モジモジしているうちにスイカは3個も割れていてお母さん達が手早くブルーシートの上で切り分けみんなで食べる事になった。幸いな事に塩をかけなかったので私も理佐ちゃんも安心して食べる事が出来た。


スイカを食べ終わると今度は海水浴をしたい人は泳ぎに、海の家でゆっくりしたい人は座敷に思い思いに過ごす自由時間になった。

私と理佐ちゃん親子はせっかくだから海に入ってみるかとお互いの父親と波打ち際まで行ってみた。


ザザーン

波が私達の足にかかり砂がサンダル履きの足を埋めてしまった。

キャーッ
キャーッ


2人同時に悲鳴の様な笑い声を上げてしまった。


冷たーい!理佐ちゃんまた波!波が来るよ!

「キャー!○○ちゃん波が来るよー!」

キャッキャウフフしながら顔を見合わせて波打ち際で燥ぐ私達。

後ろで父親達が何か言っていたけどテンションが振り切れた私達に届く筈もなく足をジタバタして跳ね返る海水と次々に押し寄せる波を思いっきり楽しんでいた。



つづく。








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