お正月の思い出の話

家で過ごす正月は特になにもない。
なにもないからこその正月で、実家に帰って家事手伝いに追われるとか、義実家に行って私をお雛様か何かと思っている親切すぎる義両親にもてなされ逆に手持ち無沙汰になるよりは、何もないほうが平和なのであろう。
しかし、子供のころ何十人もの親戚が入れ代わり立ち代わりやってくる田舎の旧家の正月を過ごしていた思い出がこれでよいのかとたまに囁いてくる。

両親の家はいずれも旧家であった。
母の家はとにかく短命で戦争がとどめをさしてしまいほとんど親族が絶えていて、母の両親と従兄弟が何人か生きているレベルで母の代で本家しまいを済ませていたため親族を見ることはほぼなかったが、父方はとにかく人が多かった。

祖母の存命中、父の実家はきちんと田舎の本家の機能を果たしていたため、祖母と当主一家の住む本家は正月は挨拶にくる親族が入れ替わり立ち替わりあらわれた。
田舎の本家というと犬神家の一族のようなおどろおどろしいイメージかもしれないが、そこまで金とか因習のない普通の田舎の本家の機能とは、血族の相互保護機能である。分家は本家を支援し、本家は何かあったとき(病気、失業、災害など)分家を助けるのだ。
傍系かつ子供である私はのんきに料理を食べていたが、親は本家への心遣いや親族挨拶など大変そうであった。
正月のご馳走とお年玉をもらって挨拶まわりの午前が終わると、うちの本家には変な習慣があった。山の上にあるご先祖様の神社を尋ねるのだ。
ご先祖様の神社。
かなりのパワーワードであるが、実のところ屋敷神レベルであればお家の神社というのは珍しくない三井神社くらい有名なものは少数派としても、ある程度歴史のある家であれば神社のひとつふたつ珍しくない。
例に漏れず自分たちの名字を冠した神社が山の上にあり、元旦午後に本家にいたものは重病人以外揃って山の上のけもの道のような参道の先にある神社に詣でなければならないのだ。

ある年のこと。うっかり逃げたし忘れた私は山を登っていた。元城跡らしいが山城跡などもはやただの山である。
なんとか山頂近くの石垣の上の4畳くらいの祠にたどり着き、お賽銭を祠の中の賽銭入れに投げ入れようとした瞬間、目測を誤った小銭は祭壇に向かって飛んでいった。
ヤバイと思ったときは手遅れ。いい音を立てて小銭は祭壇にぶつかった。あー、ばあちゃんに叱られると思った次の瞬間、あり得ない軌跡で小銭は跳ね返って私の額を直撃した。
たぶん、先祖からの強烈なツッコミだった。
声もなくうずくまる私に祖母の説教の追撃。前々から奇行が多く余計なことを言う私の地位は低く、全方位から叱られることとなった。
その後、神社は最近になって老朽化とあの参道はそのうち死者が出るという安全上の懸念から、移転した。
子孫総出で移転させたせいか、一応城趾からは出ていないせいかとくに祭神からの文句は出なかったという。

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