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エッセイ~勝ち負けとの付き合い方~

私は自分で負けず嫌いだと思います。
勝負がかかると熱くなり、
負けると怒りや癇癪を起こしたくなったりします。
普段の私を知る人は意外だと思うでしょう。
平常運転では穏やかなほうですし、
熱くなるのも表面には出てないかもしれません。

学生のときなんかは今よりも顕著でしたね。
サッカーゲームを興じて負ければ涙が出るし、
実際フットサルの試合なんかでも
ちょっとラフなプレーをされただけで
大きな声で審判に抗議したり…
今思えば恥ずかしい限りです。

ただ当時はそれに対して負の感情だという自覚はありませんでした。
むしろ何かに対してうまくなるためのモチベーション源だという認識。
世間でも「闘魂」「負けず嫌い」は上達するためには必要なものだとし、
むしろ美化されている面もあったようにも思います。
負けることに対してのフラストレーションが大きければ
「負けたくない」という気持ちから努力に繋がるという方式が
自分の中にありました。

けれど最近本当にそうか?という疑問が浮上してます。
例えば野球のイチローや大谷を見てみましょう。
彼らがヒットなりホームランを打ったとしても
過度に喜びを表現したりはしません。
常に淡々としています。
将棋の藤井聡太しかりです。
「そんな温度感、モチベーションでなぜその域に達せられるのか?」
私には違和感がありました。
けれどそれは「そう見えるだけ」であって
自分と競技と向き合うロジックがあるのでしょう。

改めて「怒り」という感情について考えてみると
物事を進めるにあたって不利になる事が多いです。
①冷静さを失う
②的確な判断力が低下する
等々。
そしてなぜ負けると「怒り」たくなるのか。
それは「負ける原因の分析及び改善方法が不明確」というのが挙げられます。
では不明確だと何が起こるか。
「分からない理不尽な現象」によって自分は負かされたという思考になり、
大げさに言うと「自分はその被害者」だという思考に陥ることです。
勝ちに対しても同じようなことが言えると仮定すると、
勝っても負けても淡々とできるということは、
どちらの事象に対しても「理解の範疇である状態」を示しているのだと思います。
それは「ホームランを打っても当たり前」と思えるほどの努力、自負でもあるし、同時に「打てないことはそれだけ厳しい環境で戦っている」という立ち位置を正確に分かっているのではないでしょうか。

色々考えてみるとメンタルというのは奥深いですね。
今回の考察はイライラする自分への戒めになったように思います。
一喜一憂するのも楽しいですけどね。

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